午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 

感想大好き塾長・カトウが、書物、美術、音楽、演劇、映画にまつわる感想を書きます。

どうぞご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈プロフィール〉

 加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。

2007年 バンド「august」結成。2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。

初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。

某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。

塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。

某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。

2019年 独立、開業。

(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)

 

 カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。

 都立高校受験対策に特化し、成績アップ・志望校のランクアップを目指します。

 葛飾区東水元にて夫婦で運営しております。

 

カトウ塾 https://www.katojuku.com

 

 

9時間目 深夜のそうめん 「首里の馬」高山羽根子 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

小説なんか読んでいられるか、という現代。

「お元気ですか」など、口が裂けても言えない。元気なわけがない。

 

コロナ。コロナ。コロナ。そして、幼児虐待。虐待につぐ、虐待。また、芸能人の自殺。自殺。自殺。

なんて禍々しい。暗鬱な時代。

 

ゆえに、ちかごろ、私は「〇〇〇〇」とつぶやいてばかりいる。ときには吠える。

「〇〇〇〇」は、汚らわしい言葉である。それは、人間性のかけらもない言葉なら、なんでもいい。「ぶりぶりぶり」でもいい。なんでもいいから、汚らしい言葉を吐きたい。退化したい。

醜い人間になってしまったか。

いや、もとからの醜悪さが露呈しただけか。

しかし、この時代を生きる世界中の人と共有できる醜悪さだ、と私は信じてやまない。みんな持っている、醜さ。そして、同時代とつながっていることに、安堵している。私は、そうして生気を得ている。

鬱々とすることは多い。が、皆が、そうだ、ということが救いで、皆と同時代を生きていることは、ありがたいことである。

 

皆さん、醜悪ですか……

 

 

陰気だ。

 

陰を散じる、スカッとするような、あるいは、パッと明るくなるような、なにか飛び切りの話題はないかね。

 

そんな中、9月号の文藝春秋で、芥川賞が発表された。

 

けっ。またか。

 

どうせこれまた陰鬱でどこかネジの飛んだ主人公が、自分の思い込みで孤独に行動したあげく、破壊し尽くし、さんざんな目に遭う作品が受賞するのだろう。「〇〇〇〇」め。

 

そうおぞましい言葉とともに、文句を垂らしつつ、読んだ。

 

 

で、私は「そうめんのような文章はあるのか」ということを考えたい。

 

いや、そうではなく、考えた挙句、「そうめんのようだ」と思い至った。

 

 

 

それが今回の芥川賞作品であった。受賞二作品ともそうであった。

 

日本語の小説は、日本で話され書かれ読まれている言葉を使っている、という時点で、日本人に読まれることが前提、なのに、「読まないでくれ」と言わんばかりに、しかし書かれた、がんじがらめの、自己矛盾に囚われた文章が好きな私としては、両作品とも、まったくその好みに反する、いやじつに読みやすい文章で、私の瞳からはもちろん、文は、穴という穴から、ちゅるん! と、入ってきてしまった。怪しからんことに。

 

もしそれを可視化できたら、目鼻口にそうめんがぶらさがっていて、それらは常にちゅるちゅると流入している、といった事態になる。

可視化したいものである。

 

そうめんは、日本人に特に夏に好まれる食べ物のはずだ。夏の食欲のない時でも、うっかりすると食べ過ぎちゃった、といったように、あまりに親密ゆえ害が生じることすらあり、危険。その危険性こそ、おそるべき巧者である両作者の狙ったところなのか……。

 

たしか15年ほど前、フジテレビの27時間テレビで、100キロマラソンをしていた極楽とんぼの加藤が、深夜の休憩所に倒れ込んだところ、たしか、そうめんを食べていた。休憩所の近く(あるいは休憩所自体の)コンビニのそうめんを、……ほぐし水をかける式の、あのコンビニそうめんを、たしか、食べていた。

「こんな時にそうめんなんか喰わせやがって」

と、寝ずのマラソンに疲れ果てた加藤は、はじめ、「ばかにしている」と、憤ったが、じっさい食べてみるとうまかったらしく、むさぼるように、たちまちのうちに平らげていった。

付き添いのランニングのプロの人からは、

「そうめんは、エネルギー効率がとくに優れて、疲労に効果的」

と、そうめんを摂取させる目的の説明があった。

味を占めた加藤は、疲れてもいないらしいのに、やたらとコンビニに寄っては、4つ、5つ、……日常生活では考えられない、異常な量のそうめんをちゅるんちゅるん平らげていった。

本来の目的である完走を忘れたかのように、深夜、コンビニを探す加藤の姿は、開眼したか、ものに憑かれたか、狂おしくて面白かった。そして、彼によってことごとく吸引されていくそうめんが、またじつに美味そうで、白光りしたブラウン管テレビの前で私は腹を鳴らしていた。

 

爾来そうめんは、コンビニ弁当の定番品となった。私の。

 

そうめんは、すべて極楽・加藤の馬力に変わるのであれば、有意義である。バカ喰いの憂き目に遭おうとも、そのそうめんは、体内で燃焼し、決して無駄になることはないという。運動で失われたエネルギーを、燃費は案外悪いのかもしれないが、そうめんは補ったらしい。

 

そうやって、私は、私の顔面と文藝春秋9月号との間を、数百本ものそうめんが行き来している事態を隠しながら、喫茶店でもって、ちゅるちゅると読み進めたものだった。

 

喫茶店を出るときだった。

「今月号は、芥川賞ですよね。お読みになりましたか」

店主が声をかけてくださった。口の端にそうめんの先が残っていないか、叱られやしまいか、ひやひやした。しかし、たしなめる様子は微塵もなく、店主は大層穏やかな口調であった。

「ええ。『首里の馬』のほうを。まだ途中です」

「私も読みたいと思っています。どうです、面白いですか」

「とにかく、とても読みやすいです。読めば読むほど、つるつる入ってきます。こんなに読みやすいか、〇〇〇〇、とわめきたくなるくらいに、まあ読みやすい」

「相当読みやすいのですね。評判いいですよね」

「好評なんですか。へえ。今のところは、こういう設定がある、主人公が動く、事件が起こる、主人公がリアクションする、そこへまた事件が起こり、ということが、滞りなく、淡泊に、簡易な言葉で、書かれていました。作者のインタビュー、『手を縛られても足で書く』とか言ってますけど、何が何でも書くぞ、みたいな気迫のようなもので書いた、というようには読めませんよ。物語、というより、事典や記事のよう、文字情報という感触の、そんな類の文章です。酸性でもなくアルカリ性でもなく、いわば中性。一読、つまらない。とはいえ、なにぶん、向こうからどんどん入ってくるので、私もページをめくる手が止まらない。脳内では、めくるめくストーリーが展開しています。こっちゃ溺れそうですよ、まったく〇〇〇〇!」

「ほう」

「ただ、気になることが、ひとつ」

「なんですか」

「それがですね……」

「…あ、おっしゃらないでください。たのしみにとっておきます」

「ふふふ。この先、どうなるものか。僕もたのしみですよ」

 

こう、かっこうつけつつ、出て、脱兎のごとく帰り、即ページを開き、「いっしょに踊る」「いっしょに公園行く」「ゼリー食べる」とせがむ息子を「すまないが、父親はいま一大事にある」と納得させ、読んで読んで読みまくり……、

 

ちゅるるるん!

 

やはり、あっという間に、読み終えた。

 

さきほど、喫茶店でかっこうつけて「たのしみですよ」だなんて言ったものだが、私の精神はとんでもないことが起こっていた。

 

言ってしまおう。

 

空っぽなのだ。

 

膨大な情報は、〈了〉を境に、跡形もなく消えて(?)しまったのだ。

あれだけちゅるちゅると、ページを開けば、どっと流入してきたそうめん。

「もう入らない、腹が、千切れる」と、その膨大さに恐怖すら感じながら、読み終えたものだが、私のどこを探しても、見当たらない。

いやいや、そんなはずはない。

「どうしよう。どうしたものか。どうしたものなのか!」

 

早く探し出してあげないと、この物語は、なかったことになるのではないか。

私の「読んだ」という事実は、いったい何だったのか。

 

しかし、足掻く私の、その動きもまた、すべて物語の一部分となって……

 

「嘘でしょうッ」

 

後部座席の妻が、怒鳴った。

 

チャイルドシートで眠る我が息子の隣に位置した妻にしては、違和感のある声量だった。そして微かに怒気を含めていた。日ごろの彼女の、ごく常識的な言動をかんがみるに、妻の心に、相当信じがたいことが起こっていることは、容易に想像された。

「どうしたの」

そうめんのように曲がりくねった地下駐車場の一方通行を駆けのぼるべく、ハンドリングに余念のなかった私に、今、とりたてて非難される要素は見当たらない。また、非難するのなら他の言い方をするのが、彼女だ。と言って無視できることではない。非難されていない、これで安心、ということはない。つまり彼女の咆哮は、とりあえず私からの声を求めているように思えた。なにせ車内には私たちのほかに息子が眠っているだけなのだ。

「どうしたの」

私は繰り返すのだが、しかし、いっこうに返答は聞かれない。

きっとスマホで何らかのメッセージか、あるいはニュースか、情報に触れ、信じがたい気持ちになったのだろう、と思われた。だとしたら、いま、その文字情報を得ている最中なのだろう。私の声を捉えないほどに集中して。

ならば、私はバックミラーを操作して彼女の顔面を見たかった。画面の光が反映した顔面を、スマホを見ている証拠としたかったから。

だが先ほども述べた通り、私はそうめんからの脱出で、手いっぱいなのだ。

バックミラーには、追尾して来ている白いBMWの、その顔面。襲い来る四つ目の怪獣のよう。奴め「安い国産車のくせに俺の前に立つな、蹴散らしてくれる」と嘲笑しているにちがいない。私にはバックミラーの角度を変える余裕はなく、またそれは危険にちがいない。

 

私は、一刻も早く、伸びきったそうめんから抜け出なければならない、という気でいる。

これは永続する、たった始まりに過ぎないのかもしれないのに。

 

8時間目 洗濯する人生 「吊籠と月光と」牧野信一 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

洗濯物を、回すぞ。

 

 洗濯。これ、吾輩の日課であり、朝食前の、足腰の小運動、寝息の充満した室内気の撹拌、夢魔の退治。

吾輩は一家の長であり、また同時に、一家の洗濯大臣でもある。

洗濯、それは、拙宅の目覚めを表明する儀式である。

 

是非とも、回さねばならぬ。

 

 洗濯機の、その図体の現実的頼もしさときたら、不動の定位置、ランドリールーム、兼脱衣所、兼洗面所にて、洗面器を盾に、ずどーん、陣取ったその雄姿。拙宅のは、ドラム型には非ず、寸胴型。

液体洗剤の投入口へ、洗剤を流し入れる。江戸っ子の吾輩は、規定容量に比して、ほんの数ミリ、多めに入れる気づかいだ。

 洗剤が、果たして寸胴内部へ流れ込むか? 

目視、確認。これ、肝心。

 冗談ではない。わらってはいけない。

液体洗剤は、洗剤の分子同士が渋滞を起こしがち。

洗い終え、蓋を開けたら、洗剤は青色のまま投入口にとどまっていた、ぴえん。ということが、ある。

そうとなっては、水の中でくんずほぐれつしてから脱水しただけ。いわば、戻した乾燥ワカメをまた干すような醜行。肝心カナメの汚れの真髄、油脂等は化学分解されずに沁みついたまま。はい、やり直し。水と水道代金と時間とを下水処理場にぶん投げる、非生産的な失態。情けない。ぴえぬ。

 落ち着け、下水の処理場は何のためにある。処理施設にて、それらは浄化され、無害な形で自然に還るのだからまあいいじゃないか。……などと、アナタ、トンチをきかせるだろう、が。

言っておくが、それ、あまりにムシのいい話。吾輩の住む地域も、貴殿お住まいの地域も、きっと、下水道料金、として下水を浄化する手数料を水道代金の内訳として支払っているのだ。水をただ通過させても、その分、とられるのだ。お主ぬかったな。吾輩は、寝グセや流行を気にしない求道者、にはあらず。吾輩はしょせん、ファッションが気がかりな、並の生活者だ。「並の生活」とやらを、けっきょくは、求道、してやいませんか、というお問い合わせには一切応じておりません。

 

洗濯物を、干す。

 

さっさと干したい。グダグダしていると雑菌が繁殖するんじゃなかろうか。ならば、なるたけ、能率的に干したい、完膚なきまでに干し切りたい。

干し。ここからこそ吾輩、洗濯大臣の、大臣たるゆえん、腕の見せどころ。むんず。

濡れた衣類を乾燥せしむる天然空気を前に、「洗濯物を干したい」、吾輩の欲望など、くず。纏わりついたH2Оを気化すべく、コンロの火にくべる、というアイデアも、手っ取り早い方法かもしれないが、燃え移り滅ぶ危険性が大きく、しょせん人為は巡り巡って人間に毒である、という、好例ぞ。

かけまくもかしこきあまてらすおおみかみ、かとうけのおおかみたちのおおまえをおろがみたてまつりてかしこみかしこみもまをさくおおかみたちのひろきあつきみめぐみをかたじけなみたてまつりたかきたふときみをしへのまにまになおきただしきまごころもちてほしみのみちにたがふことなくおひもつわざにはげましめたまひてんをもちをもきよらかにはれさしめたまへ、晴天成就の呪文を唱え、カーテンを開けると、果たして雨であった。

 

こういう時は、慌てず騒がず、部屋干しへシフトチェンジ。

部屋干しは、しょせん、窮余の一策。死に体で、苦し紛れに一撃喰らわせた感。

ゆえに、ぜんぜん吾輩の高揚感出ない。先ほどまでの自然との不思議な一体感はとうに消え失せている。

が、そもそも吾輩のテンションが、洗濯物の乾燥如何にかかわるウソはない。テンション上げても、下げても、なぜだかわからん、衣は干されるのだ。涙は乾き、季節は巡るのだ。

吾輩は、敬愛する清掃マイスター認定講師のブログを見ながら、生乾き臭を防ぐべく、部屋のあちこち、縦横無尽に洗濯物を張り巡らし、扇風機の風を当てた。よし、腰に手を当て、大臣ホッと一息、ついた。

吾輩は吾輩を褒めたい、と初めてのように思った。そして、これが、じつに良い眺めなのであった。吾輩の創意工夫の跡がそこかしこに映じられていた。喫煙者であったら、ここらで一服、やる段である。

しげしげと眺めやるに、せめて天よ、曇りであったらなあ……と、割り切れない気分にも苛まれもする。

本来なら、靴下は1ハサミにつき1足セット、のところ、室内では空気に触れる面積の最大確保が肝要とあって、1ハサミにつき、片方ずつぶらさげているし、手ぬぐいなど3枚1セットにして、2ハサミでいきたいところ、が、これもまた、1枚ずつ2ハサミを使用している。手ぬぐいごときが? てやんでえ、とむかっ腹さえ立ってくる。

 

ふと、吾輩は、風にそよぐ吾輩のパンティーを手に取り、「これは昨日穿いていた。が、これが今日中に乾かないと明日穿いていくパンティーがないわよ」と気づく。折からの雨続きで、吾輩のパンティーは自転車操業が続いていた。明日晴れてくれればいいが。

 

 穿いて、洗って、乾かして。また穿いて、洗って、乾かして。そしてまた、か……

 

 なんと、これは、地獄ではないか。

 

 永遠に続く、生活の輪舞。

あるいは、骸骨のサウナ、か。あるいは、先祖代々強迫神経症、か。賽の河原で石を積んでも積んでも鬼に崩される、例のやつ、か。

 

吾輩が、人為と天為のはざまを往来しつつ、いくら手塩にかけて洗濯せしめたところで、汚れた衣類はタスクとして溜まっていく一方で。カラの洗濯籠を持って、ランドリールーム兼脱衣所に向かうと、すでに子供の汚したエプロンが放ってあった。洗濯したそばから、これだ。これが洗濯の、実態。

理不尽、と思わずにはいられない。

 

 そもそも、汚れるのがいけないか。生きていると、汚れるもの。細胞の遷移の末の老廃物が、剥がれ落ちる。生きていなければいい。ならば死ねばいい。ああ言えばこう言う。

 

 

 死。

 初めてはっきりと意識したのは、12歳の頃。夏の夕暮れ。家へ帰ろうと、自転車をこぎこぎ、近所の寺の入り口にさしかかったとき、面妖だなあ、お化けがでるってかあ、と、一辺倒な印象を抱きつつ、ふだんは避けていた墓地を、なぜと言うわけでもなく、なぜか、その日は、じっと眺めてみた。

 墓石の背後から突き出た卒塔婆が、風に揺られてカタカタと鳴っている。墓場らしい、何ら、いつもと変わらない、いつもの風景であった。

 しかし、そのとき、その「いつもと変わらない」を、私は初めて意識してしまった。

その景色は、私の記憶では何も変わらなかった。たしか前回見たのはおとといだった。またその前回は、そのまたすぐ前日だったはず。近所だから毎日のように通りかかり、目にするのだった。そして、おそるべきことに、5年前もたしか、ほぼこの景色、このまんま、一辺倒、ワンパターン、だったのだ。

私が笑ったり泣いたり怒ったり、体重が増え身長が伸び、もがき苦しんだりしている、つまり、成長していく、その過程を経ても、その墓の景色に、何ら違いは生まれなかった。火の玉でも出てくれた方が、まだマシだ。死者の居場所に、奇怪も奇跡もなにもないのだ。人は死んで、骨になって、ただの物質となって、そこからあとは永久に、何一つ、なさない。それが、死。そして、私もいずれその「いつもと変わらない」風景の一部となる。それは生まれた瞬間に、決定している。

 折角生まれたのに。

いずれ来る自分の死。人間のひとつの段取り、として漠然と想定してはいたが、このとき気づいた、「加藤亮太がワンパターンの風景に帰する具体的な予定」、これは信じがたく、あまりに理不尽に感じられた。

 心臓がわしづかみされたようで、どっと汗が出て、目の前は薄暗くなり、ペダルをこぐ力はへなへなと抜けていくのだった。

死ぬのだけは、いやだ、が、あの風景の一部になる日は、遅かれ早かれ、絶対に、来る、ということ。もうどうしようもない。

 そして、一家の集う夕げの場。

祖父母や母を前に、なかなか喉に通らなかったものだ。

この人たちは、死ぬ。順調にいけば、祖父母が先に死に、そして母が死に……

なぜ平気でいられるのか。死は、刻々と迫っているというのに。平気でご飯をよそったり、平気でテレビを観たり笑ったり、風呂をわかしたり、着替えたりできるのか。平気で、洗濯物を干すことができるのか。

 

 昭和11年、牧野信一は自死した。実家の納戸で、縊死した。39歳だった。

 牧野の文章は……西洋文学という餌を目前に、飢渇にのたうち回るモンスターの暴れを制御しようと、作者じみた人が、何とかそいつの背にまたがりながら、そいつの排出する文字を、どうにか拾いあげて読解し刻んでいく。じつはそのモンスターの正体、貧弱な駄馬なのだけど。作者じみた人は、気づいていないふりをして。こみ上げる喜悦にエビぞって。目ん玉血走らせて。……と、もはや何の説明をしているのか分からないが、それでも、そう言いたいほど、語のつらなり、文のつらなりは、ギリギリ狂う寸前、奇跡的に空回りせず、もんどりうっている。もんどりうちの、度合いは、作品による。(たとえば「吊籠と月光と」、もんどりうっている。また、本書収録外では「西瓜を喰ふ人」、もんどりうっている。)

 牧野はもんどりうった挙句、自ら死んだ。

 牧野は、いずれ来る死への恐怖に耐えられず、のたうちまわったのか。作品と自死とを結びつけると、そうかもしれない。

あるいは、(…いや、おれはこう思う)、牧野は、死、ではなく自分の生、こそが、理不尽だ、と思っていた、許せなかった、のではないか(?)。自分の今が、こんなわけがない、と、拒絶反応で、書いたのではないか。そうでなくして、あんなにまで、狂喜の叫びと大笑いで、獰猛なまでに生き生きと、もんどりうつことができようか……

 

洗濯物を眺めながら、吾輩は隣室の妻へ、

「洗濯をしたら、本を読みたくなってきたぞ。さあて、何を読もう!」

 と、気色ばんで、声をかけた。

 見ると、妻は、くるくると転げまわる息子(あたかもモンスターのように)を、あやしつなだめつ、おむつ替えをしているところだった。シートで拭きあげたその柔い尻には、赤赤と、あせも、が広がっており、痒いらしい、薬を塗ってやらねばならない。

 そして、キッチンの方から(といっても目と鼻の先だが)、電子ジャーが、ご飯の炊き終えたことを電子音楽で知らせていた。

どうりでこの一帯、面妖なにおいが漂っているわけだ。

 妻は、眼鏡をかけていないのにも関わらず、眼鏡のようなひらべったい瞳になって、あごで向こうをしめした。

 そこには、先ほど取り込んだ洗濯物が、山をなしてあった。

 洗濯大臣は、この、取り込んだ後の洗濯物をたたむのが、大の億劫で、時折逃げるのであった。が、このまま、逃げて、本棚へ向かってしまうと、「自分の好きなことばかり先行する夫、自分のことはすべて後回しして虐げられている妻」という対立構図ができあがり、妻が理不尽を感じてしまいかねない。

 生への激しい理不尽の怨念。

それはまさしく、牧野信一。妻だから、牧野信一子、となってしまう。

 妻が牧野信一子ちゃんになって、世を厭い、家を出ていかれては、いけない。

 吾輩の、毎日の大好きな洗濯物仕事は、自分だけの衣類ではとてつもなく張り合いのないものなる。それどころか、妻子に逃げられては、吾輩はひとりで生き地獄に落ちる。

すると、吾輩もまた、牧野信一になってしまう。吾輩は亮太だから、牧野信一太……

 

 ……ともかく、一刻も早く洗濯物をたたもう。どうやら吾輩は、ただ単に、「生活」が病みつきなのだろうから。

 

7時間目 大人の本音 「和解」志賀直哉 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 私は、私小説が好きなのだ。

 私小説ばかり読んでいるので、ちょっと見ると、私小説バカのようだが、私小説ならなんでもかんでもウェルカム、ということではなく、私小説にも優劣がある、ということも最近わかってきたのだ。愛ゆえに。愛の深さゆえに。とうとうえらいものだ。

 

 また、ラジオが好きなのだ。

 ラジオ好き、といっても、ラジオ受信機本体のことではなし、ラジオ番組が好きなのだ。

 だからラジコ、というアプリをスマホにダウンロードし、便利にタイムフリー・エリアフリーという機能に月額350円税別まで払って、で、「聴取。」という気になって、一向かまうもんか、インターネットを介してパケット通信で音声ファイルを随時ダウンロードしながらの、所詮スクリーミング、所詮上滑り、手元にはなにも残らないし、決してリアルタイムでない、と分かっても、題目は音声の内容、なのだから、それでいいじゃないの、と、事足りて、まあ、それで、満足なのだから、屁の河童なのだ。

 

 コロナパニックを経て、ラジオ聴取の度合いは、いや増したものだ。

 テレビをつけたところで、ニュースは不確定な情報ばかりを、味気ない分割画面で流すか、精彩のない再放送ばかり。文句を言い言いしながら我慢して観る自分にも、我ながら幻滅を覚えたものだ。それでラジオの度合いは、いや増した。ちまたでもラジオの需要が高まったとも聞く。

 

 ラジオ番組、あれこれ聴いた上で、完全私好みに、甚だ心許ないながら、選りすぐると…

 月曜は「ビバリー昼ズ」高田センセイと松本明子、火曜は、「デイズ」中川家、深夜に「爆笑問題カーボーイ」、水曜は無し。木曜は「ビバリー昼ズ」ナイツと清水のミッちゃん、深夜に「おぎやはぎのメガネびいき」、金曜は朝から「あなたとハッピー」春風亭一之輔と増山さやか、そのまま「ビバリー」高田センセイ、松ちゃん、磯山さやか、夜に「問わず語りの神田伯山」、土曜は無し、日曜は、夕方「バラカンビート」、夜「有吉弘行のサンドリ」、深夜「デイジーホリデー!」細野晴臣。これらを、できるだけリアルタイム、あるいは塾の行き帰り、小分けに聴いている。……少しウソをついた。バラカンビートは少しウソである。カッコつけすぎた。

 ラジコのタイムフリー機能は、聴取期間が放送後1週間なので、聴いている最中に、ふいと切れることがある。あれには腹わたが千切れる思い。また、インターエフエムの「ワットザファンデイ」が終わったこと、あれにはいや増して断腸の思いであった。

 

 神田伯山には、ラジオの冒頭、常套句がある。

「子どもの頃、私にとって、ラジオは大人の本音が聞ける場所でした。今ならネットで本音はあふれていますが、人に届く本音、言葉を選んだ本音を聞けるのは、私にとってラジオだけだった、と思っております。」

 最後が過去形なのが、意味深い、良い。毎度、丁寧に喋ってから、「そうそう」と、また、これもまた毎度、ネバっとした声色で自己紹介前の、いわば「マクラ」みたいな導入部へ突入する、のだが、私にとっては、このなか、「ラジオ」を「私小説」に読み違えても、通る。

 

 私は、どうしてスジがいいことに、小学5年の頃、芥川龍之介に感服し得たのだ。

 きっかけは、いかがわしい訪問販売を真に受けたママ、つまり母がもとめて、与えてくれた。紺の布地に金文字の豪華装丁、児童文学名作集みたい、聞いたこともない出版社による、マガイモノをつかまされた。しかし印字された情報自体は、紛れもないホンモノの小説集・説話集であったので、その中で出会えた。さらに新潮文庫を買い求めた。

 芥川と他作品を比べたとき、当時、私は、こう思ったものだ。

「芥川龍之介は、命がけの小説だ。他は違う。命がけの小説が読みたい」

 

 私は、いよいよ天才なのだ。

 

 しかし、私は、うぬぼれたのがいけなかったのか、いじめられることになる。

 事の発端は、いわば、黒船の襲来であった。というのは、黒船、すなわち、ひとりの転校生である。

彼が新文化として持ち込んだのが、ダウンタウンであった。世にも新しいダウンタウンの笑い、その冷血が、転校生とともに、我が東水元小学校にもたらされたものだ。

 私は志村けん流ギャグを繰り出す、「かとペン」とあだ名され愛される、平和な笑いの王様として君臨していた。挨拶ギャグ「かとペンスマッシュ」や、うるさい教室を静かにするギャグ「シーシースプレー」に、「トイレが僕を呼んでいる」というオリジナル曲まであり、録音され、掃除の時間、教室で流されていたものだ。

 そんな我が覇権が、ダウンタウンの「さむっ」という、硬質なスタッカートの鞭でもって、いともたやすく粉砕され、潰えたものだ。学級長の常連であった私の心は粉々になり、それを拾い集めるものの、その動作も「さむっ」と蹴散らされ、やむなく追随するも「さむっ」と指摘され、身動きのとれない、一挙手一投足「さむ」く、がんじがらめなのであった。「PTA」が「子どもに見せたくない番組」と言えば言うほど、子どもにとってのダウンタウンの価値は増すのだから、私からしたら、あれはネガティヴキャンペーンであった。「PTA」、あれは、子どもにとって、何の役に立っていたのか。まあいいじゃないか。

 

 ママ、つまり母に相談すると、「持ち前のギャグで面白く返してしまえ!」と諭された。が、私がそれを健気に行えば行ったで、ダウンタウン流の罠に嵌まっていくのだから、蟻地獄から逃れる術は、ないように思えた。

 また、女子たちから放課後、屋上付近の踊り場に呼び出された。そのときの私の状況、また、彼女らのキツネじみた顔つきから、いやな予感がしたが、案の定「かとペンっていじめられてるよね」との追及だった。

「は? なに言ってるの? さぶいわー」と、私はタヌキの顔でその場を逃げ去った。

 

「自分がいじめられている、と周りにバレた!」というのは、いよいよわがプライドの危機に、差し迫ったものがあった。毎年恒例のバレンタインチョコをくれる女子たちに「バレている」。これは、恥で、窒息死しそうであった。びゅうびゅう向かい風を受け、断崖絶壁に立っている気分であった。トゥモローネバーノウズ。絶体絶命のピンチ。そう見えた。

 

 が、ひとつ、ひらめいたのだ。

 窮地で耐えていて、ひとつだけ、思い浮かんだ。

 それは、暴力。

「さむ」と言う、彼の顔を、私は張った。

 教室中に、パーン、と破裂音が響き渡った、と記憶している。手のひらがびりびり痺れ、意識が遠のいていくようだった。

 彼は泣き、私も泣き、周りの子も泣く奴がいて、担任の教師はようやく動き、晴れて、私へのいじめはこれにて、終了したのだった。

 

 そうして、私は死の淵を見つめる、地獄の季節、思春期少年のドロドロ闇へ、つまり、深夜ラジオの世界へと落ち込んでいくこととなる。

 

 そこで私は、神田伯山の言うよう「大人の本音」を聞きたかったのかもしれない。

ラジオは、楽だ。聴いているだけで、「本音」にできるだけ近い言葉を得ることができた。

命がけ、とまではいかないだろうが、テレビでは決して受け取ることができない冷めた言葉のやり取りの中でこそむしろ、人間の誠実さがあり、私はそれを喜んだ。

猥雑なぬかるみの中にこそ、砂金が混じるのを、暗中に見た。

 

 今回、ラジオにハマるのは、中高生の時以来、2度目ということになる。コロナの窮地にあってか、手が伸びた。

 

 同様にして、私小説へも手が伸びた。

 

 私小説を読むと、「大人の本音」が、その作者の声色でもって聞こえてくる。

  とはいえ、真の私小説執筆とは、ラジオのようではなく、もっと残忍な作業に思える。

 作者は、「私」を主人公に据えるためには、自己を客観視しなければならないだろう。

 徹底的な客観視、それは、自分を一旦、亡骸にすることだろう。

 一度、自らを殺す。哀れ死体となった自分の、腰を持ち上げ、頭部を持ち上げ、歩かせて、それを中空から描写する、という半狂の気概がなければならない。

 生々しさなど、無用。乾き切った骸骨に、ホネホネ音頭を踊らせて鑑賞。自己を徹底して突き放し、物語のイチ登場人物として、操作される入れ物の、虚しいポーズは、自己ミイラ化、自己サンプリングとでも言おうか。

 

 私は、それは、一種のギャグ、だと思う。

 命がけのギャグ。断崖絶壁の、絶体絶命に出る、ギャグ。

 絶体絶命のときに、出た、あの私の暴力は、あれしか思いつかなかった。人に暴力をしてはいかん、と分かって、しかしそれしか出なかった。あれは、二度と使えない最悪のギャグだった。以降、かとペンスマッシュをはじめとするすべてのギャグは、封印したものだった。ギャグを、封印、とは、またたいそう得意げで、我ながらうすら寒いのだった。

 

 さて、志賀直哉の「和解」は、父子の和解を扱っている。

私は、志賀直哉が、好きだ。大好きだ。

志賀の私小説は、自分の心境を取り上げて、品物のように並べて、しげしげと眺めるようなことをする。心境まで、まるでミイラの展示のように、取り扱われる。

出会ったのは、大学生の頃だった。もっと早く出会いたかった。

志賀直哉の文章は、たった、一文で、志賀直哉と分かる。また、ほんの数行読んだだけで、彼のひととなりが分かる。「人の幸せとは、結局、人と会うことで発生する」と、人と会うことが苦手そうなバンドメンバーから、聞いたことがある。志賀の文章は、たった数行で、彼と会った気になるのだ。まったく正直に、自己を表現し得る、すごい人だ。自己サンプリングにより、正直さの、その良さを、まっすぐ伝えてくる。伝わってくる。命がけ、という言葉にある深刻さや赤裸々な感じもなく。……

 

さて、これから引き続き志賀直哉の話とは、長すぎるだろう。ここで筆をおくことにする。

 

 

午後3時のカトウ塾 加藤亮太

〈プロフィール〉

 加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。

2007年 バンド「august」結成。

2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。

初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。

日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。

某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。

塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。

某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。

2019年 独立、開業。

(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)

カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。

都立高校受験対策に特化し、成績アップ・志望校のランクアップを目指します。

葛飾区東水元にて夫婦で運営しております。

カトウ塾 https://www.katojuku.com

 

 

6時間目 言葉の消毒 「秘事」河野多惠子 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

これらの言葉、および文は消毒していません。

 アルコール消毒液等を散布ののち、気をつけてお読みください。

 

 消毒済みの文章とは、なんなのか。

 そんなもの、あるのか。

 

 新聞の文章は。

 あれは、文章のなかでは、最も消毒されたものと思われる。一見。

 が、いまや紙面にはコロナ感染症の情報ばかり。

 いや、もちろん、その情報は、大事なこと。冷酷だが、現実。その状況は刻一刻と変化し、我らは臨機応変に、かつ、厳正に対処することを求められる。

 どうすべきか。事態は深刻だ。

 本当に、どうすべきなのか。

 

 だがさて、脳内まで感染情報が浸透しきることはどうか。二六時中、気にしすぎることはどうか。結果、私みたいに、ストレスによる頭皮湿疹に悩まされることになってしまっては、どうか。痛痒い。が、不潔な指先で触ってはいけない。緊急事態宣言前に処方された塗布薬、それは、切れてしまった。治りかけていたが、しかしぶりかえした。そして、コロナが怖くて、いまだに皮膚科に行けていない、なおさら、痒いから行きたい、が……、という苦悶の日々が続いている。

 

 これは私にとっての本当の話だ。危機を茶化す気は、毛頭ない。

 

 言葉は、新聞の記事でさえ、危険をはらむようだ。

 

 じゃあ、批評は。詩は。ルポは。論説は。ネット上のつぶやきは。

 私からしたら、すべて、危険だ。

 消毒されたものなどなく、無菌状態ではない。そういう意味で、危険だ。

 

 小説は? 

 小説こそ、人為のたまもの。

 その文は、猛毒だろう。危険極まりない。

 だいたい、陰気でいけない。小説なんか。洗えるもんなら強い酸で洗ってやりたい。

 

 やはり、消毒された言葉などない。

 それどころか、手垢にまみれている。

 言葉は、コロナウイルスは生まないかもしれない。が、危険思想、痛罵、拷問、呪縛、淫風、病癖、醜聞、傲慢、悪霊、風評、SNS疲れ、男女間の揉め事、などなど、多様な毒を生む。

 言葉は、せっかく無菌状態の保育器にいた人間を、毒す。

 言葉は、毒の根源。

 

 統制せよ。本という本はただちに燃やせ。

 完全に抹殺するために華氏451度の業火で……そんな映画もあった。

 

 だが、私はひとつだけ知っている。消毒を施した言葉。

 それが、河野多惠子の文章だ。

 言葉は、言葉それ自体持つ意味や印象が、余白へと浸透し、作者の配置した場所から逃げようとする。そういうものだが、河野多惠子の言葉には、無作為の乱れは一切見当たらない。

 その文章、その言葉のつらなり、文字のつらなりは、さながら、日体大名物「集団行動」……

 いや、もっとだ。

 頭から消毒液ぶっかけられた後、ビシッ、鞭打たれ、「ここで立っていなさい」と指示されて、のち、一歩たりとも動くと起爆する即死への恐怖に、永遠に自分の居場所を立ち続けている、といった文字がある。

 それが河野の書く文章。文体だ。滅菌状態に限りなく近い文章を書いた小説家。

 近頃よくきく、「言葉を紡ぐ」、だなんていう、生ぬるい相互偽演出のユルさはない。完全なる支配者として、河野は、文を操作する。そこへ立たせられた文字、言葉、文が、ただならぬ緊張感をともなって、潔癖な文体となり、完膚無きまで紙に刻まれ、永遠に物語を伝え続けている。

 

 ステイホーム、外出自粛、に乗じようと、私も蔵書を漁ったものだったが、これがどうも気乗りしないのである。読んでいたものすら、投げだしてしまった。

 どうやら人は、いや、少なくとも私は、そんな容易に本を読めるものではない。「この際だから本を読もう」といったようなスローガンを新聞などで頻繁に目にする。が、読書にしても、案外、ままならないでいる。

(本稿発表の場所をわきまえると、「本が読めない」と言うのは、不適切であることは承知しております。無礼をご容赦ください。)

 感染予防するための、自粛。その効果の議論はさておき、私は、その仕組みは、理解して気をつけて生活しては、いる。

 が、八方を塞がれ、自由を失っている身にとって、「じゃあ、読書に切り替え」というのは、いささか短絡的過ぎるように感じる。

 読書は、外出していい、観劇していい、ライブ行っていい、会食していい、など、当たり前の自由下にある、つまり、多少の毒を得る自由があってこその、行為のようだ。いや、なにせ、読書こそ、けっこうな毒、という話ではないか。

 そんな中であって、河野多惠子の文章は、消毒液の潔癖がある。作者の企みが極まっているのだ。

 河野多惠子「秘事」。

 文体、文章は、凄然、とも表現していいほど整う。自然発生や、企まれざるの美、など皆無。人為の中の、人為。小説の中の、小説。

 どこかに綿密に隠されているはずの、毒。読者はその毒のにおいを嗅ぎつけたくて進むも、それがおかしい、見当たらない。この長編は、瑕疵のない完全無欠の高層構築物か? 登りきろうとしている、と、これまで頑丈な、頼り甲斐のあった構造が、ふわり、ほんの一箇所、ほんとうに、蟻の一穴、抜け落とされている。そして、その隙間から、世にも愛おしき毒が吹き上がっているではないか。

 そのときの踏み外しの、浮遊のよろこびを、そして、毒の苦しみを、とくとこうむっていただくといい。

 

5時間目 ティーンエイジファンクラブ 「葛飾土産」永井荷風 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 金町駅からの通勤路上でも、梅の花を発見できる。

咲き始めると、「春が来る」と思う。

または、「今年は来ないかも」とも、思う。

 

 私は、梅花の咲く様から導入される「葛飾土産」をちょうど読み進めていた。

 

 作者・永井荷風といえば、彼の死の際の、荷の中身が有名である。ボストンバッグには文化勲章を含めた全財産が入っていた。預金通帳の額面は2,334万円、現在でいう約3億円。他にも現金31万円余也。とは、ウィキペディアで調べたのである。

 私は、てっきり、浅草あたりで行き倒れしたところ、手持ちのバッグからそれらが出てきたのか、とどこかで読んで記憶していたが、間違い。自宅で喀血して死んだのだそうだ。

 

 セミは3年地中にいて、良い頃合いに、這い出てきて、羽化し、1週間後に死ぬ。これもまた有名である。

 同様にカゲロウも有名である。成虫になるまで長く、羽化後1日も経たず死ぬ。カゲロウの命、と慣用句を聞く。

 また、子供向けの科学番組では、虫のアリがいかに力持ちか、解説していた。アリが巣に運ぶ際の筋力の凄まじさ。人間に同じ規模をやらせようとしても、それは並大抵のものではない、と。人間がじっさいにやってみせて、悶え苦しんだ。その表情が大写しになった。

 

 最近は、「ざんねんな生き物」というような図鑑が流行っていると聞いている。「ざんねんな歴史の人物」もある。その本は私も、買って、持っている。それらに出ている者らは皆、一度死んでいる。死後だから、生者は、冷静に分析・検証できるようだ。

「ざんねん」という視点は、斬新。ゆえの面白みがある。その面白みには、また、生命の謎に対する嘲弄も含む。残虐だ。これは巷のお笑い芸人の影響もあるだろう。私は彼らがそれをネタにしていることを見て、知っている。それを見て、私も笑ったこともある。私は、生き物たちに恨まれ殺される予感がなく、恐怖がなく、暴虐な衆愚の一味となり、わらった。

 

 生き物の生態を知っていくことで、判然としない存在が、だんだんと明瞭化され、恐怖心が消えていく。

うろ覚えだが、「リング」シリーズの、貞子の正体はわからないし、ビデオをダビングしたらそこに怨念が乗りうつり、そのビデオを見ると死ぬ、という設定には、ぎょっとさせられたものだったが、話が進むにつれ、その怨念というのは、貞子ウイルスであったのだ、ウイルスに感染すると危ない、だから呪いのビデオ見るときはダビングのそのまたダビングで、みたいな種明かしがなされ、突如として、戦隊モノ番組然として、興ざめした、あの瞬間を思い出す。

 

 荷風の死に際の、手荷物があまりに有名なのは、誰が吹聴したのか、バラしたのは誰の仕業だろうか。どうでもいいけれど。もしかしたら、「濹東綺譚」で面目を潰された、警察権力による意趣返しだろうか。

(名著「濹東綺譚」で、巡査をからかうシーンが、また有名な冒頭だろう。公権力をからかう。小馬鹿にする。このポーズは反権力を自分の旗印にするに恰好のアイテムとなったか。泉谷しげるの曲「黒いカバン」も思い出す)

 

 荷風の死に際は、有名であり、それが現代的な荷風のイメージを作っていることはたしかだろう。死んだ時でも、全財産3億円を肌身離さず持っていた人、というイメージが、苦笑を誘っている。生者に絶え間なく、苦笑を誘っている。そのこと自体は、悲哀である。

 そして我々は、荷風を知ったかぶることができる。べろんと衣服をめくって、解剖した気になっている。ハットをかぶらせてステッキがわりの傘を持たせて、黒いコートを着させて、胸元からは懐中時計のひも、口にはパイプでも突っ込んでおけば、それで完成、とでも思ってしまっている。

 

 永井荷風の「生態」、か……

 

「あの虫は、あと1週間の命なんだよ」と賢しい子供らに悟られて、それで、そのとおり、1週間生き続ける、「ざんねんな」者、か……

 

 

   *   *   *

 

 

 梅花の話だった。

 

「春は来なかった」ということは、私の経験上、ない。

 梅の花を見て、春。そして、春・真っ盛りを連想してしまう。

 すなわち、そう、桜の花を連想してしまう。

 

 野暮。

 

 いや、いいじゃない。桜の花。桜の花、と言えば、酒だ。宴だ。私は酒が、酒に酔うのが、好きなのだ。死体が埋まっている等陰湿な伝説を想起してこそ、その土の上で催されるべき。花曇りの昼下がりの、残忍なあの土の上でのあの宴は、おかしくて、私はたのしみでならないのだ。

 

 悲しくなんてない。おかしいだろう。

 

 外での宴席では、私はきっとスマホの音楽アプリから、Bluetoothスピーカーでもって、音楽を鳴らしたい。

 酒種によって曲を選ぶのもまた良かろう。

 ビールで乾杯。

 そこで響かせるべきは洋楽ならザ・クラッシュだろう。

クラッシュなら、「ロンドンコーリング」をかけるべきだ。あるいは「ギブエムイナフロープ」のほうがいいか。いや待てよ、ここは潔く「ホワイトライオット」でいくべきだろう。さあ! どうしようか。

 

 ……感動を皆と共有できるはず、という確信と、疑念。

 

 同席者へ趣味の押し付けにはならないように、指先がそっとクラッシュを呼び出そうとする。

 独裁者にはなりたくはない。なる権利はない。上座であれ末席であれ、主人は桜だ。桜の樹の下の死体だ。ざんねんな者の死骸だ。なにより、

私たちは、まだ、酔って、いない、のだ。

 

 でもほんとうは、私は、独裁したい。

 

 周囲半径10メートルの見知らぬ人たちにも聴こえるくらいの音楽を、響かせたい。奴らの聴覚世界を、牛耳りたい。

それに何を隠そう、ザ・クラッシュよりも、私は、ティーンエイジファンクラブをかけたい。

 許されぬことは承知だ。

 宴席のしょっぱなからティーンエイジファンクラブを流すなんて、きわめて場違い。百歩譲っても、宴の中盤だろう。その頃には、何が流れているかなんて、誰も気にしちゃあいないだろうから。

 

 ティーンエイジファンクラブとは……ウィキペディア的な解説はコピペしてググっていただければ良い。止す。

 私にとっての、ティーンエイジファンクラブとは、少年性。貪欲に漁った飽きの果て。ロジカルな遊び。無理して出す美声。真面目にふざける。丁寧にひずませるギター。背伸びした視点。そして感情は、失恋。恋愛の喜びよりも失恋感の漂う楽曲が多い(気がする)。失恋の痛手にうじうじと苦しむのではなく、失恋後、ひねくれつつ次の一歩に踏み出そうとしている、無理繰りな感じ。または、踏み出してみたら、発狂しそうな自分を、自ら発見してさらに冷静に狂っていく感じ。あるいは、恋を求むるも、無理だと諦め、厭世的な気分に苛まれて、自嘲するか、世を見切ろうとするか。硬い鉛筆。曇った昼。乾いた空。暗い朝。冷たい土。ふと吹き過ぎる生暖かい風。たんぽぽの綿が飛んだが、滴る雨に落とされる。朝陽に光る産毛。逆巻く芝生。消える虹。深夜都心をTシャツで散歩。器用な栓の切り方。叫ばない。叫び出しそうになる、その手前で、規則的に歌わせるための、無慈悲なリズム。かつての栄光と冷徹な自己批評。

 

 ……こんなもの、響かせてはいけない。わかっている。興ざめというものだ。ビールでカンパーイ、で始まる、おたのしみは、せっかくこれからだというのに。

 

 音楽は、無くなれ、と時折思う。

聴いていても、何の得にもならない。ただひたすら、「かっこいい」と思うだけだ。「それだから音楽はいいのだ」という気分もあるし、「無駄な感情のために時間を浪費していられるほど暇はない」という気分もまたある。ああ、気分、気分だ。

 百歩譲って、音楽はあったとしても、ライブは無くなっていい。ライブに行っても興ざめするだけ。ほぼ毎回私の期待を踏みにじってきた。せっかく好きだったのに、もう二度とそのアーティストの曲を聴けなくなってしまった。ジザメリ。マイブラ。ミスチル。さらばだ。

 原因は音楽それ自体にある。音楽は、聴覚を介して、世界観が増幅するのだろう。アーティストの有する世界と、私に内在する世界とが、楽器の弾き、を介して、ふれ、ゆれ、重なり、響かされるのだろう。そして、響き合っている、と錯覚できる。錯覚。この錯覚の野郎がいけなかった。

 私はライブにいけば、きっと、わが愛したアーティストと響き合うだろう、と思った。いや、錯覚した。

 が、だいたいいつも響き合わなかったのだ。まず、観客が邪魔だ。かっこつけで聴いているようなお前らが、精神世界まで掘り進めた私からすれば、目障りだ。それに、バンドよ、聴いてきたのと、ぜんぜん音が違うよ。なんだ、このうるさく反響するボーカルは。あと、一曲一曲をもっと大事に演奏してほしい。なんか、コーラスワークとか、ギターとか、薄くないか。あと、もっとかっこいい服装を着ていてほしい。あと、もっと表情は暗く、どことなく遠い目をして、あやしく頭を振っていたはず。さっきから頭全く振らないじゃんか。あと、そんな色の縁の眼鏡かけてた? 

 ……ああ、これら落胆はすべて、私の作った、錯角の、錯覚の野郎のせいだ。野郎め。

 

 思い入れの強すぎる、錯覚の多すぎる、私のティーンエイジファンクラブは、日の目を見ることはない。

 ちょっとだけ、妻に、聴かせてみる。ぐへへ。

 すると、

「また、これ」

と言うだろう。うんざりとした、まったく暗澹たる声色で、「またか」と言うのだ。

そこは負けじと、これがいかに良い曲か、健康に効果的か等、言いくるめて、せめて最後まで聴いて、その挙句、「これ新しい曲?」みたいな、興味の芽吹きを得たいものだが、いつも失敗している。

車で流しているとき、他のアーティストの曲の合間に混ぜても、バレる。

 思い入れが強すぎることが悪いように思う。

 

 かと言って、じゃあザ・クラッシュならいいのか、となると、それも違うような気がしてきた。気じゃない、あきらかに、違う。

 

「ロンドンコーリング」の「クランプダウン」は、冒頭、カウント「1、2、3、4」が2度入る。それが私は好きで好きで、涙なしには聴けないから会話できなくなるし、「ギブエムイナフロープ」の「セイフヨーロピアンホーム」ではジャンプしたい衝動に駆られ、ジャンプしたところで私一人の疾走感を、誰にも理解されず、会話、だなんて、くだらんことをしていないでアルバム全部通して聴きたくなるし、「ホワイトライオット」の「ガレージランド」では、地球全員が友達であり、また同時に全員が敵である、拳を振り上げろ、殴り合おう、泣きながら、まずは桜の花を、殴ってみよう、痛い、ばか、ということになるから、残念だが、ザ・クラッシュも駄目だったんだ。

 

 思い入れが強すぎて、周りの反応への失望は、酔いの快楽を下回ることを知らなそうだ。やめておこう。

 

 今のは少し大げさに言ったが。

 

 私が言いたいのは、こうだ。

音楽に思い入れがある場合、花見会場での開宴に合わせるに不向き、ということ。嫌いでなく、好きでもなく、思い入れのない音楽なら良い。

 ここでこそ、クラシックの出番なのか。

 クラシックとは、まさしく、虫の生態ではないか。殺され、解体され、分析され、再構築され、BGMとして使われ、宣材として使われ、回され古され、もうそこには、単なる骨組みしか残っていない。いつまでも肉の腐臭を放ち続けるポップミュージックとは、一線を画する。

 隣のバーベキュー集団から、福山雅治の「桜坂」が聴こえてきたら、私は十八番だから、モノマネせざるをえないが、そしたら、その集団に袋叩きにされるかもしれない。

思い入れとはそういう、おそろしいものだ。手前やるか表へ出ろい、という話になりやすい。

花見には、じつは、ヴィヴァルディの「四季」がいい。本稿を書いていて思い至った。

全国一律「四季」に決まりだ。てきめんだ。桜の花の下で、「四季」。優美で、かつ狂おしくかつ、使い古されている。もしお隣さんのスピーカーが「四季」の冬のパートであれ、そのときこちらが「春」であれ、それらが混ざり合うのも、また、桜の花吹雪の乱舞するようで、よかろう。聴いてみたい。

 

 つまり、クラシックとは、白日の下に曝されるべき音楽だ。

 

白日の下、私のティーンエイジファンクラブやらザ・クラッシュやら、感傷的なものは怯えて縮み上がってしまう。「誰も聴いちゃおらん」という文句さえ飛んでくる。「次はエアロスミスかけろ」というリクエストまで飛んでくる。「何がエアロよ、スミスかけて、ザ・スミス」という声も聞かれる。結句「貴様らそろいもそろって趣味が悪い」とケンカがまた始まる。

ヴィヴァルディ「四季」なら、いくら大音量でもそんな文句は聞かれない。騒ぎは止まる。酔いも止まるかもしれないが。

 

 

   *   *   *

 

 

 先日、新聞の東葛版でこんな記事を目にした。「永井荷風の部屋が移築 決定」とある。市川市の菅野に現在もある生家は、老朽しているが、現在でも遺族の方々がお住まいで、荷風の晩年過ごした部屋も現存している。それを、市川市の新庁舎へ移築、開庁する運びとなるらしい。今年の夏になるらしい。

 

 荷風が死んでいた、あの部屋なのか。

 

「葛飾土産」に書かれているのは、荷風の、まあいつもの、懐古の念、そして、市川にはそのなつかしさが、そこかしこに見当たる、という。自分の記憶で美化された古きよき東京と、市川の風土とをリンクさせて、「昔の東京はこうだった」「市川は昔の東京に似ている。いいところだ」と住まった周囲を愛惜している。永井荷風のティーンエイジファンクラブ? それは違うが。

 が、私がティーンエイジファンクラブに思う、「白日の下には曝せない」という思いと、荷風の書いた文章には、共通点があるように思う。「白日の下に曝せない」ものを、あえて書いてしまった。書いただけならまだしも、世に出した。

心に浮かんでは消える、愚痴のようなものの列挙、(しかも毎度おなじみの)それにしか読めなかった。それは、品物として良いのか悪いのか、わからない。読んで決して面白いものではない。強烈なひねくれおやじの憧憬が、ぶつぶつとぼやくように、沈鬱に描かれている。

 

 生き物の抜け殻は、精巧に、それの抜ける直前の姿形をとどめている。そして、私たちは、「セミは羽化後、1週間で死ぬ」と知ってしまっている。

 捕まえた虫を標本にして、「ここは羽、ここは触角、脚が6本」とやることは、それは異界への好奇心だ、情報を得ることは、責められない。

 

生態を知ること。しかし、私にはどうもやりきれない。

「くすぐれば笑う。息の根を止めれば死ぬ。わざわざ止めなくても80年くらいで死ぬ」

そう言われているような気がする。

 

 今度、開庁する荷風の部屋を見に行きたい。荷風がじつは白日の下に曝したくなかったものが、何かしらあるかもしれない。

あるいは無いかもしれない。

とすると、死すらもすべて曝す、その体たらくまでを、むかしの文士は覚悟しなければならなかったのかもしれない。

 

午後3時のカトウ塾 加藤亮太 連載はこちら

4時間目 口ぐせと言い訳 「戦災者の悲しみ」正宗白鳥 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

「地獄」「地獄のように」が口ぐせ、と妻に指摘された。

「地獄の忙しさ」と言ったり、納豆とキムチをまぜたものを「地獄のようにうまい」とあらわしたりして。

「地獄」の原義からは時折離れ、「顕著」という意味合いにおいても用いてしまうのは、おかしい。

それに、「地獄」だなんて、不吉を連想させる、たしかにいやな口ぐせだ。

 

 ある朝のことである。

私は、

「地獄、は、天国、に言い換えなさい」

 と、啓示を受けた。

 

 先日、新聞の人生相談で、老年の男より、

「私の一挙手一投足にいちいち注文を付ける妻。嫌気がさした。離婚すべきか」

との相談があった。

回答者の、これも老年の男が、

「その妻である人物は、あなたの神である。あなたが世間で恥をかかないよう、あなたが多少不機嫌になり怒りっぽくなっても、それを耐えてでも指摘し続けてくれている、稀有な存在。すなわち神である。それは彼女以外にはできないこと。他人にいちいち文句つけられたらそれこそあなた本気で怒るでしょう。妻であるその人をよくよく守護神とあがめよ」

などとあり、これは、なかなか、こたえた。痛烈であった。

 

 私にも妻は、「かみさん」であることは、これ疑いようもない。

妻の言うことを信じ、いざ「天国」に言い換えてみると……

「天国のような忙しさ」

これは実際そうだ、忙しいのは、ありがたいことにちがいない。

「天国のように美味い」

確かにそうそう、納豆とキムチのまぜたもの。あれは熱々のご飯にかけて、極楽浄土に至るほどのありがたい気分になれる。

単なる言い換えがここまで効力を発揮するとは思わなんだ。 

「天国だ、こんなに道が混むなんて」

「つまらなすぎて、もはや天国」

「この世は、天国だ」

 

・・・・・・

 

 テレビやラジオ、スマホ等から入ってくる情報に、私はいちいちケチをつけている。その対象は、政治、経済、芸能、スポーツ等、多岐にわたる。また、そういった、いわゆる世間一般のことにかかわらず、読書や観劇などの表現活動に触れて、私はその作者や周辺にケチをつけている。さらに、実生活における、ちょっとしたできごと、日常の小事件へも、あれやこれやとケチをつけている。昨日電車でこういう客がいた、だとか、そういった猫も食わない類だが。批評、といった高邁なものとは程遠い、自分のことは棚に上げる、どころか、それを餌に自らを正当化するのだ。ずるいなんてもんじゃない。標的が、手の届く相手じゃあないから、殴られる心配がないうちに「そういう者とはちがう自分」を高らかに宣言する。妻を聴き手に、「毒舌名人曰く」という、風情をやってのける、その気分は、じつに気味の好いもので、吐けば吐くほど止まらぬわが毒に、自ら酔い痴れて、いっしゅ、興奮状態に、至る。

これは、とくに朝。食卓についてから、膳を下げるまで、米粒とばして延々続く。

私からしてみれば、この儀式は、元気の証、元気の表出である。自己顕示の、爆発の朝である。だが、聴き手からは、「朝っぱらから文句ばかりで、たまったもんじゃない」と、たまにチクリ刺される。聴き手が肝心である。独り言するわけにもいかない。

最近、そんな私の様子を、息子が真似し始めた。

人差し指を立て、あちこちへ振りかざして、口をぐにゃぐにゃと動かし、しかし、やたらとまくしたてている。真似だから、デフォルメされているのもおかしい。

が、生来の、われわれの顔面が似ているのも手伝って、妙な気分に打たれた。

……私の内臓のある一面を取りだされて、それを自ら眺めているかっこうで、何か奇妙な感に打たれたのだ。

ぞっと身ぶるいしそうになるのをかき消したい。

で、ふざけてみる。私もその真似をしてみせる。

真似の真似をしてみた。

「おれは毒を吐いてばかりのモンスター、その名も『吐瀉』だ。ぺっぺっぺー」

 すると、彼は泣いてしまった。丸くした目から、粒粒の涙がこぼれる。

単にびっくりしたのだろうが、真似の真似をされて、腹が立ったのもあったかもしれない。それとも所詮私と同様、身ぶるいしたものだろか。

 

・・・・・・

 

 さて、前回の投稿の日付は七夕とあるから、今回まで4か月以上も間をあけてしまった。その原因は、私の生活にある。これは、怠惰なる生活、という意味ではない。

私の生活は、朝8時頃、息子の「マンマ」せがむ声を目覚ましに始まり、「モンスター・吐瀉」になって、午前中は息子と遊んで過ごす。室内で過ごすことも多かったが、最近は歩けるようになり、それでは狭く、物足りないらしい。だからだいたい近くのショッピングセンターへ散歩に行き、結局室内というわけだが、まあ、きょろきょろしながらうろつく。息子が寝てしまえば喫茶店に入れる。そして、パートあがりの妻と落ち合って、バトンタッチ、息子は渡し、単身仕事場へと向かう。そこは、最寄の金町駅から歩いて20分強という、僻地だが、もう慣れたし、道も、行きつけの喫茶店やパン屋、通りかかる家々の様子の移り変わり、などがあって、たのしく通っている。14時オープンし、雑務、経理、宣伝、授業準備等、やることは多岐にわたる。夕方からは、メインの仕事、授業。奇跡のようだが、開業後1年弱、生徒たちが定着した。これを終え、22時頃、教室を閉めたら、帰りは駅まで走る。約2キロ。ストレス発散にもなり、肉体の鍛錬というほどでもないが、健康に良かろう。人の気配まばらな行路、時間であるのをいいことに、音量を大きめにして、イヤホンからはローリングストーンズ、である。嗚呼、ローリングストーンズ。どうだ、まいったか。じつに素晴らしいではないか。素晴らしいでしょう? このバンドの中期と呼べばいいのか、60年代後半から70年代前半のあたりのアルバムを聴いて帰ると、「なにはともあれ、今日もいい一日だったぜ」という気分に浸ることができる。それこそ「天国」である。ずっと浸っていたい気分だ。ストーンズのファンって、革ジャン着てサングラスかけたオッサンだろう、というイメージがあるだろうが、私のようにジャージ姿もいる。どちらもオッサンには変わりないか。そこへ来て、ヴェルヴェットアンダーグラウンド? このバンドのは、こうはいかない。だいいち、彼らの名称からして、一筋縄ではいかぬ。そうはいかない宿命を背負ったバンドだ。先日は「シスターレイ」という長い曲。これは、脚力は出たが、帰宅後、着ていたものを洗濯機に暴力的に放り込みながら、高い度数のアルコールに重い煙草に危ないクス〇が必要な気がしてき、そんなものは拙宅には見当たらず、結局、ざんねんな気分になって、いつもはひとつで済ましているヨーグルトを、なんと二つも食べてしまった。これで残りゼロとなった。選曲次第でわが家のヨーグルトの減りが変わるのなら、あれはランニングには向いていないらしい。これはまさしく「地獄」の音楽ではないか。遅い夕飯を食べ終え、風呂からあがれば、地獄だろうが天国だろうが、布団にはいるのは1時頃となる。

これが私の生活である。

 

言い訳がましいが、息子がかわいくて、仕事がたのしくて、読み、書く時間がなかったのである。

 

地獄のような日々、時間がなかった……

 

と言うと、かみさんに叱られる。

是非とも読み換えていただければと思う。

 

そりゃあ、そうだ。恋女房と愛息とに見送られ、自分の念願だった塾をやって、生徒も来ている。ウソのような話だ。奇跡のようだ。これを「地獄」と? 甚だおかしい。大間違いに間違っている。

……そんなことは、はなから、わかっている。

しかし、どうも、「地獄」と口が動く。毒づく。「天国」と、自分の生活を表するのは、どうも恥ずかしいものじゃないか。

 

・・・・・・

 

正宗白鳥の、彼の後期にあたる作品、私小説「戦災者の悲しみ」。

そこには、私の「地獄」ではないが、作中「私」が、折に触れて、嘆じる、とある口ぐせが、まあ、ひとつ、あり、作中「私」の声の、憧憬する声と、嘆じる声、というか、愚痴る声、それら声と声とが、器用には扱い分けられないゆえに、現実的な問題に際して、やけに超然としてい、それがはた目におかしく、いや、かなり状況はきびしいのだろうが、やはり、おかしい。簡便には言えぬ。ラストは、断絶するが、あれは余白だ。作者の生身の含羞のような空気感に触れて、さらにさらに、簡便に言えぬ。

無理くり、私の生活と作中の主人公の生活とを結びつけて、きびしい状況においても理想を求めるゆえに、虚勢を張った言葉が、切実にある、という締め方をしようとしたが、そんなことはもういい。

本作は、短くも、私が小説に求めるすべてが炸裂する。輝ける、忘れがたき、傑作。ローリングストーンズもヴェルヴェットアンダーグラウンドもそうだが、地獄に落ちても、そこで独りそらんじて、再現せしめればせめて60パーセントくらいは、また興奮を味わえる。だから、死ぬまでに一度、通っておいてよかった、と思えるほど、大切な作品である。

よかったら、死ぬまでに一度お読みください。

3時間目 いつか読書する 「疑惑」近松秋江 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

私は一女に恋し、付き合っていた。が、別れた。関係は、たった一年で、コト切れた。

 しかし私はその女を忘れられず、それから幾度も、女に復縁を迫る。

 

 たとえば、いきなり「プレゼントがある」とメールして、女の最寄り駅で待ち伏せて、ブロマイド入れを渡しに行った。渡すことはできたが、「このあとは」と聞く間もなく、「このあと、用事だから」と先手とられた。「ついていってはいけないよね?」私は女々しい色を浮かべて懇願したが言下に断られ、自分をそれほどみじめな人間にさせてしまうその女をこの場でどうにかしてしまいたい……とうに置いていかれたのに、その考えにとりつかれて白昼の改札口前で突っ立っていた。

 またあるいは、都内の雪予報があった、これにアイデアを得て、仕事終わりの女のもとへ、前回の反省、自分が男らしくないのがいけないのだ、と発見し、就職したフリを通すために、おろしたてのスーツを着込んで実家の車を借りて、女の職場前に乗り付け、「ちょうど近くを車で通った。風邪をひくといけない。送るよ」メールをしたところ、返事がなく、その30分後、「まだ仕事中?」と送ると、その文面は「ERROR」を添えられて返ってきた、つまり着信拒否を設定されたことを知って、ネクタイを緩めたり締めたりした。

 また、たとえば、夜の銀座の交差点を行くあの女に似た相貌の女を、私は追いかけた。(そのころ、似た女を追うクセがあった)追いつめてみると、その女は偶然にもじつに、あの、女なのであった。ラコステの長方形の店内で、偶然なのだが、いや偶然を装って、私は物色するフリで近づいていった。この時、私は酔っていた。「あ」という向こうの反応に気をよくし、「俺は今、映画をやっているのだ。映画好きだったよな。映画の脚本の技術を、今さっき、とある人からうかがっていたのだ。俺はいずれ、映画を撮るつもりなんだ。スクリーンに写したいのだ」酒の力でまくしたてた。青くなった女は、逃げるように、その場を去ろうとした。私が、その硬い背中にかけた言葉は、それでもやはり「このあと、どこか行くのかえ」という、泣きべその懇願であった。すると女は、私との別れの原因の、決定的な人物の名前を出し、その男と会うのだ、と言い捨て、駆けていった。私はその白い背に銃口を向けた。しかし、幸か不幸か、私は実物の銃を持っていなかった……

 こうした懇願を、私は10年続けた。その女と結婚したい、家庭を持ちたいと夢描いていた。

 その10年間、たくさんの本を読んだ。

 また、その女を題材に、いくつかの小説を書いた。

 

 また、映画も観た。緒方明監督「いつか読書する日」の田中裕子演じる女が、数十年の間秘めた恋心を、狭い壁一面にびっしりとつめられた本で、表現されているが、そのシーンを見たとき、私なんかは、わんわん慟哭、禁じえなかったものでした。

 

 私は、本棚に、近松秋江の「疑惑」を収録した文庫本を、ずっと持っている。この小説は、筆者の代表作「別れたる妻に送る手紙」の続編である。

「別れたる…」はその名のとおり、家出した妻に宛てて恋心をつらつらと連ねた書簡体の小説であるが、ずっと手紙のなかという設定の割りには、ずいぶんと小説らしく書かれてあるし、やけにドタバタしているのが、はた目から見てたのしそうで、狂騒具合に肩透かしを喰らった思いで、内容はあまり覚えていない。もしかしたら途中で読むのをやめたかもしれない。

 続編の「疑惑」が、私の心をわしづかみにした。それは冒頭いきなり現れる。引用する。

 

  “それは悩ましい春の頃であった。私がお前を殺している光景が種々に想像せられた。昼間はあんまり明る過ぎたり、物の音がしたりして感情を集中することが出来ないから、大抵蒲団を引被って頭の中でお前を殺す処や私が牢に入った時のことを描いては書き直し”

 

 ……これだ、これは俺だ、俺の痴情だ! そう思ったものでした。

 そうして、主人公は、日光の温泉街へ、妻を探しに、さながら探偵のように、旅館の帳簿をあたったりして、嫉妬の念にさいなまれながらも、ひたすらに追っていく。このあたり、頭がまったく私と似て、いわゆるストーカー行為そのもので、「あるある」みたいな面白さが、私にある。

 が、不思議なことに、本作も、「別れたる…」も、また近松秋江の代表作「黒髪」も、行為自体は陰惨というか、目も当てられないみじめなものなのに、主人公の感情の描写はやけに軽々としていて、整理されないまま突き進み、いくら読んでも、主観的過ぎる夢の話のようで、私はその不思議な感覚に、つい、うっとり眠くなり、寝てしまう。

 すなわち、本棚にもう10年はある、言ってしまえば、私にとっては、あやしいニオイが立つ、秘蔵の〇〇本だが、それを一度も読み切ったことがない。いつも、途中で、放ってしまう。

 そういう小説も、また小説の側面だ、それも良いと思い、また本棚に戻すとする。

 映画も、どうも眠くなるのには、映画らしい要素、「皆が同時に見る夢、という要素があるから」ときいたことがある。取ってつけたような話だが、それは好きな話だ。

 

 また、不思議なことに、私の10年思いつめた例の女とは、私は結婚できた。そんな結末はあまりにもドラマ仕立てのなりゆきで、小説なんかにすることは、憚られる。

 

2時間目 やりたいことがたくさんあるのさ 「いのちの初夜」北條民雄 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 

 約三年間、私は段ボール製造の会社に勤務していた。段ボールどころか製造業自体全くの未経験だったので、製造業とは何なのか、段ボールとは何なのか、これを営業部員をしながら学んでいくことになったが、いや、その前に、営業だって未経験なのだ。営業とは何なのか、外回りとは何なのか。とにかく学ぶことの多い日々が、まず、続いた。得意先からは「何だか、似合わないね」と言われた。つまり、当然のことながら、私は社にとっては全くの足手まといなのだ。で、少しわかりかけてきた、入社半年した頃だった、今度は総務部・情報システム部へ配属された。総務部では経理関係の仕事に関わった。経理に関しては簿記3級を持っていたのだから、まだ、少しは役立てそうだった。また、いちプロジェクトのため新しく立ち上げられた部署である情報システム部、そちらが私に任されたメインの仕事だった。そのプロジェクトとは、段ボール製造のすべてに関わる基幹システムの、旧ソフトから新ソフトへの移行という仕事だった。パソコンの操作に少しは通じている私に任されたのだった。関東から東北にかけ4工場を有する会社である、移行はネットワーク上で行われる、といっても、実際に現場で運用する、取り扱うのは、機械化がいくら進んだとはいっても、やはり半分以上が人間であり、私なんかよりずっと段ボール製造に接してきた人たちが、突然入ってきた小僧である私の指示のもと、彼らのできる限り腑に落ちる形でのシステム移行を完了させ、運用する。これが一番の難題で、私は文字通り、飛び回った。常磐道を何往復したことだろう。で、なんとか、社員や取引先の理解と協力があって、それは実を結び、4工場すべてのシステム移行は完了。日々の運用も、だんだんと軌道に乗る塩梅であった。

 

 とはいえ、私にはどこか、乗り切れていないところが、あった。乗るどころか、始終、他人事なのだ。

 なぜなら、私は、じつは、他のことがしたいのだった。

 事もあろうに、小説を書きたいのだった。それも、文學界新人賞、すなわち、芥川賞を狙っていた。

 宮仕えの身で、しかもまだ下っ端の青二才が、一刻も早く会社の利益に貢献できる一人前になるべく、懸命に自己研鑽すべき。

 そんなときに、私はよほどのことがないかぎり、いや、よほどのことが起こる前に、と、定時の17時半から2時間以内を目安に、まだ機械音が唸りを上げる社を飛び出し、ファミレスみたいな喫茶店にて、書きたいものを、書いていた。

 妻の待つ家に着くのは、23時過ぎで、温めなおしてもらって、手料理を食うのであった。

 結婚してまだ三年も経たないが、妻には「これだけは譲れない俺の真の生活だ」と、言い含めておった。

 

 約1年かけて、とうとう書き上げた。パソコンにて打ち直し、キンコーズ西新宿店にて印刷し、校正を重ね、いっちょまえに、作物として、新人賞係へ送った。この送付の瞬間は、言いようもないものがある。

 が、かような私も、脳天気ばかりのヤワではない、すぐに次の作品へと取り掛かり、その賞が失格となったとしても、それがどうした今度で獲る、という意気であった。

 それに、やっぱり、小説を書いているだけで飯が食えるようになるなんて、夢のような話で、そんな夢、つるっと、叶うわけがない。何度も言うが、夢のような話だ。

 しかし書くことは、私にとって、「これだけは譲れない俺の真の生活」であって、じかで触る感触のある、私には、生々しい現実だった。

 

 例の小説は、例のごとく、落ちた。選考には、かすりもしなかったようだった。

 

 私は、そのとき、妻とともに福島県に転勤し、住んでいた。しかしその日は、始発の特急列車で都心に出向き、得意先が催す研修を1日かけて受けて、夕方、とんぼがえりで戻ってくる。

 研修会場へ向かう途中、東京駅の駅構内の書店にて、新人賞発表の号の雑誌を手に取り、ケチって立ち読みで確認するよりか、買ったほうが、受かるかもしれん、と、購入し、店外を数歩。

 開くと、やっぱりそこには、私の名前を発見することはなかった。「はー、あ」とわざとらしいため息をひとつ。少し眼球を落っことしそうな、全身の前転の衝動を感じつつも、すぐと思い直して、私は研修を受けた。

 休み時間に、古い岩波文庫の、薄い、徳田秋声を、膝の上で読んでいた。講師であり得意先の担当者でもある、スーツも髪型もきちっとした印象の50がらみの男が、私めがけてやってくるのが、黒い靴の細く輝く先端で、わかっていたが、私は顔をあげなかった。

 

   *   *   *

   

 システム移行の後の、私の仕事は、新たに、新入社員採用係、原料調達係、工場増築へ向けての工場長補佐、だった。さらに、近々営業もやるらしい、ということが、私にまつわる噂として、別の社員から聞かされた。今のうちにゴルフをやっておけ、とのことだった。さすがにめまいがする思いだった。工場長からは、

「増築に携わるなら、現場のことも知らないとなあ」

 とのこと。私はフォークリフト運転技能の講習を受けた。時代錯誤的な、やたら怒鳴り散らす教官だったが、私の運転の下手さにはほとほと呆れて「あんちゃん、悪いことは言わねぇ。危ねえからやめとけ」とのことだったが、叱咤激励と受け止めて頑張ることが、「現場のことも知らないといけない」私には不可欠な行動なので、どうにか、こうにか、這々の体で、免許取得に漕ぎ着いた。

 工場に戻って、ちょっと練習に、と乗ってみたら、リフトの足元が、パレットにうず高く積まれた段ボールシートを、すっと触れた。ぎょっとして、見てみると、リフトが通ったとおりの跡がくっきりついていた。つまり、製品を数十枚、壊してしまっていた。写真を撮り、始末書を書いて、私が開発に携わった、「ロス報告システム」に入力した。これで、離れた本社でもリアルタイムで、私の作った分の不良品が、その画像とともに、知られることだろう。旧システムではなかった、とても優秀なシステムである。

 車に乗っての道すがら、エレファントカシマシの、いろいろ入ったベスト盤CDを聴いていた。といっても、いつもかなりの音量で流し、そして、聴くというより、自分がボーカルになったつもりで、歌っていたのだ。

 音楽はいい。歌っていれば、眠気も吹き飛ぶし、なにより、その歌の爽快な気分に乗って、いつのまにか、いやな時間が過ぎてしまうのだから。会社から帰宅の途につき、小説へと向かう当時の私には、切り替えのスイッチとして、不可欠なものだった。

 とくに、エレカシは初期の曲は、よく歌った。「待つ男」や「奴隷天国」なんかは、声が枯れるくらい、痛快に叫んだもので、誰かに聞かせてやりたいくらいの上達ぶりだった。上司に連れて行ってもらったスナックで、一度「奴隷天国」を歌ってみたら、期待していた非難をすら、されるどころか、誰も聴いちゃいないようだったが。

 ロス報告の後も、いつもどおり、がなり声をあげていた。爆音を鳴らしても、ここは福島県の工業地帯。周りには軒並み、轟々と唸りを上げる工場と、また轟々とエアコンの機動音凄まじいパチンコがあるばかりで、ひとけはほとんどないのだから、私は容赦なかった。

 と、とつぜん、(アレ?)声が出ないのだった。

 風景がぐにゃっと砕けて、(危ない!)次の瞬間、頬に、熱いものがぼとぼとと落ちた。喉元を硬く重いものがこみ上げ、しゃっくりを感じ、ようやく私は、自分が泣いていることに気づいた。

(ええい、なに糞!)

(そんな、女々しい、こみあげてきた感傷なんか、叫んで散らしてしまえ!)とばかり、むしろ勢いづいて、エレカシの何の曲だか、しらないが、曲に乗せて叫んでいれば、いつもどおり、過ぎ去ってしまえるはずだった。

 2番の「夢だきゃたくさん持ってるぜ、やりたいことが、たくさんあるのさ」のところだった。

 すると今度は、もっと強い衝動につかれ、私はウッとしゃっくりをあげ、二の句が継げないのだった。

 アクセルを緩めて、ようやく、乱暴な衝動にとりつかれていた自分を、抑えることができた。

 

   *   *   *

   

「いのちの初夜」は、このとき私の感じていた、「俺は違う」を隠して勤務していた、あの鬱屈とした気分と、さらに、「これが真の俺だ」と思っていたものにこそ、徹底的に否定され打ちのめされていく現実、それへの絶望感、そして、不意に圧倒されることとなった、エレカシの「男餓鬼道空っ風」の歌詞世界、直面する困難によってがんじがらめになりそうで、ちくしょう、とヤケになりそうなところを、いや、全身で真っ直ぐに突き進んでいきたい、「魂」と呼べるくらいの、自分のほんとうの情熱、その情熱を追求すること、つまり「魂」の復活、それへの讃歌、とでも呼べる、生々しい血潮のうごめきがある、23歳という若さで夭逝した作者による、命がけの、不朽の名作である。

1時間目 暴力的なほど透明に 久芳真純「優しくあることを許して」展 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 

大学の校舎のエントランスで、私は二度、その現場に立ち会ったことがある。

 

「ガシャン」という大きな音。見ると学生がガラス戸の眼前で突っ立っている。彼は私の知人だ。足元にはガラスの破片が散らばっている。つまり、いま彼はガラス戸を破壊したのだ。授業の狭間のせわしい時間ゆえ、案外注目を集めない彼の、しかしその目は泳いでいる。つと歩み出た中年の常駐警備員。あいつ逃げる気配もないらしいが、おかしいことにすでに腕を掴まれている。

 

 わざとではなく、不覚にもガラス戸を蹴り破ったということだった。少し切ったらしく、罪のない彼のおでこには絆創膏が貼られていた。

 

 ガラス戸は、戸にガラスをはめた、そのデザインの主な目的として、内部と外部とを隔てる、その仕切りの透明化ということがあろうか。外光を取り入れつつ、戸の第一の役目をも獲得する。研究に励む内の人々の閉塞感を低減するには、ガラス部分の透明度が高いことが肝要。清掃員はきっと、我々学生たちのことを思って丹念にガラスを拭いてくれたのだろう。その懇ろな思いが、ついに空気と同化するほど透明なガラス戸を現出せしめ、知人の半身を喰った、というわけか。拭き上げた職人技を、お見事、と言っても、その、あるはずのガラスが、見えぬ。

 

 この現象を私は二度見た。

 

 10年以上前の、のんびりした話のようだが、このとき彼が味わったであろう狼狽はいかばかりか、推し量ってはふいと身震いしたものだった。

 

 しばらくぶりに、その身震いと同種のおののきを感じたのが、このたび観た、久芳真純の作品だった。

 

 タイトルにある人の「優し」さとは、磨きまくったガラス同様、目に見えないものである。そして、「優しくある」はずの人の仕草は、行為者の思惑を超えて、ときに他者をがぶり喰う、のかもしれない。いつのまにか当たり前になしている私の日常生活の仕草は、中空に額縁を当てはめる虚構(演劇的手法)によって、解体され再構築されることで、上滑りし続ける誰かの不器用なポーズとして、示し出されている。

 

5月24日まで gallery 112(あかぎハイツ)

 

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