午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 

感想大好き塾長・カトウが、書物、美術、音楽、演劇、映画にまつわる感想を書きます。

どうぞご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈プロフィール〉

 加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。

2007年 バンド「august」結成。2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。

初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。

某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。

塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。

某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。

2019年 独立、開業。

(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)

 

 カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。

 都立高校受験対策に特化し、成績アップ・志望校のランクアップを目指します。

 葛飾区東水元にて夫婦で運営しております。

 

カトウ塾 https://www.katojuku.com

 

 

15時間目 天気予報アプリ 「こおろぎ」尾崎一雄 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

悪い予感が的中する、という言いまわしをするが、

悪い予感にとらわれている間は、

「私は憂鬱で不幸」という時だったかもしれない。が、

その予感が的中した瞬間、ある種の興奮を覚えたかもしれない。

その興奮は、私に幸福をも、もたらしたかもしれない。

 

 私はまだ祖父の死から逃れられていない。

それどころか、日に日に、祖父の死の色は濃くなるばかりである。

ポタミアポタミアしている。(メソメソの誤り)

 

 

 これは極めて平凡なことかもしれないので、私は極めてつまらない話をしているようだが……

 

 祖父の死、その3年ほど前から、私は「そろそろだろう」と思っていた。

身内の死に不馴れなくせに、私は祖父の死を予感した気になり、会うたび毎に、

「思ったより、その時は早くおとずれそうだ」だとか、

「今日の元気な様子では、まだ大丈夫だな」だとか、そんなことをやっていた。

いよいよ悪趣味だが、如何せん、それが私の日常的な思考なのだ。

その思考は、私の持っている予感を、現実とすり合わせし、修正する作業だった。

私のその予感は、予想と表現してもいい。

「祖父は、×年×月頃、死ぬだろう」

予想の確度をあげていく、そうした予想屋的作業を私は怠らなかった。

 

 スマホのない時代は、夜、テレビの天気予報を気にしたものだった。

ところが、スマホを持ってからは、いつでも天気予報を知ることができるようになった。

テレビの予報のコーナーは、視聴者にとって、おせっかいを受け流す時間でしかない、ということが多くなった。

そこで、私は気づいてしまった。

私が使っている天気予報アプリはヤフーのものだが、その「予報」たるや、刻一刻と変わるのだ。

夜の時点では、「明日は晴れ」、とあったくせに、翌朝、「今日は曇り時々晴れ」と出て、

空を見れば確かに曇っている。

「なんだ……」と私はがっかりするのだが、いや、それくらいの変更はテレビ時代でもあったこと。が、

問題はここからである。

遠くの空に暗雲が近づくのを見て、天気予報を見ると「これから大雨」と出る。

私は、

「こんなのは『予報』ではない。

空を見れば誰にでもわかる。謝らなくてもいいが、

せめて訂正前はこうだったのだが、と併せて伝えてもらわば気が済まない」

と、文句を言って、雨に打たれている。

 

 でも、じつは、もともと天気予報というのは刻一刻と変わるものなのかもしれない。

テレビ時代は、時たま、その瞬間に遭遇していただけなのに、

その都度、勝手に「天気予報とは固定的なものだ」と勘違いしていたが、

スマホ時代となっては、こちらの好きな時間に知り得るようになり、

「これ」と決まることがない流動性に気づいた、ということ、と解したほうが物分かりが良いようだ。

 

ともあれ、「予報」と言われ続けるから私は鼻持ちならない。

私は天気予報に、ギャンブル性を見ていたようだ。

イチかバチかで、えいやっと洗濯物を干す、あの覚悟は、天気予報士を見込んだ末の勝負だった。

予報士方に憤怒を招く表現であることを承知の上で言ってしまうと、

いち生活者の身にしてみれば、彼らを「予想屋」に見立てることもできる。

賭け事で当たりを、予想代行する、あの予想屋に。

スマホの「予報」は、現状とのすり合わせによる修正作業の結果であり、

これはれっきとしたズルだ。

馬券発売はとうに締め切られている出走後の様子を見ながら、机の下でベットしているような、イカサマ行為。

 

そんな悪口が言いたくなり、言っている。

 

 

 祖父の死の、その時に近づくと、私の予想は、幾重にも修正が必要だった。

脚が立たなくなり入院した、と聞いたときも、

「入院となっては、寝たきり状態になる。それはいけない」とは思いはしたが、

「だが、あの調子なら、まだ大丈夫だろう」という感想だった。

が、それは即、修正が必要なもので、すぐ破棄されねばならなかった。

 

入院後約1週間の経緯はこうだった。

 

脚は骨折しているので、手術が必要だ。

→しらべると肺炎らしい。骨折はさておき、まずは肺炎を治す。

→新型コロナの可能性がある。

→検査の結果はコロナ陰性だった。

→しかし肺炎の症状は重い。

→自発的な呼吸が見られない。

→危篤。

 

1週間程度で、祖父は遺体となった。

現実とのすり合わせ作業に余念がない私は、急転する現状に、

どうにかこちらの予想をすり合わせようと躍起になった。

ふいに暗雲が近づいた途端、

太陽マークを大雨マークにすげ替えて「予報」を気取るように、

結末、私は「もう難しいようだね」などと言って、祖父の死に、ギリギリ間に合わせた。

私の「悪い予感」を。

たった1週間前、「まだ大丈夫」と言っていたのだから、えらい変わりようである。

我ながら、これは節度がないのではないか。

でも、曲がりなりにも間に合わせることができたのも、また、事実だ。

 

気象とはどうやら刻一刻と変化するものらしいから、

「予報」がそれに照応して方策を施し、結果、流動的なものになるのは、当たり前のことであるから。

 

人はこうやって、何かを予感し、予想材料とのすり合わせ作業をとめどなく繰り返し、

100%的中の現実に納得し、また何かを予感し始めるのかもしれない。

「予感、すり合わせ、的中、納得……」

どうやらその連続の人生だ。納得するから、今ここで生きていても、取り乱さないでいられる。

おとなしく、たとえば目薬を点眼することだって、危なげなく、できる。

こんなコロナ禍においてさえも。

それを繰り返す果てに、私の死へとつながっているように思う。

私の死の直前、私は

「やっぱり予想した通りだ。ほらね、もうおれは死ぬんだよ」

と、「納得」するのだろうか。そこにおいてもやはり、「的中」の恍惚は伴うのだろうか。

愉悦か苦笑いか、どちらにせよ、私は枕で微笑んでいる気はする。

 

 尾崎一雄の「こおろぎ」は、病気の瀕死から危うく逃れた主人公の、

妻や子供たちとの、愛らしい交流が描かれている。

生還者である主人公は、子供たちの未来を「見届けたい」と願っている。

また、こおろぎが鳴くだろう「もう二三週間」程度の未来を、予感している。

それらは生の実感のみなぎりと、手離したくない生命というものを感じさせる。

 悪い予感と良い予感が入れ替わり、立ち現れるつつも、

しかし、それでも、良い予感のほうへと漕ぎ出そうとしているのが、尾崎一雄の小説だと思う。

ゆえに、浮力を持つ。

 

 良い予感であれ、悪い予感であれ、

「予感、すり合わせ、的中、納得」を数珠つなぎにできる程度の予想屋人生ならば、

それはそれで幸せな方なのかもしれないが、果たして人は無に向かってしか進んで行けない、

ということに一抹の寂しさを、私は覚える。

そんなのでいいのか? と

 

14時間目 祖父の死 「禽獣」川端康成 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

じいちゃんが死んだ。

じいちゃんとは、私の祖父のことである。

 自宅でゆったり暮らす、その様を見て、「そろそろなのか」とは思っていたものだが、入院後、意識をなくしてから3日ほどで危篤となり、急展開で、死んだ。

 

急展開で転がるようなテンポではあったが、危篤状態でのじいちゃんの顔は、判別がつかない、別人のもののような、そして、いかにも、遺体らしい印象だった。手を握ったものの、硬く、はじき返す予感のない、まるで死後のもののようだった。

 最近のじいちゃんの姿は、一日のほとんどを寝て過ごし、徐々に消失していくように見えていたが、ついに死ぬに至った、ということか。そう納得された。

 

 うっかり私は、「じいちゃん」の前で、

「今夜が山だって?」

 と失言したくらいだった。

父は、「でも、その山を、越えてくれないと」

私には小声でたしなめつつ、

「おとうさん、また来ますからね! あとは大丈夫ですから、ご心配ないように。また元気にいらっしゃるのを、お待ちしていますよ!」

 と、耳元に叫んでいた。

今わの際で声をかけるには、「心配せず安らかに永眠してください」と言いつつ、「頑張って復活してください」と言うべきなのだろう。

 

 コロナだから、少人数・短時間で、と制限された面会だったが、制限があってもなくても、じいちゃんのために、私たちができることは残されていなかった。

 

「声をかけてあげて」

 臨終の、深夜の病室で、母は懇願した。

 呼吸器の外された顎はあんぐりと開放され、じいちゃんは完全に遺体となってしまった。

「じいちゃん、さようなら」

 私は、それしか言うことしかできなかった。

 何も言わないでは、集った皆に悪いから、そう声をかけた。

じいちゃんの魂というのか、気というのか、そういった、「じいちゃん」を「じいちゃん」たらしめていたものは、とうに滅してしまった。それが実感だった。

 

 その死の朝、自宅で安置された遺体を、妻と息子とを連れて、訪れた。

 

 2歳と9か月くらいになる息子だが、生前のじいちゃんをやたらと慕っていた。

じいちゃんの顔を見ると「じーちゃあーん!」と叫ぶのだった。じいちゃんも「はあーいー!」と、何度も互い叫び合う。

膝に這い上がり、口を開けさせて、入れ歯をいじって大喜びしたり、「オウッ、もうあっちへ行け」などと、じいちゃんの口真似して、じいちゃんを怒らせ、怒ったその真似をまたして、本気で怒らせたり、と、息子は半ばおもちゃにして遊んでいた。

じいちゃんは、軽くだが痴ほうもすすんでいて、老体には疲れるだろうし、あるいは、何が起きるか予想がつかず、危なっかしいので、私は息子を引き離す。だが、息子は頑なに「じいちゃんのところへ行きたい」と私の腕をすり抜けて、においの染みついたじいちゃんの寝室に入っては、足もとに乗っかったりしていた。

 

白い覆いをとって、その顔を見た。

 そこには、増して物質然として、さわやかに尖らせた顎があった。じいちゃんには、こんな顎があったのか。私の記憶にはなかった。

 

 妻は泣き、祖母や母や叔母も、涙ぐんで、

「じいちゃん、寝ちゃってるのかな」

 などと、息子に声をかけていた。

 

 すると、息子は、右手の親指と人差し指で輪っかをつくり、左手の親指と人差し指も軽く輪をつくり、手の平を向け、目をつぶった。

 

皆が目を見張った。

 

息子は、とあるポーズをとったのだった。

 

「見てよ、阿弥陀様だわ!」

「なんて子だ、じいちゃんの臨終に、阿弥陀様の恰好をして……」

「偉いねえ、偉いねえ」

 

 阿弥陀如来のそのポーズは来迎印、摂取不捨印と呼ばれ、「阿弥陀仏が西方極楽浄土よりあなたを迎えに来ました。あとは任せなさい」という意味があるという。

 

 私は、「よくも絶妙に、このタイミングで…」そう言いかけた。

が、もう言葉は不要のようだった。いや、言葉に詰まった。

 

 息子は、日頃から仏教美術が好きで、時折真似をしているのだったが。

 

祖母らは、一様に感極まり、息子は、突如として神秘性を帯びた。

 

傍らの私もその神秘に包まれ、世にもありがたいものを、目の当たりにした気がした。

 

息子はそのポーズを解くも、祖母は幾度もそのポーズを要求した。

また息子は、その要求に応えるのだった。

 

 

 

川端康成の「禽獣」を再読すべきだろうと、開いた。

 

しかし、粗雑に扱う命の感触に嫌気がさし、やめてしまった。

 

私には子供がいる。命を粗雑に扱う描写がいやだった。

 

 

なんとなく、背中の棚に放り込んでおいた。

 

 

 

それで翌日、また開いた。

 

昨日より読み進んだ。

 

昨日、「いやだった」ということは、私にはその手触りがわかってしまう、すでに私の一部にある、ということだと気づいた。

 

しかし、「虚無のありがたさ」というものがよくわからない。

 

読み通したが、よくわからない。

 

そしてやはり、ある登場人物のポーズと、息子の阿弥陀如来のポーズとが、重なった。

 

「ま、ポーズとして重なっただけだ。それに、息子はそりゃあ無垢だから。うちの場合は、そうありがたい、というものではない。結びつけるのは浅はかだ。ただタイミングが良かっただけ」

 

 実生活と重ねることから逃れられず、読書に没入できないことに、いら立ちを感じていた。

 

 本棚に戻した。

 

そのまた翌日の朝、まだ誰も起きてこない時間。

三たび、手に取り、開いた。

 

祖父の夢を見たのである。

あちらこちらで、やけに楽しそうに微笑んでいた。

その姿は、私のイメージにある「じいちゃん」。

痩せ細り、眠り続け、日に日に存在感をなくしていった、最晩年の祖父ではなかった。

 

 

気になったところを拾い読みした。

 

 メモをした。

 

「私は、絶対に死ぬ。

だが、私は死を経験できない。

他人の死しか経験できない。

死は、客観的。」

 

「だから川端は、生を、死の淵から描いてみた。……?」

 

「生が無垢であればあるほど、

死の絵筆の彩なすものは濃密になる。……?」

 

 

起きてきた息子に「バン」と撃たれ、私は「ウッ」と死んだふりをした。

 

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〈プロフィール〉

 加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。

2007年 バンド「august」結成。2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。

初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。

某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。

塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。

某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。

2019年 独立、開業。

(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)

 

 カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。

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13時間目 旅の恥、旅の時間 「伊豆の踊り子」川端康成 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 見ると、私の靴下の布地から、毛がはみ出ているではないか。

決して、見られてはならぬ。

ずり落ちた靴下を上げれば済む問題ではない。

shin hair(脛毛)が靴下の布地の間隙をねらって、飛び出てきているので、

これを解決するには、繊維の高密度な靴下に履き替える必要がある。

が、それが根本的な解決になるとは、言いがたい。

抜本的な解決を目指すのなら、脛をつるっつるに剃ってしまうべきだ。

それは私には恥ずかしいことだ。

ちょっと前の夏に、半ズボン、それも股下の極めて短いものが男性にも流行したが、

つるつるすべすべの脛を曝すことで、そこから地続きの、

下肢総体も、つるつるすべすべになっているのではないか、と想像された。

脛をつるすべ、にするくらいの精神性の持ち主だから、これは見当外れの妄想ではなかろう。

が、私は、世間のなかで生きているし、世間にそのことを意識させ続けて平然としていられるような

度胸の持ち主ではないがゆえに、恥。

恥。これを感じるので、私はやらない。

日本男児の半ズボンは、小学生まではいかにもふさわしいが、

中学、高校と、思春期・反抗期、心身の発達を通ったはずが、

体毛を処理してまで過度に短いズボンを穿く場合、

それはもはや、極まった自己愛のグロテスクな形であるように思えてならない。

自己愛ゆえに、自己を整えることに夢中で周囲への配慮が至らない、という理屈、

が通るのならば……、いや、そんな人間は、きっと世間には存在しない。

自己を愛するのであれば、他者からも愛されるよう、

そのあたりを整えるのが社会的人間の営みとしては求められて然り

(なぜなら他者を通して自己を愛した方がより説得力が強い)。

反して「他者との関係などどうだっていい」と、ポーズはとってみたところで、

心の底からそう思える人は、きっと、いやしまい。

なぜなら、激しいファッション性を発揮する彼らの、

他者からの視線にさらされている状況での、凍り付くほど日常的すぎる日常の諸場面において

(たとえば、バスの停留所の列で)、

彼らの視線はじつにおどおどとした、自信のないものになっているのを、

こちら側の人間は皆よく見て知っているのだから。

だから、先ほど述べたように、

それでも極短半ズボンを、二十歳を過ぎた日本の男性が穿こうとでもいうのだから、

いよいよ増して、世の男性諸君の度胸がついてきた証、なのだろうか。

体毛を剃る、という行為によって他者への配慮が見て取れるものの、

それこそが他者のためになっている、

つまり、自ら磨いた美によってこそ、他者に目の保養を与えるのだ、

と思い込んで、のものだろうが、それよりも「恥」とは思わないものか。

まあ、若気の至りとはそういうものさ。そうだろう。

「一度やってみれば、良さがわかる」

そういう声も私には聞こえてくるが、

私は、遺伝・武道・座禅・武士道精神とで鍛えられた、

完ぺきなまでの日本ジェントルマン体型で、脚は短く太く、さらに外側にわん曲し、

袴を穿いてすり足、したいところを止む無く太いズボンを穿いて西洋風に歩くふりをしているのが実態。

どだい無理である。

ところで、スキニージーンズ流行時、私も例にもれず、スキニーを穿いて、

周囲に、この私こそが、前述したような懸念、侮蔑、苛立ち等々を抱かせていたことは、

大変申し訳ないことであり、わが加藤家史上の赤っ恥、

これから初めて付き合う人には絶対に内緒の話である。

 だから、私は靴下の布地から毛が、ちょこちょこっとはみ出てきているおぞましき有り様を、

恥じつつも、脛をつるすべにする方がもっと恥ずかしいので、それはしない。

高密度な靴下に買い換える金など、あるわけもない。

脚をできるだけ早めに動かすことで、他者からの注視を避け、やり過ごしている。

 しかし、旅においては違う。「旅の恥はかき捨て」という。

これは、旅先には周囲に知り合いがいないのだから、恥をかいてもその場限りのものとなり、

平気で大胆なことをしがち、というものだ。

ことわざのとおり、私も、旅先では普段はやらないようなことをしてしまう。

羽目を外してしまう。

 高校の旅行でカナダへ行った際は、サングラスを買って、こともあろうか、闊歩してしまった。

 大学時代、いずれ妻となる、彼女と恋仲の頃、京都旅行。

2泊程度のつもりが、「あと1日」「もう1日」と延び、1週間の滞在となった。

持ち金は軽く吹っ飛び、祖母からもらっていたかなりの大金も、遣い果たしてしまった。

青森の音楽フェスでは、ギターウルフに壇上に上げてもらう、という僥倖を得た。

泣きじゃくりながら、ギターをかき鳴らして、踊り、狂乱じみてしまった。

 10余年もの前、いずれ妻となる彼女と別れた傷心旅行という名目でも、やたら旅行をしたもので。

本当に傷心でボロボロだったころ、よくわからないまま三島へ。

仕方ないからスナックに入り、「彼女と別れたので来ました」と脅し、マスターにおごってもらった。

京都へ彼女の面影を探して行くも、もち料理を食べ過ぎて、気絶した。

新潟ではバーと美術館に通ってやたらにナンパ、つまり、女性をたらし込もうとした。

金沢ではなぜか人の家で西瓜をごちそうになり、「一宿一飯の恩義」と言って、

そこにあったアコースティックギターをかき鳴らし、家族総勢6名ほどの中心で、

ジョンレノンの「ウォーイズオーバー」を歌った。

白けているのもかまわなかった。 

 また、私はアウトレットモールが大好きだ。

あれは、よくできている。あれには、やられている。

首都高の渋滞を経て海ほたるを通過すると、だだっ広い木更津の土地が広がり、旅をした感が出る。

旅先では、「恥はかき捨て」。

しぜん、行動は大胆になる。多量の服が、しかも廉価で売っているとなれば、買いあさらずにいられようか。

まんまと、やられている。

 このように旅先で、私はまったくの恥知らずである。

列挙しながら、自分がほとほといやになった。

きっと旅先でなら、私は半ズボンを穿くだろうし、脛だってつるすべに剃ってしまうのだろう。

私だけではない。きっと、あなただって、

旅先では、一流ブランドのべらぼうに高価な財布を購ってしまったにちがいないし、タトゥーシールを貼ってしまったにちがいない。

 

 川端康成にしては、珍しい、自らの体験を材にとった作品である「伊豆の踊り子」。

 旅をする中で、出会い、そして別れがあるわけだが、きっとこの二十歳の主人公も「旅の恥はかき捨て」を実践している。

踊り子に一目惚れし、同行し、言葉を交わし、デートの約束もし、風呂までいっしょに入っている。

作中、いわく「孤児根性」、に苛まれ、自省の旅に出た主人公は、出会った踊り子に、心を開き、大胆になっていく。

「男はつらいよ」のような構造だが、

主人公は、もっと、青い。とてつもなく青く、また、透き通っていく。

 

   * 

 

 旅先に見知った人がいないことが旅情に影響するのは、わかる。

が、旅にはきっと、生活現場の時間とは別の時間が流れている、

ということもあるように思う。

旅人の時間感覚は、実生活での認識とはぜんぜん別物となる。

この、縛られるような、うんざりさせられるような、そんなマンネリズムの日常を、いったん切り離し、

非日常に自己の存在を開放することで、たとえば「永遠」とか、「夢」とか、

そんな非現実の時を生きることができる。

 私の感覚だが、旅行の計画の話となると、「あ、あのゆったりした、向こう側の日々」とうっとりする。

「向こう側」の日々に、たとえば、6~7年前くらいか、鹿児島の旅がある。

そこには祖父母がいて(どちらも今も健在)、砂風呂に最後まで埋まっていた祖母の、あの嬉しそうな顔や、

祖父の喫茶店で他の客をいちいち品評、「あの女のコ、まだ10時なのにカレーを頼んだよ。昼まで待てなかったらしい」という、あの得意げな言いざまが思い出され、彼らは明るい陽射しの中、ゆったりと揺れている。

また、たとえば30年前くらい、伊豆に泊まって、父母と弟妹とでマレットゴルフをした際、

妹が振り上げたクラブが父のおでこに当たり、

父が「ちょっと切っただけだ。大丈夫」と言うも、大出血。

妹がそれを見てわんわん泣き、「わざとじゃないんだから、しょうがないよ」と、

皆でなだめるも、妹の発作じみた泣きじゃくりと、父の出血が止まるのを待っていた、あの昼。

あれらが思い出され、彼らもまた、明るい陽射しの中、ふわふわと、たゆとう。

それらの明るみに、「私」もいるのが見える。

「こちら側」=「日常生活の私」が、「向こう側」=「旅の私」を、少しは客観的に眺めることもできる。

「こちら側」の私は、「向こう側」の私を羨ましく眺める。

「向こう側」には、「こちら側」の1秒とは、無関係の1秒が流れているが、

「こちら側」から見ると、ほぼ止まっているように見えるか、思い出として、無限に再生可能で、それらは明るみの中、老いを知らず、生き生きとしている。

こちら側の私は老いていくばかりだ。

各人のparallel world(並行時空)は、日常生活と、旅先の時空とで、勝手ながらすでに存在するようだ。

切り離された時間における非日常は、理想郷、桃源郷、永遠、天国、不老不死。

そういう風に、胡散臭い名前で、切実な気分で呼んで、すがりつきたくなる。

かつて死んだあの人たちも、向こう側にいる。ありありと見える。

遺影に見た、どうもしっくりと来ない、あの顔ではなく、ありし日に親しんだ、あの微笑でいる。

 

   *

 

今回、「旅の恥」についてべらべら喋り過ぎてしまいました。

最後に言いたいのは、とはいえ私が言うまでもないことですが、

この作品は完璧、ということです。

この小説をうごかす動力は、主人公「私」と、「踊り子」とが、出会ってしまう、

その磁界の強さにあります。

磁力は、引き合う場合と、反発し合う場合とがある。

しかし、東京での学生生活という日常に帰らねばならない「私」と、

生まれてこのかた定住の地を持たない、さすらうことが日常の「踊り子」と。

生活の現場がまるで違うふたりにおいては、すでに磁力が発生しているのに、

ひかれあってしまい、そして、いや、しかし、……

……しかも、彼らは、青い、青い、青い、じつに、青く、そして、さらに青く、ついには、透き通っていく。

私の、旅をしていない、日常の時間にも、歪みをきたす、磁力。

 

   *

 

また旅をして、恥をかきたい。そんな今日この頃です。

 

 

 

午後3時のカトウ塾 加藤亮太 バックナンバー

 

 

〈プロフィール〉

 加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。

2007年 バンド「august」結成。2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。

初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。

某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。

塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。

某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。

2019年 独立、開業。

(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)

 

 カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。

 都立高校受験対策に特化し、成績アップ・志望校のランクアップを目指します。

 葛飾区東水元にて夫婦で運営しております。

 

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12時間目 緊急事態での平穏を思う 「黒と白の猫」小沼丹 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 コロナウイルスを呪う今日この頃、皆さま、お元気ですか。私は、陰鬱です。

 桜の花は早々に散りました。これはいかにも桜らしい身の振り方、と思いました。旧時代的言い様ですが、文字通り、「花と散った」かのようです。潔く。

 

 

去年の緊急事態宣言下、「コロナで密を作らないように」と、来客が見込まれる全国各地の観光農園、フラワーパーク等々で、チューリップが、切断、廃棄された、あの痛々しい光景がありましたが、今年はぎりぎり、緊急事態宣言と緊急事態宣言のはざまで、花弁を切られずに済んだ、ということでしょうか。あるいは、切られたものもあったのだろうか。

 

人間が、しょせん人間を呼びこむため、植えられたのだから、とはいえ、花は美しい、と思わないこともないこの私にも、その記事は、殺害現場の写真を目にしたような衝撃を受けました。

「来るな、と言っても、快楽主義者は来る。ならば、すべて刈り取っちまえ」

 そんな命令をする人を、その野太い声を、私は瞬時憎んだものでしたが、きっと、号令をかけた人も、悔いの残る決断であったろうし、実地で、花びらを刈っていく、農園や生育係の方の、流した無念の涙は、「待てよ。これは、あまりにエゴイスティックな涙ではないか」と自問自答しながら、ひややかに乾いたことだろう、と思われ、だから加藤めがどうした、というと、つらく、せめて、いやな呪詛を口にしたい思いでいっぱいです。

加担した人たちの胸に、以降起こり立つ、すべての感興が、「どうせ」と、白々しくなるような、また、過去せっかく味わった人生の輝きを、その価値を、自らあざけって、つばして、すべてなかったことにするような、ひどい傷が刻まれたのは、果たしてよかったのか。

 

まったく、憂鬱でなりません。

 

「ばかな……」

 

 ため息交じりに、何度口にしたことか。

いくら連呼しても、まだ足りない。

 

「人間なら、まずは人間を信じないのか」とも言いたい。

「人間なら、まずは人間を信じてみろよ。ウイルスの側に立つのかよ。理知的であることと、情緒的であることの両立を諦めるのか。そんなわけないだろう。君はつらいんだよ。それを素直に話してくれよ。ありがとう、俺なんだか嬉しいよ。みんなで泣こうじゃないか。この苦しみを、いったん、分かち合おうじゃないか。まずその説教みたいなのはやめにして、知事、大臣、みんなで、24時間テレビで、24時間泣き合おうよ。ずっと耐えている子どもたちにマスクじゃなくて金メダル配ってよ。とか言って、そんなものはまあいいから。金メダル級の笑いと涙を。さんちゃん、たけちゃん、タモリさん、みんなで志村けん追悼から始めませんか。再現ドラマではなく、泣きながら笑えるコントをしませんか。経営者の皆さん、心を語り合いませんか。死ぬ間際に、『アイラブユー!』って叫ぶ、あの欧米の習慣、やめませんか。あの『アイラブユー!』が聞こえたら、たちまち、もう自分は終わりなんだ、とわかる、それが怖くて。飛行機、非常時の酸素マスクが出てくるのが怖くて、いたるところから、『アイラブユー!』が聞こえてきそうで、怖くて怖くて」

 

 

 緊急事態にもある、幸せな瞬間ベスト3。加藤のケース。

 

3位。

「洗濯物を眺めながら、淹れたてのコーヒーをカップに注いだとき」

いまこれをタイピングしている間も、思い出すだにうれしくて、にやにやしてしまいました。よく晴れた朝は格別。さて朝刊でも開くか、という、心に余裕ができたからこその瞬間です。

 

2位。

「土曜の夜にビールをグラスに注いだとき」

けっきょく、これ。日常生活、結局、これにかなう幸福感は、なかなかない。注ぎながら毎回、有森裕子さんの名言を悪用して、「今週も自分で自分をほめたいと思う」を繰り返して懲りません。

これを挙げる私、我ながら、罪のない男だな、と、泣けてきます。「自分で自分を罪のない男だと思う」。生活者の最後の砦で、せめて、これだけは奪わないでほしいものです。

 

そして、ついに、

緊急事態にもある、幸せな瞬間ベスト3、

輝ける第1位は……

「帰宅後、妻に話を聞いてもらっているとき」

妻に話す話なんて、大した話なんてないのです。

芸能人のゴシップ、他人の悪口や耳に挟んだ近所の噂話が大半で、他に何かあったとしても、帰宅時うんこを踏んで腹が立った、とか、うんこを漏らしそうになって焦った、うんこって臭いよね、といったような、他愛もない話。脳に直接口をつけて喋らせたように、節操なく、拙者はべらべらと垂れ流すわけです。

しかも、頷きの声が聞こえて来なかったり、いかにも傾聴の態度からかけ離れた様子だと、癇癪を起す始末。食事の用意でキッチンに隠れでもしたら、横に並んで、やります。

押しつけがましく、あつくるしく、彼女には申し訳無いわけですが。

しかし、これがないと、拙者、駄目なんです。

 たまには、「帰りが遅くなるから、寝てしまってください」と連絡をしたりします。どうしても、帰宅が23時を超えることも、時にはあります。幼い子どももいる、というのもあり、そういう場合には、苦渋の決断を下し、「どうぞ寝てください」と伝える。

帰ると、もちろん、そのようになっている。机上にはラップがかけられた食事が用意されてあって、各々、電子レンジで温めなおして、……ま、いいや、どうせ拙者ひとりだから、話し相手がいなくては、精神的に味気ないのは決まっているんだよね、と、つぶやきシロー風に億劫がって、冷めたままの煮物など、むさぼるように食べたりします。この後の食器洗いでは、高確率で皿を割ることになるのだが。

翌朝。

溜まりに溜まった「妻に聞いてもらいたい話」を抱えて目を覚ますと、拙者、もう止まりません。

まず、聴き手である妻の取り合い。

ライバルは息子です。拙者が喋ろうとすると、愚息ったら、母ちゃんが独り占めされるのがいやなのでしょう、オディプス・コンプレックスよろしく、負けじと「トイストーリーが」だとか、「おばけが」だとか、「大洗のイルカが」だとか、またべらべらと喋る。声がやたらでかいので、拙者もつい声を張り上げて、「拙者の、拙者の、拙者の話を聞け~」、男2人が大変騒がしい。

息子の口をふさぐべく「今、お前さんのおやじが話す番だろう」と、拙者もむきになって怒ったりするのですが、ライバルもまた手ごわい。

「こら!」だとか「シー、だ!」だとか、闘志剥き出しで対抗してくるから、拙者も不機嫌になって、取っ組み合いの喧嘩、……というわけにはいかない。

仕方なく声を落として、洗濯物を回しに、その場を離れる。

 

洗濯物はいい。なにせ、裏切らない。拙者を。

回せば、浄化され、干せば、乾く。

 

洗濯物の回転になだめられていたら、ふと、

「妻が死んだら、どうなってしまうのだろうか」

と思う。

ずしり、と深刻な危機感が胸にのしかかってくる。

 

 

小沼丹は、妻の死後、その死を小説に書こうと思った。さらに、この頃から、空想の作り物を書くのではなく、今後は自分の身辺のことだけを題材にしよう、という心境の変化があった。

そうして書かれたのが「黒と白の猫」。

執筆の経緯は、「懐中時計」巻末にある、「著者から読者へ」に詳しいが、はじめは、自らをモデルにした人物を、「僕」という一人称で書こうとしていたのだが、「べたべたくっつくものが顔を出し」、書きあぐねていた。そこへ、「大寺さん」という人称を発見し、用いることで、小説を書くことができたという。

「小沼」ではなく、「大寺」でもない。「大寺さん」。

「〇〇さん」と、他人行儀に、しかし少し親しみを込めて、自らを呼称して、絶妙な位置に遠ざけたのは、なんと切実で、なんと仕組まれた発明だろう。著者に言わせると「どこから出て来たのか、これは作者にもさっぱり判らない」とのことだが。

 飄々とした猫の登場もあって、「妻の死」という深刻な題材であっても、さほど深刻にならず、過剰に飾らず、かといって、冷淡になりすぎることなく、描かれていく。

 

 コロナ禍。国難。パンデミック。緊急事態。

 

「大寺さん」の視点をヒントに、どうにか、このどん詰まり感、切り抜けていきたいから、洗濯物を干し、コーヒーを注ぎ、ビールを注ぎ、妻を奪い合い、本を読んでいきたい。

11時間目 ロンドンズバーニング 「推し、燃ゆ」宇佐美りん 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 

「シンウルトラマン」が公開されるという。

庵野秀明と樋口真嗣との「シンゴジラ」タッグ、再び!

 

最高!

 

予告編を見ながら涙があふれてきた。

 コロナ禍に塞いだ気分に、一穴空いて、風が吹き抜けた気がした。

 

 

でも、こんなシンウルトラマンは、いやだ。

 

『シン』になった、ということで、大盤振る舞い。活動時間「3分間」が、なんと、「30分間」。

 

 いやですねー。

 

これじゃあ時間余っちゃう。ってんで、怪獣10体現れちゃったりしてね。くんずほぐれつ、ワーワーうるさいから、観ていて集中できない。それに2時間映画だとしたら、リアルタイムで4分の1も食う。これじゃあ話にならない。なら、ダイジェスト映像でいいか、つって、せっかくの戦闘シーン、編集しちゃったりしてね。みのもんたのナレーションで殴られる怪獣の気持ちとか解説しちゃったりして、早送りと巻き戻し繰り返したりなんかして。ア~、ウッ! バカやろっ。珍プレー好プレーじゃないんだから。シンプレーか。

 

 

 こんなシンウルトラマンはいやだ。

 

 ウルトラマンが、だらっとした黒い上着を羽織っている。

 

 いやですねー。

 

 主演が斎藤工だからといって、あのリラックスするやつ、羽織っちゃってる。ウルトラマンにラグジュアリー感はいらないね。「ラグ、ジュワッ」とか言って、自分で、コーディネートの解説しちゃったりしてね。たしかウルトラの父も、マント羽織ってたろ。父に憧れちゃったのかね。でもスペシウム光線撃つとき、ふわーって、たなびいちゃう。そのたゆむ感じ、全然、戦闘意欲を駆り立てないね。でも、お祭りの時みたいなハッピならまだ似合いそうなのが、ふしぎ。屋上のビアガーデンか、っての。

 

 

 こんなシンウルトラマンはいやだ。

 

 ウルトラマンに変身するとき、「逃げちゃだめだ」を連呼する。

 

 いやですねー。

 

 エヴァンゲリオン引きずりすぎだよ。ウルトラマンはすんなりと変身しちゃっていいんだよ。でも、庵野企画だからね、どうやるかね。たのしみだね。

 

 

 

○   ○   ○

 

 

 

 我々はなぜ物語、虚構を欲するのだろう。

 虚構は嘘でできている、としたら、私は嘘を欲しているのかしらん。嘘をつかれることは、嬉しいこととは到底思えないが。ならば、虚構は嘘でできている、その前提自体が間違いというわけなのか。

いや、話が逸れている。

「虚構の中にこそ真実がある」などというような、胡散臭いキャッチフレーズを鵜呑みにしてみたいわけではなくて。

 

 たとえば、授業中でのこと。

「貴様、寝るんじゃない」

 と、教師が生徒を叱るとする。

 

「すみません」

 と、教師にとっては、すかさず謝られるのが定石であり、期待した返事である。そしてこれ以上は不要であり充分である。言外に「すみません。うっかり寝てしまいました。寝るつもりではありませんので、以後気をつけます」と言っているのだろう、と想定し、解すだろう。この時、教師と生徒は、通じ合っている。

 

「いいえ、寝てませんよ」

 

 こう来たら、教師は大層、腹を立てることになる。

 

 私が中学生だったころ、このパターンを見たことがある。

 

「貴様、寝るんじゃない」

「寝てません」

「いや、今、寝ていただろ」

「寝てませんよ」

「嘘をつけ。貴様、寝ていただろうって」

「嘘はついていません、寝てはいませんでした」

「貴様、私を舐めているのか」

「……いいえ」

「舐めているな」

「舐めていません」

「ふざけるな!!」

「……」

 

大迫力の銅鑼声で怒鳴られ、生徒はシュンとしていた。近くに座っていた私もシュンとした。教師の頭は怒りのあまり、真っ赤に腫れ上がっていた。

そして、教師に思った。

「何も、あんなに怒鳴らなくてもいいのに」

 また、同時に、生徒にも思った。

「とっとと一言『すみません』と詫びを入れれば、こんな過剰な音量の銅鑼声を浴びる必要はなかったんだ。愚かしい」

 

 このときの私の思考は、いわば不当な取り調べをする悪徳検事と同じで、事実と違うのに、それが事実であったことを認めさせるよう、誘導・強要するものであったかもしれない。

 しかし、今思えば、この教師が最後に怒鳴った、「ふざけるな」というのは、また切実な叫びだったように聞こえてくる。

教師は、「寝ていたかどうか」に論点を絞ってしまったのが間違いだった。これは、この教師にとって、なかなかの問題であったのに、問題を小さくしてしまった。「嘘をついたかついていないか」「舐めたか舐めていないか」の問題にすらしてしまった。

なかなかの問題であることに気付いたその瞬間、教師の頭に血が上ってきた。自分の置かれた状況が、切迫した状況であることを、ようやく、理解したのだ。

教師は自ら、自分の存在意義を、教師以外のなにものでものないものに規定した。結果、そんな自分の前において、生徒は生徒であることしか存在意義はなくなってしまうのである。これは悲劇で、教室は、牢獄と化す。各員が役割を果たすこと以外許されない、強制記号化の果ての、どん詰まりの牢獄と化す。教室が自殺している。

 

思うに、教師は、早い段階で、こう言うべきだった。

 

「貴様、虚構が足りていないようだな」と。

 

 

 

虚構……、それはある種のユルさのこと。

虚構……、それは想像力の種。

虚構……、それは無限大に爆発し続ける波動。

虚構……、それは互いを認め合い、通じ合うとき。

虚構……、それは音楽。

虚構……、それは、

 

 

るーるるー

 

るるるーるる

 

 

 

○   ○   ○

 

 

 

「推し、燃ゆ」宇佐美りん。

 主人公「あたし」が、私の大の嫌いとする類型、「無邪気な子」型主人公と、かなり肉薄した一人称の組み合わせなのだ。

なぜ無邪気な子が主人公、かつ、人称(カメラの目)が主人公に肉薄すると、私はいやなのかというと、まず、なんでも起こり得るから。たとえ物語であれ、虚構であれ、「なんでも起こり得る」世界、それは「筆者の都合」でしかない。強度が甘すぎる。

また、「てい」であることは明白だから。無邪気な子の目には、そう映るもの、として、それをそのまま拙い文字を使った、という「てい」で、つまり、「磨けば光るダイヤの原石ですよ」と、でも「大人の声」で提示されるわけで、「おっさん、せめて泥団子にしてくれ」、読む気が失せるものだ。そういう胡散臭い作家は多くあり、彼らの作品はすべて石ころの「てい」なので、鳥肌モノである。

また、とつぜん「漢字が覚えられない」とあり、それまで「あたし」は、さんざん漢字を、小説の文章に、使っているのに、これはどういう了見か、やはりこの設定だと、遊びもない牢獄に窮してしまうのか……、と一度閉じようかと思ったものの、芥川賞は最新の文章芸術の粋だ、と思い出したので、閉じるのをやめた。

 

読後。

 

やはり、最新では最高のものである、という感想でした。

 

アイドルを追っている、というイメージのポップさと、あんがい硬質な文体の、しゃっちょこばったまじめさとが、ちぐはぐに相まった、稀有な反骨小説である。

私のパンクバンドにザ クラッシュがあるが、クラッシュの表現方法の逆をいくやり口で、世界に抗っている。批評を待つ格好の文章だが、批評と我が身ごと切り裂くように。

 

 皆さんも読んでみてください。

 

10時間目 基準を超えて 「第七官界彷徨」尾崎翠 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

その作品が出たのは、2011年3月11日より前か、後か。

 

 この確認を私は欠かさない。読むにも、観るにも、聴くにも。

今年は、あの震災から10年。それでも、作品に対するこの確認作業は、私の癖となっている。きっと、一生続くと思う。

 

その作品は、どの世界で生まれたのか。あの震災を経験した世界で作られたものなのか、それとも、そうではないのか。

そうなら、「じゃあ、私と地続きの作品だ」と思う。

そうでないのなら、「じゃあ、向こう側の作品だ」と思う。

 

これは一定の事実だ。そうだ、事実に過ぎない。

 

私は、震災の影響色濃い作品ばかりを、崇め奉りたい、と言っているのではない。2011年3月11日以降のすべての事象は、「いま」とつながっていて、あの日以前のすべての事象は、「いま」とは断絶している。これは事実に過ぎない。

 よって、2011年3月11日は、基準となる。地層からアンモナイト化石が見つかったら、その地層の時代が中生代だと決まる示準化石のように、2011年3月11日は、日本人にとっての基準となっている。ならないわけがない。

 

 そして、現下のコロナ症蔓延のことも、今後の新しい基準足り得るのかもしれない。

 今日、国内で感染者が初めて見つかって、1月15日がちょうど1年だときいた。

 

 

 *   *   *

 

 

 ガイドブックなんかに載っているような、陳腐な観光地からは外れて、あえて、ひなびた土地の寺に参ってみる。1時間に一本あるかないかのローカルバスに乗って、メジャーな街から外れ、人の気配から離れ、地元民でも滅多に行かないような場所へ。

繰り返すが、私は、あえて、そうしてみたのだ。それが旅情と言うものだ、という意気込みで。

 目的の寺社は鬱蒼とした森にあり、灰色の祠の立ち並んだ境内の空気は、うすら寒い。自動販売機は、売り切れのままに放置されてある。石像を眺めると、とくに珍しいこともなさそうだが、そのいわれの立て札を読んでみると、子どもを食った鬼女の神、などとあって、やけにおどろおどろしい。

そこへ、カップルが現れた。外国人のカップルだった。これが、いかにも、観光目的の外国人。また、あろうことか、ショーでもやるかのような奇抜な出で立ち。

 旅先でのこんな場面。

 興ざめ? せっかくの旅情がぶちこわし? いやいや、これは私にしたら、全然そんなものではない。むしろ、「ホッと胸をなでおろす」といった表現がふさわしい。「よく来たな」と、神(=来訪神=そのカップル)に許可を出されたような気もする。よもや彼らがフランス語なんかしゃべってごらん、「大正解!」と、太鼓判を押された気さえしてしまう。

 観光客が集まる場所を嫌い、あえて離れてみた、その結果、折悪しく観光客の権化のような人と遭遇したが、呆れたことに、私は「よかった、正解だった」と安堵する。

 

つまり、私は、私の感性を信じたいが、信じられないでいる。

 

つまり、私は、私の感性を不動の基準にできないでいる。

 

また、私は、私を愛しているような気がしているが、しかし、私は、私を信じきれないでいる。

 

愛が、見返りを求めない奉仕だとしたら、そして不信が、絶望のエキスだとしたら、愛と不信とは、同居し得ないはずのものではないか。同居など、矛盾でないか。「そんな矛盾までひっくるめて、私は私を愛してる」と言うのなら、感性不信の話はチャラになり、「勝手にしろ」と吐き捨てることとなり、それではまったく話にならないのだ。

 

 

 *   *   *

 

 

コロナが恐ろしい。コロナを恐れて、変化・起伏の無い日々を過ごしている。

私の脳は常に怯えているから、正常な判断力が低下しているようにも思う。味覚嗅覚が正常かどうかばかり気にしている。

 

そんな中、音楽やラジオを聴く。聴いていると、深刻に考えずに済む。コロナを忘れる、とまでは至らないし、そうしたいとも願わないが、変化・起伏の無い日々を恨む気分や、コロナに怯えた気分からは浮遊できる気がし、その時点で快楽を得ているようだ。

通勤時、20分の徒歩、ラジオを聴く。これはタイムフリーで前日の「有吉弘行のサンデーナイトドリーマー」「爆笑問題カーボーイ」、「おぎやはぎのメガネびいき」が最低限、となるから、毎週月曜・水曜・木曜の習慣となっている。

3番組の共通点は、冒頭、さらに、最初のリスナー参加のコーナーで、時事ネタを扱う点。これは人と人との出会いがしらの社交辞令的な世間話に似て、ふつう。自然。

逆に、まったく時事ネタを扱わないか、あるいは、扱い方がしつこい、あまりに偏っている、という場合はあまり聞く気にはなれない。それは、やはり、私がラジオに求めているのは、ごくふつうの会話だから、だろうと思います。もちろん、お笑い芸人なのだから、笑わせようとしてくれるのだけど、その笑わせようとしてくるきっかけの掴み方、その表現、思考と発言の連なり方が、また自然な力加減で、偉そうな言い方だが、好感が持てる。彼らには、「ごくふつう」という基準を、常に意識しているようなところがあって、私は安心して聴いて、そして、けらけら、笑っています。妻に、いかにリスナーからの手紙に対する有吉の返しがおかしかったか、いかに太田の田中への相槌の打ち方がリスナーの興奮を掻き立てるものか、いかに小木が案外社会に対して厳しい立場をとる、その半笑いでのポーズを、矢作が解説する際、全体的に納得のいくコンビならではの収穫となるかを、弁じてみたものの、全部口真似をして話さねばならない気がするので、下手なモノマネも相まって、再現度は極めて低く、結果、夢の話をしているようで、我ながら歯がゆいものだ。ここでもつい饒舌になる。

聴きたいラジオ番組がない曜日は、音楽を。音楽を聴きながら、歩く。ノッてくると、リズムに合わせて、歩数も合わせてしまうし、首を上下に動かしてしまうし、手元ではエアギター、エアドラムまで始めっちまう。すると、「この曲を聴くために生まれたのだ」という熱い思いに駆られ、興奮しちまう。最近はフィーリーズ、ビッグスター。この2軒を行ったり来たり。

これらの習慣は塾の掃除が終わり、食事が終わるまで続く。はかどって、(あるいは、時折手をとめ、また動かすといった、慎重さで)教室も普段よりピカピカ光るようだ。

 

生徒が来る前のピカピカに磨かれた教室で、ひとり、ラジオのタイムフリー機能で、妻の拵えてくれたおにぎり二個、食べながら、くすくすと笑っている。くすくす笑いが、だんだんと大きくなり、「ブッ」と米粒を吹き飛ばしそうになりながらも、こらえて、それがまた、実におかしい、といった様子で、笑っている。

そんな自分を、また別の私が、上から見下ろして、無感情にぽつり、つぶやく。

 

「あんなに嬉しそうにして……。どうせ死ぬというのに。かわいそうに」

 

そんな私が、涙を流す。

これは自愛の涙か。それとも、感性による涙なのか。いや、それとも、それらの感興の、かけ合わせ、化学反応によって生じた、何らかの結晶なのか。

 

ラジオの中の彼らは、もちろんコロナについても喋ってくれる。また、杉本博司は新聞上でコロナを「頃難」と表記していた。

そのように有名人たちがコロナを取り扱ってくれることで、私の無謀な自己不信は、融和されていく。外国人観光客の存在によって、自己不信が、融和されたように、私のコロナへの怯えが、私も知っているし皆も知っている人、つまり、信頼したい人たちの表現に、すくいあげられ、中空で共感がなされ、融和されていく。

そうやって、私は、失いかけていた自分の基準を、たぐり寄せようとする。しかし、他人の手を介して。

 

 

 

○   ○   ○

 

 午前10時。にしては、日当たりの悪いリビングルームで、ひげ面の、寝癖頭の男があくびをしている。妻はずいぶん前に買い物にでも出かけたらしい、炊飯器の横には、乾ききったしゃもじが、墓標のように、男のものらしい茶碗に入れられてある。

 男の前にはスマホ。ヤフオクの画面。

その男は、つい今しがた、コム・デ・ギャルソンの服を6,750円で落札したのである。競りに競り合った挙句、ギャルソンの中古のシャツを手に入れた。男は勝った快感にも飽き、手をだらりと床に垂らしたまま、平和なあくびをしたところである。

 私は、背後から行って、「はたらけ」と言い、その男の後頭部をひっぱたきたくなる。

しかしその男とは、私のことなので、ひっぱたくことは、無理である。 

 

○   ○   ○

 

 

上記「○ ○ ○」で囲まれたる文はコロナ禍前に、加藤氏が、つまり私が、書いたものであるが。

 コロナ禍中の今となっては、最後の「ひっぱたく」というくだりは、自ら許しがたい行為のように思えてならない。

今ならば、「どうせ死ぬというのに。かわいそうに」と涙を流す……

そんな描写しか思いつかない。

 コロナのわざわいを経て、許されない文章となった。そこには、私の、おぼつかないながらも、過去とは一線を画す、「新しい基準」が働いている。

 

 しかし、ついに、ゆり戻される日が訪れたら……

 

たとえば、新型コロナ予防接種が全国民完遂し、「感染者0」「新型コロナウイルス殲滅」、すべて振り出しに戻る日が来るのなら!……どんなにいいだろう。その日が訪れる時、私は滂沱のごとく感涙流して、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチ交わし、3密と濃厚接触のオンパレード、真のお祭り、やるぞ、酒のオリンピック、やるぞ、山手線一周はしご酒の旅を、大盤振る舞いを、素晴らしきわが青春をもう一度、してみせる。

 

・・・

 

先ほど「新しい基準」、などと威勢のいいことを言ったものの、そんなものは、たやすく吹き飛んでしまうような、ほんの使い捨て立て看板のような、そんな頼りないものなのだろうか。

 

テレビで、狂言の「茸」を観て、笑う。

 

狂言や歌舞伎など、伝統芸能を観て、単に「可笑しい」というので、私は笑うわけだが、ただ笑って屁をこいているだけではない。笑った後、とある感慨に打たれる。

というのは、この笑いは、100年どころか、200年、300年……、いや、演目によっては、室町時代からと言うから、600年以上も繰り返されてきた、そういう笑い、ということ。

累々と積み上げられてきた大量の笑いによって裏付けられた「確固たる」可笑しみ、それが、私を笑わせるのだろうし、しかも私はいっちょまえに、その先頭で笑っている。屁をどうしようとも、私はその先頭にある。

私が発した笑い声は、背後から、どうっと、湧きたつ、声なき歓声に、圧し出されるようにして、出たのだ。そんな感じに触れ、声なき笑い声を聴き、私の声がそこへ混ざり、私も芸能の歴史、笑いの歴史の一部として作用することになり、嬉しくなる。

 

伝統芸能を演じるにあたり、基準となるのは、台本やテープ、録画映像、先輩からの口伝え、稽古などであろうか。その基準は、ブレるタイプのものではないはず。なぜなら、まず役者ひとりで勝手にやるものでもなく、同時に共演者はもちろん、興行主、演奏者、舞台美術、など様々な専門的で伝統的な業種が絡み合ってできあがるものだから。また、あまりにも長い歴史があり、型が決まっていて、その型の再現がまず土台となるだろうから。そして、受け手の感動もまた、定型化され、それをまた頼りに、「またあれをやるのか、観たい」ということで、観て、前述した、歴史に裏付けられた感動、どうっと、それを背に受け、自分もその一部となって、感動し、そのことにまた感動する。現在進行形の客を感動させることで、現在完了形の、可視化するなら、眼前の客の後ろに、ずらり長―い列をなした観客全員を、同時に感動させることになる、そのような形而上的な劇場を、歴史に裏付けられた催しで実現せしめてしまう、それが伝統芸能の舞台だと思う。

 

その笑いは、幾度ものわざわいをくぐり抜けてきた、強い基準によるものだ。日本人が全滅しないかぎり無くならない、確たる基準。

 

 

それに比べて小説はなんて不確定なものだろう。曖昧な、自分の基準だけを頼りに、ものにしなければならない。

 

尾崎翠の「第七官界彷徨」。

その作品が出たのは、2011年3月11日より前か、後か。

勿論、ずうっと前の、1931年発表の作品。私とは地続きではつながっていない。

 

主人公「私」が男子学生三人の住まう家の女中として、紅一点、歌ったり、泣いたり、笑ったり、しっちゃかめっちゃか、グロテスクな騒ぎの、その中で、奮闘し、そして恋をする、という、現代でも散見する、少女漫画か日テレのドラマかのような設定の話で、おそるべきほどに現代にも開かれた作品なのだが。

 

「私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう。」

 

 序盤の、このひときわ生々しい一文にドキッとさせられる。

尾崎翠が、あらゆる基準と懸命に戦っていたんだ、私にはわかるぞ、と思う。

(それに、尾崎はこの作品発表後、永遠に引退し、伝説と化してしまう)

 

 私は、しみったれた涙など拭い捨てて、ここと地続きでなくても、ぴょんと飛び越えて、「向こう側」へ行きたい。行けるか

 

9時間目 深夜のそうめん 「首里の馬」高山羽根子 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

小説なんか読んでいられるか、という現代。

「お元気ですか」など、口が裂けても言えない。元気なわけがない。

 

コロナ。コロナ。コロナ。そして、幼児虐待。虐待につぐ、虐待。また、芸能人の自殺。自殺。自殺。

なんて禍々しい。暗鬱な時代。

 

ゆえに、ちかごろ、私は「〇〇〇〇」とつぶやいてばかりいる。ときには吠える。

「〇〇〇〇」は、汚らわしい言葉である。それは、人間性のかけらもない言葉なら、なんでもいい。「ぶりぶりぶり」でもいい。なんでもいいから、汚らしい言葉を吐きたい。退化したい。

醜い人間になってしまったか。

いや、もとからの醜悪さが露呈しただけか。

しかし、この時代を生きる世界中の人と共有できる醜悪さだ、と私は信じてやまない。みんな持っている、醜さ。そして、同時代とつながっていることに、安堵している。私は、そうして生気を得ている。

鬱々とすることは多い。が、皆が、そうだ、ということが救いで、皆と同時代を生きていることは、ありがたいことである。

 

皆さん、醜悪ですか……

 

 

陰気だ。

 

陰を散じる、スカッとするような、あるいは、パッと明るくなるような、なにか飛び切りの話題はないかね。

 

そんな中、9月号の文藝春秋で、芥川賞が発表された。

 

けっ。またか。

 

どうせこれまた陰鬱でどこかネジの飛んだ主人公が、自分の思い込みで孤独に行動したあげく、破壊し尽くし、さんざんな目に遭う作品が受賞するのだろう。「〇〇〇〇」め。

 

そうおぞましい言葉とともに、文句を垂らしつつ、読んだ。

 

 

で、私は「そうめんのような文章はあるのか」ということを考えたい。

 

いや、そうではなく、考えた挙句、「そうめんのようだ」と思い至った。

 

 

 

それが今回の芥川賞作品であった。受賞二作品ともそうであった。

 

日本語の小説は、日本で話され書かれ読まれている言葉を使っている、という時点で、日本人に読まれることが前提、なのに、「読まないでくれ」と言わんばかりに、しかし書かれた、がんじがらめの、自己矛盾に囚われた文章が好きな私としては、両作品とも、まったくその好みに反する、いやじつに読みやすい文章で、私の瞳からはもちろん、文は、穴という穴から、ちゅるん! と、入ってきてしまった。怪しからんことに。

 

もしそれを可視化できたら、目鼻口にそうめんがぶらさがっていて、それらは常にちゅるちゅると流入している、といった事態になる。

可視化したいものである。

 

そうめんは、日本人に特に夏に好まれる食べ物のはずだ。夏の食欲のない時でも、うっかりすると食べ過ぎちゃった、といったように、あまりに親密ゆえ害が生じることすらあり、危険。その危険性こそ、おそるべき巧者である両作者の狙ったところなのか……。

 

たしか15年ほど前、フジテレビの27時間テレビで、100キロマラソンをしていた極楽とんぼの加藤が、深夜の休憩所に倒れ込んだところ、たしか、そうめんを食べていた。休憩所の近く(あるいは休憩所自体の)コンビニのそうめんを、……ほぐし水をかける式の、あのコンビニそうめんを、たしか、食べていた。

「こんな時にそうめんなんか喰わせやがって」

と、寝ずのマラソンに疲れ果てた加藤は、はじめ、「ばかにしている」と、憤ったが、じっさい食べてみるとうまかったらしく、むさぼるように、たちまちのうちに平らげていった。

付き添いのランニングのプロの人からは、

「そうめんは、エネルギー効率がとくに優れて、疲労に効果的」

と、そうめんを摂取させる目的の説明があった。

味を占めた加藤は、疲れてもいないらしいのに、やたらとコンビニに寄っては、4つ、5つ、……日常生活では考えられない、異常な量のそうめんをちゅるんちゅるん平らげていった。

本来の目的である完走を忘れたかのように、深夜、コンビニを探す加藤の姿は、開眼したか、ものに憑かれたか、狂おしくて面白かった。そして、彼によってことごとく吸引されていくそうめんが、またじつに美味そうで、白光りしたブラウン管テレビの前で私は腹を鳴らしていた。

 

爾来そうめんは、コンビニ弁当の定番品となった。私の。

 

そうめんは、すべて極楽・加藤の馬力に変わるのであれば、有意義である。バカ喰いの憂き目に遭おうとも、そのそうめんは、体内で燃焼し、決して無駄になることはないという。運動で失われたエネルギーを、燃費は案外悪いのかもしれないが、そうめんは補ったらしい。

 

そうやって、私は、私の顔面と文藝春秋9月号との間を、数百本ものそうめんが行き来している事態を隠しながら、喫茶店でもって、ちゅるちゅると読み進めたものだった。

 

喫茶店を出るときだった。

「今月号は、芥川賞ですよね。お読みになりましたか」

店主が声をかけてくださった。口の端にそうめんの先が残っていないか、叱られやしまいか、ひやひやした。しかし、たしなめる様子は微塵もなく、店主は大層穏やかな口調であった。

「ええ。『首里の馬』のほうを。まだ途中です」

「私も読みたいと思っています。どうです、面白いですか」

「とにかく、とても読みやすいです。読めば読むほど、つるつる入ってきます。こんなに読みやすいか、〇〇〇〇、とわめきたくなるくらいに、まあ読みやすい」

「相当読みやすいのですね。評判いいですよね」

「好評なんですか。へえ。今のところは、こういう設定がある、主人公が動く、事件が起こる、主人公がリアクションする、そこへまた事件が起こり、ということが、滞りなく、淡泊に、簡易な言葉で、書かれていました。作者のインタビュー、『手を縛られても足で書く』とか言ってますけど、何が何でも書くぞ、みたいな気迫のようなもので書いた、というようには読めませんよ。物語、というより、事典や記事のよう、文字情報という感触の、そんな類の文章です。酸性でもなくアルカリ性でもなく、いわば中性。一読、つまらない。とはいえ、なにぶん、向こうからどんどん入ってくるので、私もページをめくる手が止まらない。脳内では、めくるめくストーリーが展開しています。こっちゃ溺れそうですよ、まったく〇〇〇〇!」

「ほう」

「ただ、気になることが、ひとつ」

「なんですか」

「それがですね……」

「…あ、おっしゃらないでください。たのしみにとっておきます」

「ふふふ。この先、どうなるものか。僕もたのしみですよ」

 

こう、かっこうつけつつ、出て、脱兎のごとく帰り、即ページを開き、「いっしょに踊る」「いっしょに公園行く」「ゼリー食べる」とせがむ息子を「すまないが、父親はいま一大事にある」と納得させ、読んで読んで読みまくり……、

 

ちゅるるるん!

 

やはり、あっという間に、読み終えた。

 

さきほど、喫茶店でかっこうつけて「たのしみですよ」だなんて言ったものだが、私の精神はとんでもないことが起こっていた。

 

言ってしまおう。

 

空っぽなのだ。

 

膨大な情報は、〈了〉を境に、跡形もなく消えて(?)しまったのだ。

あれだけちゅるちゅると、ページを開けば、どっと流入してきたそうめん。

「もう入らない、腹が、千切れる」と、その膨大さに恐怖すら感じながら、読み終えたものだが、私のどこを探しても、見当たらない。

いやいや、そんなはずはない。

「どうしよう。どうしたものか。どうしたものなのか!」

 

早く探し出してあげないと、この物語は、なかったことになるのではないか。

私の「読んだ」という事実は、いったい何だったのか。

 

しかし、足掻く私の、その動きもまた、すべて物語の一部分となって……

 

「嘘でしょうッ」

 

後部座席の妻が、怒鳴った。

 

チャイルドシートで眠る我が息子の隣に位置した妻にしては、違和感のある声量だった。そして微かに怒気を含めていた。日ごろの彼女の、ごく常識的な言動をかんがみるに、妻の心に、相当信じがたいことが起こっていることは、容易に想像された。

「どうしたの」

そうめんのように曲がりくねった地下駐車場の一方通行を駆けのぼるべく、ハンドリングに余念のなかった私に、今、とりたてて非難される要素は見当たらない。また、非難するのなら他の言い方をするのが、彼女だ。と言って無視できることではない。非難されていない、これで安心、ということはない。つまり彼女の咆哮は、とりあえず私からの声を求めているように思えた。なにせ車内には私たちのほかに息子が眠っているだけなのだ。

「どうしたの」

私は繰り返すのだが、しかし、いっこうに返答は聞かれない。

きっとスマホで何らかのメッセージか、あるいはニュースか、情報に触れ、信じがたい気持ちになったのだろう、と思われた。だとしたら、いま、その文字情報を得ている最中なのだろう。私の声を捉えないほどに集中して。

ならば、私はバックミラーを操作して彼女の顔面を見たかった。画面の光が反映した顔面を、スマホを見ている証拠としたかったから。

だが先ほども述べた通り、私はそうめんからの脱出で、手いっぱいなのだ。

バックミラーには、追尾して来ている白いBMWの、その顔面。襲い来る四つ目の怪獣のよう。奴め「安い国産車のくせに俺の前に立つな、蹴散らしてくれる」と嘲笑しているにちがいない。私にはバックミラーの角度を変える余裕はなく、またそれは危険にちがいない。

 

私は、一刻も早く、伸びきったそうめんから抜け出なければならない、という気でいる。

これは永続する、たった始まりに過ぎないのかもしれないのに。

 

8時間目 洗濯する人生 「吊籠と月光と」牧野信一 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

洗濯物を、回すぞ。

 

 洗濯。これ、吾輩の日課であり、朝食前の、足腰の小運動、寝息の充満した室内気の撹拌、夢魔の退治。

吾輩は一家の長であり、また同時に、一家の洗濯大臣でもある。

洗濯、それは、拙宅の目覚めを表明する儀式である。

 

是非とも、回さねばならぬ。

 

 洗濯機の、その図体の現実的頼もしさときたら、不動の定位置、ランドリールーム、兼脱衣所、兼洗面所にて、洗面器を盾に、ずどーん、陣取ったその雄姿。拙宅のは、ドラム型には非ず、寸胴型。

液体洗剤の投入口へ、洗剤を流し入れる。江戸っ子の吾輩は、規定容量に比して、ほんの数ミリ、多めに入れる気づかいだ。

 洗剤が、果たして寸胴内部へ流れ込むか? 

目視、確認。これ、肝心。

 冗談ではない。わらってはいけない。

液体洗剤は、洗剤の分子同士が渋滞を起こしがち。

洗い終え、蓋を開けたら、洗剤は青色のまま投入口にとどまっていた、ぴえん。ということが、ある。

そうとなっては、水の中でくんずほぐれつしてから脱水しただけ。いわば、戻した乾燥ワカメをまた干すような醜行。肝心カナメの汚れの真髄、油脂等は化学分解されずに沁みついたまま。はい、やり直し。水と水道代金と時間とを下水処理場にぶん投げる、非生産的な失態。情けない。ぴえぬ。

 落ち着け、下水の処理場は何のためにある。処理施設にて、それらは浄化され、無害な形で自然に還るのだからまあいいじゃないか。……などと、アナタ、トンチをきかせるだろう、が。

言っておくが、それ、あまりにムシのいい話。吾輩の住む地域も、貴殿お住まいの地域も、きっと、下水道料金、として下水を浄化する手数料を水道代金の内訳として支払っているのだ。水をただ通過させても、その分、とられるのだ。お主ぬかったな。吾輩は、寝グセや流行を気にしない求道者、にはあらず。吾輩はしょせん、ファッションが気がかりな、並の生活者だ。「並の生活」とやらを、けっきょくは、求道、してやいませんか、というお問い合わせには一切応じておりません。

 

洗濯物を、干す。

 

さっさと干したい。グダグダしていると雑菌が繁殖するんじゃなかろうか。ならば、なるたけ、能率的に干したい、完膚なきまでに干し切りたい。

干し。ここからこそ吾輩、洗濯大臣の、大臣たるゆえん、腕の見せどころ。むんず。

濡れた衣類を乾燥せしむる天然空気を前に、「洗濯物を干したい」、吾輩の欲望など、くず。纏わりついたH2Оを気化すべく、コンロの火にくべる、というアイデアも、手っ取り早い方法かもしれないが、燃え移り滅ぶ危険性が大きく、しょせん人為は巡り巡って人間に毒である、という、好例ぞ。

かけまくもかしこきあまてらすおおみかみ、かとうけのおおかみたちのおおまえをおろがみたてまつりてかしこみかしこみもまをさくおおかみたちのひろきあつきみめぐみをかたじけなみたてまつりたかきたふときみをしへのまにまになおきただしきまごころもちてほしみのみちにたがふことなくおひもつわざにはげましめたまひてんをもちをもきよらかにはれさしめたまへ、晴天成就の呪文を唱え、カーテンを開けると、果たして雨であった。

 

こういう時は、慌てず騒がず、部屋干しへシフトチェンジ。

部屋干しは、しょせん、窮余の一策。死に体で、苦し紛れに一撃喰らわせた感。

ゆえに、ぜんぜん吾輩の高揚感出ない。先ほどまでの自然との不思議な一体感はとうに消え失せている。

が、そもそも吾輩のテンションが、洗濯物の乾燥如何にかかわるウソはない。テンション上げても、下げても、なぜだかわからん、衣は干されるのだ。涙は乾き、季節は巡るのだ。

吾輩は、敬愛する清掃マイスター認定講師のブログを見ながら、生乾き臭を防ぐべく、部屋のあちこち、縦横無尽に洗濯物を張り巡らし、扇風機の風を当てた。よし、腰に手を当て、大臣ホッと一息、ついた。

吾輩は吾輩を褒めたい、と初めてのように思った。そして、これが、じつに良い眺めなのであった。吾輩の創意工夫の跡がそこかしこに映じられていた。喫煙者であったら、ここらで一服、やる段である。

しげしげと眺めやるに、せめて天よ、曇りであったらなあ……と、割り切れない気分にも苛まれもする。

本来なら、靴下は1ハサミにつき1足セット、のところ、室内では空気に触れる面積の最大確保が肝要とあって、1ハサミにつき、片方ずつぶらさげているし、手ぬぐいなど3枚1セットにして、2ハサミでいきたいところ、が、これもまた、1枚ずつ2ハサミを使用している。手ぬぐいごときが? てやんでえ、とむかっ腹さえ立ってくる。

 

ふと、吾輩は、風にそよぐ吾輩のパンティーを手に取り、「これは昨日穿いていた。が、これが今日中に乾かないと明日穿いていくパンティーがないわよ」と気づく。折からの雨続きで、吾輩のパンティーは自転車操業が続いていた。明日晴れてくれればいいが。

 

 穿いて、洗って、乾かして。また穿いて、洗って、乾かして。そしてまた、か……

 

 なんと、これは、地獄ではないか。

 

 永遠に続く、生活の輪舞。

あるいは、骸骨のサウナ、か。あるいは、先祖代々強迫神経症、か。賽の河原で石を積んでも積んでも鬼に崩される、例のやつ、か。

 

吾輩が、人為と天為のはざまを往来しつつ、いくら手塩にかけて洗濯せしめたところで、汚れた衣類はタスクとして溜まっていく一方で。カラの洗濯籠を持って、ランドリールーム兼脱衣所に向かうと、すでに子供の汚したエプロンが放ってあった。洗濯したそばから、これだ。これが洗濯の、実態。

理不尽、と思わずにはいられない。

 

 そもそも、汚れるのがいけないか。生きていると、汚れるもの。細胞の遷移の末の老廃物が、剥がれ落ちる。生きていなければいい。ならば死ねばいい。ああ言えばこう言う。

 

 

 死。

 初めてはっきりと意識したのは、12歳の頃。夏の夕暮れ。家へ帰ろうと、自転車をこぎこぎ、近所の寺の入り口にさしかかったとき、面妖だなあ、お化けがでるってかあ、と、一辺倒な印象を抱きつつ、ふだんは避けていた墓地を、なぜと言うわけでもなく、なぜか、その日は、じっと眺めてみた。

 墓石の背後から突き出た卒塔婆が、風に揺られてカタカタと鳴っている。墓場らしい、何ら、いつもと変わらない、いつもの風景であった。

 しかし、そのとき、その「いつもと変わらない」を、私は初めて意識してしまった。

その景色は、私の記憶では何も変わらなかった。たしか前回見たのはおとといだった。またその前回は、そのまたすぐ前日だったはず。近所だから毎日のように通りかかり、目にするのだった。そして、おそるべきことに、5年前もたしか、ほぼこの景色、このまんま、一辺倒、ワンパターン、だったのだ。

私が笑ったり泣いたり怒ったり、体重が増え身長が伸び、もがき苦しんだりしている、つまり、成長していく、その過程を経ても、その墓の景色に、何ら違いは生まれなかった。火の玉でも出てくれた方が、まだマシだ。死者の居場所に、奇怪も奇跡もなにもないのだ。人は死んで、骨になって、ただの物質となって、そこからあとは永久に、何一つ、なさない。それが、死。そして、私もいずれその「いつもと変わらない」風景の一部となる。それは生まれた瞬間に、決定している。

 折角生まれたのに。

いずれ来る自分の死。人間のひとつの段取り、として漠然と想定してはいたが、このとき気づいた、「加藤亮太がワンパターンの風景に帰する具体的な予定」、これは信じがたく、あまりに理不尽に感じられた。

 心臓がわしづかみされたようで、どっと汗が出て、目の前は薄暗くなり、ペダルをこぐ力はへなへなと抜けていくのだった。

死ぬのだけは、いやだ、が、あの風景の一部になる日は、遅かれ早かれ、絶対に、来る、ということ。もうどうしようもない。

 そして、一家の集う夕げの場。

祖父母や母を前に、なかなか喉に通らなかったものだ。

この人たちは、死ぬ。順調にいけば、祖父母が先に死に、そして母が死に……

なぜ平気でいられるのか。死は、刻々と迫っているというのに。平気でご飯をよそったり、平気でテレビを観たり笑ったり、風呂をわかしたり、着替えたりできるのか。平気で、洗濯物を干すことができるのか。

 

 昭和11年、牧野信一は自死した。実家の納戸で、縊死した。39歳だった。

 牧野の文章は……西洋文学という餌を目前に、飢渇にのたうち回るモンスターの暴れを制御しようと、作者じみた人が、何とかそいつの背にまたがりながら、そいつの排出する文字を、どうにか拾いあげて読解し刻んでいく。じつはそのモンスターの正体、貧弱な駄馬なのだけど。作者じみた人は、気づいていないふりをして。こみ上げる喜悦にエビぞって。目ん玉血走らせて。……と、もはや何の説明をしているのか分からないが、それでも、そう言いたいほど、語のつらなり、文のつらなりは、ギリギリ狂う寸前、奇跡的に空回りせず、もんどりうっている。もんどりうちの、度合いは、作品による。(たとえば「吊籠と月光と」、もんどりうっている。また、本書収録外では「西瓜を喰ふ人」、もんどりうっている。)

 牧野はもんどりうった挙句、自ら死んだ。

 牧野は、いずれ来る死への恐怖に耐えられず、のたうちまわったのか。作品と自死とを結びつけると、そうかもしれない。

あるいは、(…いや、おれはこう思う)、牧野は、死、ではなく自分の生、こそが、理不尽だ、と思っていた、許せなかった、のではないか(?)。自分の今が、こんなわけがない、と、拒絶反応で、書いたのではないか。そうでなくして、あんなにまで、狂喜の叫びと大笑いで、獰猛なまでに生き生きと、もんどりうつことができようか……

 

洗濯物を眺めながら、吾輩は隣室の妻へ、

「洗濯をしたら、本を読みたくなってきたぞ。さあて、何を読もう!」

 と、気色ばんで、声をかけた。

 見ると、妻は、くるくると転げまわる息子(あたかもモンスターのように)を、あやしつなだめつ、おむつ替えをしているところだった。シートで拭きあげたその柔い尻には、赤赤と、あせも、が広がっており、痒いらしい、薬を塗ってやらねばならない。

 そして、キッチンの方から(といっても目と鼻の先だが)、電子ジャーが、ご飯の炊き終えたことを電子音楽で知らせていた。

どうりでこの一帯、面妖なにおいが漂っているわけだ。

 妻は、眼鏡をかけていないのにも関わらず、眼鏡のようなひらべったい瞳になって、あごで向こうをしめした。

 そこには、先ほど取り込んだ洗濯物が、山をなしてあった。

 洗濯大臣は、この、取り込んだ後の洗濯物をたたむのが、大の億劫で、時折逃げるのであった。が、このまま、逃げて、本棚へ向かってしまうと、「自分の好きなことばかり先行する夫、自分のことはすべて後回しして虐げられている妻」という対立構図ができあがり、妻が理不尽を感じてしまいかねない。

 生への激しい理不尽の怨念。

それはまさしく、牧野信一。妻だから、牧野信一子、となってしまう。

 妻が牧野信一子ちゃんになって、世を厭い、家を出ていかれては、いけない。

 吾輩の、毎日の大好きな洗濯物仕事は、自分だけの衣類ではとてつもなく張り合いのないものなる。それどころか、妻子に逃げられては、吾輩はひとりで生き地獄に落ちる。

すると、吾輩もまた、牧野信一になってしまう。吾輩は亮太だから、牧野信一太……

 

 ……ともかく、一刻も早く洗濯物をたたもう。どうやら吾輩は、ただ単に、「生活」が病みつきなのだろうから。

 

7時間目 大人の本音 「和解」志賀直哉 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 私は、私小説が好きなのだ。

 私小説ばかり読んでいるので、ちょっと見ると、私小説バカのようだが、私小説ならなんでもかんでもウェルカム、ということではなく、私小説にも優劣がある、ということも最近わかってきたのだ。愛ゆえに。愛の深さゆえに。とうとうえらいものだ。

 

 また、ラジオが好きなのだ。

 ラジオ好き、といっても、ラジオ受信機本体のことではなし、ラジオ番組が好きなのだ。

 だからラジコ、というアプリをスマホにダウンロードし、便利にタイムフリー・エリアフリーという機能に月額350円税別まで払って、で、「聴取。」という気になって、一向かまうもんか、インターネットを介してパケット通信で音声ファイルを随時ダウンロードしながらの、所詮スクリーミング、所詮上滑り、手元にはなにも残らないし、決してリアルタイムでない、と分かっても、題目は音声の内容、なのだから、それでいいじゃないの、と、事足りて、まあ、それで、満足なのだから、屁の河童なのだ。

 

 コロナパニックを経て、ラジオ聴取の度合いは、いや増したものだ。

 テレビをつけたところで、ニュースは不確定な情報ばかりを、味気ない分割画面で流すか、精彩のない再放送ばかり。文句を言い言いしながら我慢して観る自分にも、我ながら幻滅を覚えたものだ。それでラジオの度合いは、いや増した。ちまたでもラジオの需要が高まったとも聞く。

 

 ラジオ番組、あれこれ聴いた上で、完全私好みに、甚だ心許ないながら、選りすぐると…

 月曜は「ビバリー昼ズ」高田センセイと松本明子、火曜は、「デイズ」中川家、深夜に「爆笑問題カーボーイ」、水曜は無し。木曜は「ビバリー昼ズ」ナイツと清水のミッちゃん、深夜に「おぎやはぎのメガネびいき」、金曜は朝から「あなたとハッピー」春風亭一之輔と増山さやか、そのまま「ビバリー」高田センセイ、松ちゃん、磯山さやか、夜に「問わず語りの神田伯山」、土曜は無し、日曜は、夕方「バラカンビート」、夜「有吉弘行のサンドリ」、深夜「デイジーホリデー!」細野晴臣。これらを、できるだけリアルタイム、あるいは塾の行き帰り、小分けに聴いている。……少しウソをついた。バラカンビートは少しウソである。カッコつけすぎた。

 ラジコのタイムフリー機能は、聴取期間が放送後1週間なので、聴いている最中に、ふいと切れることがある。あれには腹わたが千切れる思い。また、インターエフエムの「ワットザファンデイ」が終わったこと、あれにはいや増して断腸の思いであった。

 

 神田伯山には、ラジオの冒頭、常套句がある。

「子どもの頃、私にとって、ラジオは大人の本音が聞ける場所でした。今ならネットで本音はあふれていますが、人に届く本音、言葉を選んだ本音を聞けるのは、私にとってラジオだけだった、と思っております。」

 最後が過去形なのが、意味深い、良い。毎度、丁寧に喋ってから、「そうそう」と、また、これもまた毎度、ネバっとした声色で自己紹介前の、いわば「マクラ」みたいな導入部へ突入する、のだが、私にとっては、このなか、「ラジオ」を「私小説」に読み違えても、通る。

 

 私は、どうしてスジがいいことに、小学5年の頃、芥川龍之介に感服し得たのだ。

 きっかけは、いかがわしい訪問販売を真に受けたママ、つまり母がもとめて、与えてくれた。紺の布地に金文字の豪華装丁、児童文学名作集みたい、聞いたこともない出版社による、マガイモノをつかまされた。しかし印字された情報自体は、紛れもないホンモノの小説集・説話集であったので、その中で出会えた。さらに新潮文庫を買い求めた。

 芥川と他作品を比べたとき、当時、私は、こう思ったものだ。

「芥川龍之介は、命がけの小説だ。他は違う。命がけの小説が読みたい」

 

 私は、いよいよ天才なのだ。

 

 しかし、私は、うぬぼれたのがいけなかったのか、いじめられることになる。

 事の発端は、いわば、黒船の襲来であった。というのは、黒船、すなわち、ひとりの転校生である。

彼が新文化として持ち込んだのが、ダウンタウンであった。世にも新しいダウンタウンの笑い、その冷血が、転校生とともに、我が東水元小学校にもたらされたものだ。

 私は志村けん流ギャグを繰り出す、「かとペン」とあだ名され愛される、平和な笑いの王様として君臨していた。挨拶ギャグ「かとペンスマッシュ」や、うるさい教室を静かにするギャグ「シーシースプレー」に、「トイレが僕を呼んでいる」というオリジナル曲まであり、録音され、掃除の時間、教室で流されていたものだ。

 そんな我が覇権が、ダウンタウンの「さむっ」という、硬質なスタッカートの鞭でもって、いともたやすく粉砕され、潰えたものだ。学級長の常連であった私の心は粉々になり、それを拾い集めるものの、その動作も「さむっ」と蹴散らされ、やむなく追随するも「さむっ」と指摘され、身動きのとれない、一挙手一投足「さむ」く、がんじがらめなのであった。「PTA」が「子どもに見せたくない番組」と言えば言うほど、子どもにとってのダウンタウンの価値は増すのだから、私からしたら、あれはネガティヴキャンペーンであった。「PTA」、あれは、子どもにとって、何の役に立っていたのか。まあいいじゃないか。

 

 ママ、つまり母に相談すると、「持ち前のギャグで面白く返してしまえ!」と諭された。が、私がそれを健気に行えば行ったで、ダウンタウン流の罠に嵌まっていくのだから、蟻地獄から逃れる術は、ないように思えた。

 また、女子たちから放課後、屋上付近の踊り場に呼び出された。そのときの私の状況、また、彼女らのキツネじみた顔つきから、いやな予感がしたが、案の定「かとペンっていじめられてるよね」との追及だった。

「は? なに言ってるの? さぶいわー」と、私はタヌキの顔でその場を逃げ去った。

 

「自分がいじめられている、と周りにバレた!」というのは、いよいよわがプライドの危機に、差し迫ったものがあった。毎年恒例のバレンタインチョコをくれる女子たちに「バレている」。これは、恥で、窒息死しそうであった。びゅうびゅう向かい風を受け、断崖絶壁に立っている気分であった。トゥモローネバーノウズ。絶体絶命のピンチ。そう見えた。

 

 が、ひとつ、ひらめいたのだ。

 窮地で耐えていて、ひとつだけ、思い浮かんだ。

 それは、暴力。

「さむ」と言う、彼の顔を、私は張った。

 教室中に、パーン、と破裂音が響き渡った、と記憶している。手のひらがびりびり痺れ、意識が遠のいていくようだった。

 彼は泣き、私も泣き、周りの子も泣く奴がいて、担任の教師はようやく動き、晴れて、私へのいじめはこれにて、終了したのだった。

 

 そうして、私は死の淵を見つめる、地獄の季節、思春期少年のドロドロ闇へ、つまり、深夜ラジオの世界へと落ち込んでいくこととなる。

 

 そこで私は、神田伯山の言うよう「大人の本音」を聞きたかったのかもしれない。

ラジオは、楽だ。聴いているだけで、「本音」にできるだけ近い言葉を得ることができた。

命がけ、とまではいかないだろうが、テレビでは決して受け取ることができない冷めた言葉のやり取りの中でこそむしろ、人間の誠実さがあり、私はそれを喜んだ。

猥雑なぬかるみの中にこそ、砂金が混じるのを、暗中に見た。

 

 今回、ラジオにハマるのは、中高生の時以来、2度目ということになる。コロナの窮地にあってか、手が伸びた。

 

 同様にして、私小説へも手が伸びた。

 

 私小説を読むと、「大人の本音」が、その作者の声色でもって聞こえてくる。

  とはいえ、真の私小説執筆とは、ラジオのようではなく、もっと残忍な作業に思える。

 作者は、「私」を主人公に据えるためには、自己を客観視しなければならないだろう。

 徹底的な客観視、それは、自分を一旦、亡骸にすることだろう。

 一度、自らを殺す。哀れ死体となった自分の、腰を持ち上げ、頭部を持ち上げ、歩かせて、それを中空から描写する、という半狂の気概がなければならない。

 生々しさなど、無用。乾き切った骸骨に、ホネホネ音頭を踊らせて鑑賞。自己を徹底して突き放し、物語のイチ登場人物として、操作される入れ物の、虚しいポーズは、自己ミイラ化、自己サンプリングとでも言おうか。

 

 私は、それは、一種のギャグ、だと思う。

 命がけのギャグ。断崖絶壁の、絶体絶命に出る、ギャグ。

 絶体絶命のときに、出た、あの私の暴力は、あれしか思いつかなかった。人に暴力をしてはいかん、と分かって、しかしそれしか出なかった。あれは、二度と使えない最悪のギャグだった。以降、かとペンスマッシュをはじめとするすべてのギャグは、封印したものだった。ギャグを、封印、とは、またたいそう得意げで、我ながらうすら寒いのだった。

 

 さて、志賀直哉の「和解」は、父子の和解を扱っている。

私は、志賀直哉が、好きだ。大好きだ。

志賀の私小説は、自分の心境を取り上げて、品物のように並べて、しげしげと眺めるようなことをする。心境まで、まるでミイラの展示のように、取り扱われる。

出会ったのは、大学生の頃だった。もっと早く出会いたかった。

志賀直哉の文章は、たった、一文で、志賀直哉と分かる。また、ほんの数行読んだだけで、彼のひととなりが分かる。「人の幸せとは、結局、人と会うことで発生する」と、人と会うことが苦手そうなバンドメンバーから、聞いたことがある。志賀の文章は、たった数行で、彼と会った気になるのだ。まったく正直に、自己を表現し得る、すごい人だ。自己サンプリングにより、正直さの、その良さを、まっすぐ伝えてくる。伝わってくる。命がけ、という言葉にある深刻さや赤裸々な感じもなく。……

 

さて、これから引き続き志賀直哉の話とは、長すぎるだろう。ここで筆をおくことにする。

 

 

午後3時のカトウ塾 加藤亮太

〈プロフィール〉

 加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。

2007年 バンド「august」結成。

2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。

初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。

日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。

某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。

塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。

某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。

2019年 独立、開業。

(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)

カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。

都立高校受験対策に特化し、成績アップ・志望校のランクアップを目指します。

葛飾区東水元にて夫婦で運営しております。

カトウ塾 https://www.katojuku.com

 

 

6時間目 言葉の消毒 「秘事」河野多惠子 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

これらの言葉、および文は消毒していません。

 アルコール消毒液等を散布ののち、気をつけてお読みください。

 

 消毒済みの文章とは、なんなのか。

 そんなもの、あるのか。

 

 新聞の文章は。

 あれは、文章のなかでは、最も消毒されたものと思われる。一見。

 が、いまや紙面にはコロナ感染症の情報ばかり。

 いや、もちろん、その情報は、大事なこと。冷酷だが、現実。その状況は刻一刻と変化し、我らは臨機応変に、かつ、厳正に対処することを求められる。

 どうすべきか。事態は深刻だ。

 本当に、どうすべきなのか。

 

 だがさて、脳内まで感染情報が浸透しきることはどうか。二六時中、気にしすぎることはどうか。結果、私みたいに、ストレスによる頭皮湿疹に悩まされることになってしまっては、どうか。痛痒い。が、不潔な指先で触ってはいけない。緊急事態宣言前に処方された塗布薬、それは、切れてしまった。治りかけていたが、しかしぶりかえした。そして、コロナが怖くて、いまだに皮膚科に行けていない、なおさら、痒いから行きたい、が……、という苦悶の日々が続いている。

 

 これは私にとっての本当の話だ。危機を茶化す気は、毛頭ない。

 

 言葉は、新聞の記事でさえ、危険をはらむようだ。

 

 じゃあ、批評は。詩は。ルポは。論説は。ネット上のつぶやきは。

 私からしたら、すべて、危険だ。

 消毒されたものなどなく、無菌状態ではない。そういう意味で、危険だ。

 

 小説は? 

 小説こそ、人為のたまもの。

 その文は、猛毒だろう。危険極まりない。

 だいたい、陰気でいけない。小説なんか。洗えるもんなら強い酸で洗ってやりたい。

 

 やはり、消毒された言葉などない。

 それどころか、手垢にまみれている。

 言葉は、コロナウイルスは生まないかもしれない。が、危険思想、痛罵、拷問、呪縛、淫風、病癖、醜聞、傲慢、悪霊、風評、SNS疲れ、男女間の揉め事、などなど、多様な毒を生む。

 言葉は、せっかく無菌状態の保育器にいた人間を、毒す。

 言葉は、毒の根源。

 

 統制せよ。本という本はただちに燃やせ。

 完全に抹殺するために華氏451度の業火で……そんな映画もあった。

 

 だが、私はひとつだけ知っている。消毒を施した言葉。

 それが、河野多惠子の文章だ。

 言葉は、言葉それ自体持つ意味や印象が、余白へと浸透し、作者の配置した場所から逃げようとする。そういうものだが、河野多惠子の言葉には、無作為の乱れは一切見当たらない。

 その文章、その言葉のつらなり、文字のつらなりは、さながら、日体大名物「集団行動」……

 いや、もっとだ。

 頭から消毒液ぶっかけられた後、ビシッ、鞭打たれ、「ここで立っていなさい」と指示されて、のち、一歩たりとも動くと起爆する即死への恐怖に、永遠に自分の居場所を立ち続けている、といった文字がある。

 それが河野の書く文章。文体だ。滅菌状態に限りなく近い文章を書いた小説家。

 近頃よくきく、「言葉を紡ぐ」、だなんていう、生ぬるい相互偽演出のユルさはない。完全なる支配者として、河野は、文を操作する。そこへ立たせられた文字、言葉、文が、ただならぬ緊張感をともなって、潔癖な文体となり、完膚無きまで紙に刻まれ、永遠に物語を伝え続けている。

 

 ステイホーム、外出自粛、に乗じようと、私も蔵書を漁ったものだったが、これがどうも気乗りしないのである。読んでいたものすら、投げだしてしまった。

 どうやら人は、いや、少なくとも私は、そんな容易に本を読めるものではない。「この際だから本を読もう」といったようなスローガンを新聞などで頻繁に目にする。が、読書にしても、案外、ままならないでいる。

(本稿発表の場所をわきまえると、「本が読めない」と言うのは、不適切であることは承知しております。無礼をご容赦ください。)

 感染予防するための、自粛。その効果の議論はさておき、私は、その仕組みは、理解して気をつけて生活しては、いる。

 が、八方を塞がれ、自由を失っている身にとって、「じゃあ、読書に切り替え」というのは、いささか短絡的過ぎるように感じる。

 読書は、外出していい、観劇していい、ライブ行っていい、会食していい、など、当たり前の自由下にある、つまり、多少の毒を得る自由があってこその、行為のようだ。いや、なにせ、読書こそ、けっこうな毒、という話ではないか。

 そんな中であって、河野多惠子の文章は、消毒液の潔癖がある。作者の企みが極まっているのだ。

 河野多惠子「秘事」。

 文体、文章は、凄然、とも表現していいほど整う。自然発生や、企まれざるの美、など皆無。人為の中の、人為。小説の中の、小説。

 どこかに綿密に隠されているはずの、毒。読者はその毒のにおいを嗅ぎつけたくて進むも、それがおかしい、見当たらない。この長編は、瑕疵のない完全無欠の高層構築物か? 登りきろうとしている、と、これまで頑丈な、頼り甲斐のあった構造が、ふわり、ほんの一箇所、ほんとうに、蟻の一穴、抜け落とされている。そして、その隙間から、世にも愛おしき毒が吹き上がっているではないか。

 そのときの踏み外しの、浮遊のよろこびを、そして、毒の苦しみを、とくとこうむっていただくといい。