皮をむいて実そのものを味わう以前に、
何か言えることがあるかもしれない。
未熟で、分かることなんてひとつもないけれど、
甘夏をひんやり握る、
このおもたさを味わう、
顔を寄せて匂いをかぐ、
ことなら少し、できる。
バナーデザイン 河野唯
駅に向かう途中、めがねを忘れたことに気がついたので、引き返した。私の目は良くはないが、悪すぎるということもないので、日中めがねなしで過ごすことも多い。「目によくない」ありがたいご意見はとりあえずスルーします。掛けなかったり持ち歩かない日なんかもある。でも今日はちがう。『生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ』の初日。この日を楽しみにしてたんだ。
家に着いてすぐ、机の上のクリアファイルが目についたので「お、そうそう、パンフレットを持ってかえるのにいるんだよね」とカバンにしまう。あ、やっぱりコッチかも。白い帽子に被り替える。悩んで結局同じ靴を履く。電車の時間が気になるので急ぎ家を出る。
駅のホームで電車を待っていたら「え···?」と驚いた。めがね忘れた。もう一度言います。めがね。忘れた。愕然とする。今私めがね取りに戻ったんだよね?カバンの中をもう一度ようく探す。あれクリアファイルが2枚入ってる。そうだ昨日のうちに忘れないようにって入れたんだ。めがねは?ない。まあ?見えないっていうこともないし?···あれ、よく見るとこの帽子···前の方がよかった気がする。(チーン)
···下唇を突き出したまま国立近代美術館へ。とぼとぼ展示室に入ると『萬朶譜 梅の柵』に出合う。ボヤけてよく見えないから張りつくようにして見る。それで分かった。私はめがねを忘れたんじゃなくて、忘れることを望んだのだ、と。
一体どういうことか?
この展覧会で1番見たかった傑作『釈迦十大弟子』を前にして私は考えていた。棟方は弱視だったため、デッサンの線すら思うように描けなかった。ある時、川上澄生の板画に出合う。その時、棟方は板画の道にゆくことを半ば運命的に感じていたに違いない。たぶん。
オーこれが『釈迦十大弟子』。これが世界のムナカタ。
棟方の仕事は雑誌や本の装幀にも及んだ。傑作はひとつやふたつではない。私は谷崎潤一郎の小説の『鍵板画柵』のショーケースの中をひょいと覗いた。それでびっくりしてしまった。
そうなのだ。棟方作品の凄い所は、そこである。
私は呑みこまれる。線に黒にそして板画に、私は喜んで呑みこまれる。
ハッと気がつくと私はめがねの前に立っていた。
そう。彼と板画を繋いでいた、あの素晴らしいぶ厚いめがねの前で。
YONA Megumi
絵は芸術家としての矜恃を持ち、それでいて子どもみたいに無邪気だ。
『ヴァンス礼拝堂』のあれ!てててててって、どうやったってにこにこしてしまう。ああユカイ。
いのくまさんの言うマチスの「描いて描き死ぬ」。ストイックな彼であって、りんごひとつに気の遠くなるほどデッサンをする。そらで描けるようになるまで描く。苦しい日もあったろうと思う。でも楽しんでいる、というのがいい。
いのくまさん「彼の作品に見る単純化は、つき進めば結果として抽象形態にたどり着く運命にある道である。
しかし、なぜか彼はその道を急ごうとはしないのである」
マチスの絵は日本人に受け入れられやすいという。それは彼の絵が奥行きというリアリズムの効果よりも、対比や横の広がりの効果に重心を置いているからである。
いのくまさん「時代に鋭角な神経の持ち主であるから、決して近代の動きを見逃しはしない。彼の全皮膚の表面までも敏感に現代を感じ取っているに違いない。
〈中略〉
そしてまた『お前のデッサンはうますぎる』とも言われた。この一語は実に私はつらかった」
-マチスと抽象形式
マチス覚書 美術手帖 1950年4月より
マチスは急がなかった。そして止まらなかった。
今月から始まる国立新美術館の展覧会「マティス 自由なフォルム」。
スモークブックスにあるいのくまさんこと猪熊弦一郎、マチスのカタログもぜひ合わせてご覧ください。
YONA Megumi
最近読んだ本の中に、ユジノサハリンスクと豊原が出てきた。
ふたつは同じ場所を指すのだが、時間が違っていた。ひとつは林芙美子のもので、もうひとつは東京するめクラブのものだ。どちらも紀行集で思いがけず出会った。きもちのよい旅だった。
自分は朝鮮人で、ロシア人でもあって、日本人であるというのは一体どういうことか、私にはうまく想像ができない。サハリンはたぶん寒い。つめたくて冬が深い。朝、蛇口をひねると水がちぎれるようにつめたくなった日本の12月。サハリンは、ここに住む私にはうまく掴めない。
写真家・新田樹の撮るその場所は、どういう訳か「そこ」に感じる。遠いサハリン、でもそこにある。「ここ」にはないだって、サハリンはここから遠いでしょう。この遠さ。これは写真家の力量に他ならない。
写真そのものは静かだ。それは憚らず冬の静けさ。雪解けがせせらぎを孕むように、著者の言葉が添えられている。
本書はスモークブックスの店頭で、お手に取ってご覧下さい。
YONA Megumi
Sakhalin 新田樹
2022
夏がきらいなのに、夏の記憶ばかりが美しいのはなぜだろう。
夏がきらいです。
私は暑がりだし、それに夏の命はすごく美しいので、春のことなんてすぐに忘れてしまうから。
イギリスの夏は短いという。
日本の夏はやたらと長いですよね。
束の間の秋に、夜の木場公園を歩いて思ったこと。
冬至に向かう電燈で遊ぶ子どもの声とボールの音。
犬が踏む落ち葉の音と、軽装の女と電話の声。
そういえば、家の庭にあったハナミズキの葉が燃えるように色づく秋を、私は好きだった。
あの色。
どうしてこんな大事なことばかりを忘れてしまうのだろう。
「みどりの王国」を読み終わったあと、私はスツールの上でしばらく本を抱きしめていた。
さまざまに錯綜した、光ある庭を思い浮かべて。
YONA Megumi
戎康友 鈴木るみこ
2023
ちょっと前、ある雑誌のバックナンバーをウェブアップしてた時、もうなん度も目にした写真家の名前が目に入ってきて
「まーチョットみてみっか」
とページをめくった。
私はいったい、今まで何を見ていたんだろう、と思いました。
どれも同じだ、といつの間にか私のどこかは思うようになっていた。
私たちは何か発見に対して「これは時間がかかるな」と思うがはやいか「知ってる知ってる」で過ぎてしまうことが多すぎる。観念的な急を要して。
それに対して「ああ、アレね」と興味のないフリをすることがまともであるというていを取る人も少なくない。
怖いのです、今日まで知らなかったことが。知らなかった時間が。
いま自分が感じたことを、ないがしろにはしていませんか。
いま一度、胸に手を、当てなくたっていいから考えてみるのはどうでしょう。
これは路傍の書店員からの、ちいさな提案です。
そういう出合いを、私はもうすこし待ってみようと思います。
YONA Megumi
あれ、私だ、とおもう。
すばらしい抽象画に出合う時、私のどこかはいつもそう思っている。
あれ今こうまんだって言いました?
またこれは違う、ということだけが分かるということがよくある。正解がわからないのに、これではない、ということだけを確信している。
ええ高慢でいいです。
「これから現前してくる世界の予感」小松崎広子
ごくっと息をのむ。
この感覚は、おそらく私たちが生まれるずっと前のこと、ひいては人間なんかが生まれる前から、ずっとそこに、あらわれていたのではないか。
そう、ここは静かだ。
しずかで、まるであなたみたいで、やすらぐ。
私は黙っている時の方がおしゃべりなのだ。
YONA Megumi
鳥が好きです。
彼らのこびないよそおいが大好き。
例えば青い鳥で有名なカワセミなんかもそうですが、彼らの青い羽根は青い色素をもたない。*
なのに青くきらめくなんて、ほんと夢みたいに美しいと思いませんか?
夢で描く、ということをGernerは知っています。
これはシギで、こっちはヒタキ?これはどう見てもアオサギだけど、でもこっちは?
空想と現実のはざまで、彼は得意のデザイン性を持って楽しく描いてる。鳥たちがくわえてるものや、足元に落ちているものもなんだかたのしい。
鳥はみんな、みんな違う。なのにみんな鳥。
鳥は自身の色の素晴らしさ、フォルムの愛さらしさ、声の魅せ方をよおく知っています。
だからこびない。でも決して卑下しない。
そういう本質的な美しさみたいなものを、Gernerはよく知っているし、私たちにそっと教えてくれます。
次作の「Chiens」もたのしみ。
*構造色と言われるもの。光の角度や波長の干渉によって私たちの目には青く見えている。
YONA Megumi
Oiseaux Real And Imaginary Chromatic Inventory Jochen Gerner 2021
「どうしてこの作品が、こんなにも有名で、こんなにも多くの評価を得られるんですかね」
おそらくは半世紀は経ったであろうポップアートについて、私はバカみたいに真面目に聞いた。
私はそれが、聞くのにはいくぶん遅すぎていたし、拙劣な質問なんだと分かっていたので、半端ににやついていたんだけれども、目を合わせた店長はくすりとも笑わない。彼は人の真摯について笑わない。
「作品自体しかりこれを作品だ、これは僕の作品です、って言いきってしまうところに、何か説明のできない凄さがそこにあるんだよ」
長いあいだ、うじうじといじり回していたある問いについて、突破口がすこし、でもその隙間から確実に見えた、と思う瞬間でした。
例えば彼の「カメラワークス」。
そうこれは写真作品ではあるけれど、あすこを繋げたり繋げなかったりして、またひとつの作品を生んでいる。
ココにこの写真を持ってこないでこれをコッチに持ってくるんだ、というところには驚いてしまうし、私だったら足がすくんでしまうような見返りのない確信がこの作品にはある。笑ってしまう。笑ってしまってやられた、と思う。
この夏にはじまった東京都現代美術館の展覧会、ぜひ暑いうちに行きましょう。ぐらぐらとゆれる青い水面の、プールにも行きましょう。
YONA Megumi
この世の万象はすべてメタファーだ、と彼は書いてきた物語のあちこちで言う。だから私は読めば読むほど二重の視線で物語を読んでいることに気がつく。
私と、私を見ているわたしだ。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にハッとした人間は一体どのくらい居るんだろう?と私は静かに考えてみる。今は夜なのだ。
そのうちのほとんどは、肩に乗せられた手に気づかなかっただろうな、と思った。それから短くはない歳月が流れた。またかつて振り返ったひとはその顔をすっかり忘れていて、首をひねってまた前を向いた。あの、という私の声が流れてしまった。眠くなってきたから欠伸をした。それでよかった。歩いてゆくひとの気配が遠のく。
私が置いた背表紙を見てムラカミハルキ、と彼女は呟く。
「わたしもよく読んだよ、若いころ。なんにも覚えてないんだけどね」
あなたは言う。
間違った部屋のドアを開けてしまった人が、へたな言い訳をするみたいに。
YONA Megumi
静かで無邪気、真実でみずみずしく、幼くて同時に老成している。
これは真実の虚言だ、と思う。
その言葉をことばとして受け取る前に私は何か気づいている。この揺れを否定しないで、と私のどこかが懇願するように言う。その感情の揺れは、私の場合なみだになって現象になる。
それは限りなく祈りに近い。
神話学者ジョーゼフ・キャンベルが言った「創造的な孵化場」がまさにここにある。
谷川俊太郎は著書のどこかで、自作に対してはいつまでたっても客観的になることができない、と零していたことをふと思い出す。
客観的になれない日々が、どうしようもなく私を作っているのだ。
どうもこの辺りに、詩人・谷川俊太郎の孤高さがあるような気がする。
YONA Megumi
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