桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ

皮をむいて実そのものを味わう以前に、

何か言えることがあるかもしれない。

未熟で、分かることなんてひとつもないけれど、

甘夏をひんやり握る、

このおもたさを味わう、

顔を寄せて匂いをかぐ、

ことなら少し、できる。

 

桜那恵 YONA Megumi

バナーデザイン 河野唯

試すように噛む弱くてするどくて 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ18こめ

写真を見て、音が聞こえるわけじゃない。もちろん比喩としてはそうだ。「漣が聞こえるようだ」「彼らの会話が手に取るようにわかる」でも実際は、何も鳴らず動かず、今ここにあるのは窓をうつ6月の雨と、扇風機の風の音だけ。

 

無意識のうちによく計算され、ないような矜恃をバカに気にして、たくさんの目や、誘惑するコンサバティブな光。そんな写真が巷の海にあふれてる。いいものも、よくないのも多いので、水面がゴロゴロして、浸したはずの足ゆびが見えなくなる。

 

あらゆる写真は

私たちが死すべきものであることを想起するよすがとなる。

〈中略〉

写真を撮ること

ーーよりふさわしくは、写真を撮ることを「許す」ことーーは、

真実であるには美しすぎる。

次のように言ってもかまわない。

美であるには真実すぎる、と。

 

写真は今日まで、撮られて撮られて撮られまくって、ここにある。この海を漂っているとふと、私がもうずっと前から忘れていて、今やっと思い出したみたいな写真に突然出会うことがある。それは見たこともないような派手な色の椅子、行ったことのない国の知らない人のまなざし、でも私、あなたを知ってる。一枚、二枚、その時はもう、大きなものに取り込まれている。

それが、著者の言う「物語」である。

 

私は写真を、馬鹿なくらい一瞬の小さな空間の、信じられないくらいの温度を信じてる。

 

それにしても、いい写真を撮るよなあ。

 

 

 


空壺雨をのんでる廃庭 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ17こめ

ともこさんが「パーフェクト・デイズ面白かったよ」というので、さっそく近くのレンタルビデオ屋さんに行った。「新作だけど7泊8日」の棚には〜···役所さんが居ない。おや、と思い調べてみると、DVDのリリースは7月で(今日は5月でした)、しゃあない私は「バビロン」と12回目くらいの「ハウルの動く城」を借りて帰る。夜、梅雨が近い風が吹いてる。

 

人はそれを「時代遅れ」だとか「時間のムダ」と言うかもしれない。私も大賛成である。だいいちホントは借りたかった「カポーティ」は貸出中だったし、当店「ゴーストワールド」の取り扱いはありません。今はみんな、スマホなんかで見るんですね。

 

 

 

その帰路で、普段は入らないコンビニに入った。で、ワイン買おって思った。思いがけず。私は酒も煙草もやりません。エートこれは「バビロン」を見ながら愉しもうと思ったからで、パキッと開けるワンカップの白と大好きなポテチを買って、煌々と光る箱から夜に出ると、低い鳥がスっと隣りの家の庇に入った。つばめだ、と思うとすぐにあの鳴き声がここまで届いた。うまれたんだ、と思うと口元がゆるみ、一日働いてくたくたの体に、まったく理論に反した回復が訪れるのを私は見る。

 

この文章は、無駄だったんでしょうか。

 

そんな文学や詩、写真が撮りたくて、私はここのところむかむかとしていた。むかむか、といっても怒りや衝動なんかじゃなく、その逆といってもよかった。つまり私はかなしくて、自分でも驚くほど静かに座っていた。

 

 

私はまあそうねアナクロだが「ぼくの伯父さん」にはとうてい敵いっこない。

 

ルックスや知識の多さよりも「最強なのはセンスがいいってことじゃないかなー?」*とあたしンちのみかんが友人・しみちゃんに言っていて、好きだなあと思った。

よい本は決して古びないのだ。造本もなおよし、である。

 

私は白ワインが好きかもしれないな、とはじめて知った5月でした。 

 

 

 

 

ぼくの伯父さんの東京案内 沼田元氣/2001 求龍堂

 

*あたしンちSUPER 第2巻 #50より

あなたのことが嫌いになりそうでうれしい 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ16こめ

スープの中に、チーズを入れるか入れないか。

雨が時々止むので、傘を持っていくかどうか。

縞々か、赤いのにするか靴下。

 

抜け殻の絹靴下を春の樹に 澁谷道

 

「アタシ1分の猶予もないんです」という。そうよ、と遠くで誰かが同意する。声の方は見ないわざと。においで分かる。何かが私を誘惑している。そう、それは絶対。そんなことを今ここで、ためつすがめつしたいと思う。

 

花冷えの櫛落ちてリノリウム滑る 澁谷道

 

ハッとするほどつめたい、かけがえのないさびしさ。手を伸ばして触れると、にわかに体温を帯びてく。そう感じるのはあなたそのもの。「アタシ、ここは死ぬほど楽しい」そうですか、と言う私の手は震えている。

 

冬陽萎え樹は樹のかげを見失う 澁谷道

 

声がずっとそこにあるというのはなくて、遠くこだましたり、電話口でぶつっと切れたり、故意に黙ったりする。「あ、今なにか分かっ」今すぐ忘れる。ここはいつも記憶の中の海に似てる。ぬるく、濁り、幼く、しょっぱくて、触れたい。そういうところに潜んでる、ぞっとするほど美しいもの。

 

花冷えのテレビドラマ長い無声 澁谷道

 

手袋が鏡の中で花を買う 同

 

一枚の鏡、一日の隔たり。「そういえばアタシたちどこかでお会いしましたっけ」私たちの隔たりはどうしようもなく確実で、救いようもなく薄いから。

 

訪問者なし香水の霧乱射して 澁谷道

 

 

春海を女が軽く軽く去る 同

 

それが引き潮に乗って海へ出る様に、至極自然に句集を出してしまつた、その事に、ある衝撃を感じます。

(中略)

嬉しくても悲しくても傷つく様な生き方とは「嬰」を出すことで別れたいと思います。

―あとがきより

 

黙って語っている夢の果ては真 桜那恵

 

 

 

箱の中の手紙を忘れていた 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ14こめ

駅に向かう途中、めがねを忘れたことに気がついたので、引き返した。私の目は良くはないが、悪すぎるということもないので、日中めがねなしで過ごすことも多い。「目によくない」ありがたいご意見はとりあえずスルーします。掛けなかったり持ち歩かない日なんかもある。でも今日はちがう。『生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ』の初日。この日を楽しみにしてたんだ。

家に着いてすぐ、机の上のクリアファイルが目についたので「お、そうそう、パンフレットを持ってかえるのにいるんだよね」とカバンにしまう。あ、やっぱりコッチかも。白い帽子に被り替える。悩んで結局同じ靴を履く。電車の時間が気になるので急ぎ家を出る。

 

駅のホームで電車を待っていたら「え···?」と驚いた。めがね忘れた。もう一度言います。めがね。忘れた。愕然とする。今私めがね取りに戻ったんだよね?カバンの中をもう一度ようく探す。あれクリアファイルが2枚入ってる。そうだ昨日のうちに忘れないようにって入れたんだ。めがねは?ない。まあ?見えないっていうこともないし?···あれ、よく見るとこの帽子···前の方がよかった気がする。(チーン)

···下唇を突き出したまま国立近代美術館へ。とぼとぼ展示室に入ると『萬朶譜 梅の柵』に出合う。ボヤけてよく見えないから張りつくようにして見る。それで分かった。私はめがねを忘れたんじゃなくて、忘れることを望んだのだ、と。

 

一体どういうことか?

 

この展覧会で1番見たかった傑作『釈迦十大弟子』を前にして私は考えていた。棟方は弱視だったため、デッサンの線すら思うように描けなかった。ある時、川上澄生の板画に出合う。その時、棟方は板画の道にゆくことを半ば運命的に感じていたに違いない。たぶん。

 

オーこれが『釈迦十大弟子』。これが世界のムナカタ。

 

棟方の仕事は雑誌や本の装幀にも及んだ。傑作はひとつやふたつではない。私は谷崎潤一郎の小説の『鍵板画柵』のショーケースの中をひょいと覗いた。それでびっくりしてしまった。

 

そうなのだ。棟方作品の凄い所は、そこである。

私は呑みこまれる。線に黒にそして板画に、私は喜んで呑みこまれる。

 

ハッと気がつくと私はめがねの前に立っていた。

 

そう。彼と板画を繋いでいた、あの素晴らしいぶ厚いめがねの前で。

 YONA Megumi

 

 

開館記念 棟方志功展 福光美術館1994

棟方板画の世界 1977

 


葉を枯らして花を咲かせている 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ13こめ

絵は芸術家としての矜恃を持ち、それでいて子どもみたいに無邪気だ。

『ヴァンス礼拝堂』のあれ!てててててって、どうやったってにこにこしてしまう。ああユカイ。

 

いのくまさんの言うマチスの「描いて描き死ぬ」。ストイックな彼であって、りんごひとつに気の遠くなるほどデッサンをする。そらで描けるようになるまで描く。苦しい日もあったろうと思う。でも楽しんでいる、というのがいい。

 

いのくまさん「彼の作品に見る単純化は、つき進めば結果として抽象形態にたどり着く運命にある道である。

しかし、なぜか彼はその道を急ごうとはしないのである」

 

マチスの絵は日本人に受け入れられやすいという。それは彼の絵が奥行きというリアリズムの効果よりも、対比や横の広がりの効果に重心を置いているからである。

 

いのくまさん「時代に鋭角な神経の持ち主であるから、決して近代の動きを見逃しはしない。彼の全皮膚の表面までも敏感に現代を感じ取っているに違いない。

〈中略〉

そしてまた『お前のデッサンはうますぎる』とも言われた。この一語は実に私はつらかった」

 

-マチスと抽象形式

マチス覚書 美術手帖 1950年4月より

 

マチスは急がなかった。そして止まらなかった。

 

今月から始まる国立新美術館の展覧会「マティス 自由なフォルム」。

 

スモークブックスにあるいのくまさんこと猪熊弦一郎、マチスのカタログもぜひ合わせてご覧ください。

YONA Megumi

 

マチスのみかた 猪熊弦一郎/2023

 

愛と恋遠い国の字意味は近いはずで 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ12こめ

最近読んだ本の中に、ユジノサハリンスクと豊原が出てきた。

 

ふたつは同じ場所を指すのだが、時間が違っていた。ひとつは林芙美子のもので、もうひとつは東京するめクラブのものだ。どちらも紀行集で思いがけず出会った。きもちのよい旅だった。

 

自分は朝鮮人で、ロシア人でもあって、日本人であるというのは一体どういうことか、私にはうまく想像ができない。サハリンはたぶん寒い。つめたくて冬が深い。朝、蛇口をひねると水がちぎれるようにつめたくなった日本の12月。サハリンは、ここに住む私にはうまく掴めない。

 

写真家・新田樹の撮るその場所は、どういう訳か「そこ」に感じる。遠いサハリン、でもそこにある。「ここ」にはないだって、サハリンはここから遠いでしょう。この遠さ。これは写真家の力量に他ならない。

写真そのものは静かだ。それは憚らず冬の静けさ。雪解けがせせらぎを孕むように、著者の言葉が添えられている。

 

本書はスモークブックスの店頭で、お手に取ってご覧下さい。

YONA Megumi

 

 

Sakhalin 新田樹

2022

 

自然を模した庭誰よりも生きてる 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ11こめ

夏がきらいなのに、夏の記憶ばかりが美しいのはなぜだろう。

 

夏がきらいです。

私は暑がりだし、それに夏の命はすごく美しいので、春のことなんてすぐに忘れてしまうから。

 

イギリスの夏は短いという。

日本の夏はやたらと長いですよね。

 

束の間の秋に、夜の木場公園を歩いて思ったこと。

冬至に向かう電燈で遊ぶ子どもの声とボールの音。

犬が踏む落ち葉の音と、軽装の女と電話の声。

 

そういえば、家の庭にあったハナミズキの葉が燃えるように色づく秋を、私は好きだった。

 

あの色。

 

どうしてこんな大事なことばかりを忘れてしまうのだろう。

 

「みどりの王国」を読み終わったあと、私はスツールの上でしばらく本を抱きしめていた。

 

さまざまに錯綜した、光ある庭を思い浮かべて。

YONA Megumi

 

みどりの王国

戎康友 鈴木るみこ

2023

 

蒼い瞳が私を見ている 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ10こめ

ちょっと前、ある雑誌のバックナンバーをウェブアップしてた時、もうなん度も目にした写真家の名前が目に入ってきて

 

「まーチョットみてみっか」

 

とページをめくった。

 

私はいったい、今まで何を見ていたんだろう、と思いました。

 

どれも同じだ、といつの間にか私のどこかは思うようになっていた。

 

私たちは何か発見に対して「これは時間がかかるな」と思うがはやいか「知ってる知ってる」で過ぎてしまうことが多すぎる。観念的な急を要して。

 

それに対して「ああ、アレね」と興味のないフリをすることがまともであるというていを取る人も少なくない。

 

怖いのです、今日まで知らなかったことが。知らなかった時間が。

 

いま自分が感じたことを、ないがしろにはしていませんか。

 

いま一度、胸に手を、当てなくたっていいから考えてみるのはどうでしょう。

これは路傍の書店員からの、ちいさな提案です。

 

そういう出合いを、私はもうすこし待ってみようと思います。

YONA Megumi

 

 

CHINESE LIVE

斎門富士男

1996

 

おとずれる記憶がもしもし 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ9こめ

あれ、私だ、とおもう。

すばらしい抽象画に出合う時、私のどこかはいつもそう思っている。

あれ今こうまんだって言いました?

 

またこれは違う、ということだけが分かるということがよくある。正解がわからないのに、これではない、ということだけを確信している。

ええ高慢でいいです。

 

「これから現前してくる世界の予感」小松崎広子

 

ごくっと息をのむ。

この感覚は、おそらく私たちが生まれるずっと前のこと、ひいては人間なんかが生まれる前から、ずっとそこに、あらわれていたのではないか。

 

そう、ここは静かだ。

しずかで、まるであなたみたいで、やすらぐ。

 

私は黙っている時の方がおしゃべりなのだ。

YONA Megumi

 

 

小松崎広子 Hiroko Komatsuzaki 2013

 

こびない鳥たち 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ8こめ

鳥が好きです。

彼らのこびないよそおいが大好き。

 

例えば青い鳥で有名なカワセミなんかもそうですが、彼らの青い羽根は青い色素をもたない。*

なのに青くきらめくなんて、ほんと夢みたいに美しいと思いませんか?

 

 

夢で描く、ということをGernerは知っています。

これはシギで、こっちはヒタキ?これはどう見てもアオサギだけど、でもこっちは?

空想と現実のはざまで、彼は得意のデザイン性を持って楽しく描いてる。鳥たちがくわえてるものや、足元に落ちているものもなんだかたのしい。

 

鳥はみんな、みんな違う。なのにみんな鳥。

鳥は自身の色の素晴らしさ、フォルムの愛さらしさ、声の魅せ方をよおく知っています。

だからこびない。でも決して卑下しない。

 

そういう本質的な美しさみたいなものを、Gernerはよく知っているし、私たちにそっと教えてくれます。

 

次作の「Chiens」もたのしみ。

 

*構造色と言われるもの。光の角度や波長の干渉によって私たちの目には青く見えている。

 

YONA Megumi

 

 

 

Oiseaux Real And Imaginary Chromatic Inventory Jochen Gerner 2021