午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 

感想大好き塾長・カトウが、書物、美術、音楽、演劇、映画にまつわる感想を書きます。

どうぞご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈プロフィール〉

 加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。

2007年 バンド「august」結成。2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。

初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。

某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。

塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。

某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。

2019年 独立、開業。

(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)

 

 カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。

 都立高校受験対策に特化し、成績アップ・志望校のランクアップを目指します。

 葛飾区東水元にて夫婦で運営しております。

 

カトウ塾 https://www.katojuku.com

 

 

4時間目 口ぐせと言い訳 「戦災者の悲しみ」正宗白鳥 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

「地獄」「地獄のように」が口ぐせ、と妻に指摘された。

「地獄の忙しさ」と言ったり、納豆とキムチをまぜたものを「地獄のようにうまい」とあらわしたりして。

「地獄」の原義からは時折離れ、「顕著」という意味合いにおいても用いてしまうのは、おかしい。

それに、「地獄」だなんて、不吉を連想させる、たしかにいやな口ぐせだ。

 

 ある朝のことである。

私は、

「地獄、は、天国、に言い換えなさい」

 と、啓示を受けた。

 

 先日、新聞の人生相談で、老年の男より、

「私の一挙手一投足にいちいち注文を付ける妻。嫌気がさした。離婚すべきか」

との相談があった。

回答者の、これも老年の男が、

「その妻である人物は、あなたの神である。あなたが世間で恥をかかないよう、あなたが多少不機嫌になり怒りっぽくなっても、それを耐えてでも指摘し続けてくれている、稀有な存在。すなわち神である。それは彼女以外にはできないこと。他人にいちいち文句つけられたらそれこそあなた本気で怒るでしょう。妻であるその人をよくよく守護神とあがめよ」

などとあり、これは、なかなか、こたえた。痛烈であった。

 

 私にも妻は、「かみさん」であることは、これ疑いようもない。

妻の言うことを信じ、いざ「天国」に言い換えてみると……

「天国のような忙しさ」

これは実際そうだ、忙しいのは、ありがたいことにちがいない。

「天国のように美味い」

確かにそうそう、納豆とキムチのまぜたもの。あれは熱々のご飯にかけて、極楽浄土に至るほどのありがたい気分になれる。

単なる言い換えがここまで効力を発揮するとは思わなんだ。 

「天国だ、こんなに道が混むなんて」

「つまらなすぎて、もはや天国」

「この世は、天国だ」

 

・・・・・・

 

 テレビやラジオ、スマホ等から入ってくる情報に、私はいちいちケチをつけている。その対象は、政治、経済、芸能、スポーツ等、多岐にわたる。また、そういった、いわゆる世間一般のことにかかわらず、読書や観劇などの表現活動に触れて、私はその作者や周辺にケチをつけている。さらに、実生活における、ちょっとしたできごと、日常の小事件へも、あれやこれやとケチをつけている。昨日電車でこういう客がいた、だとか、そういった猫も食わない類だが。批評、といった高邁なものとは程遠い、自分のことは棚に上げる、どころか、それを餌に自らを正当化するのだ。ずるいなんてもんじゃない。標的が、手の届く相手じゃあないから、殴られる心配がないうちに「そういう者とはちがう自分」を高らかに宣言する。妻を聴き手に、「毒舌名人曰く」という、風情をやってのける、その気分は、じつに気味の好いもので、吐けば吐くほど止まらぬわが毒に、自ら酔い痴れて、いっしゅ、興奮状態に、至る。

これは、とくに朝。食卓についてから、膳を下げるまで、米粒とばして延々続く。

私からしてみれば、この儀式は、元気の証、元気の表出である。自己顕示の、爆発の朝である。だが、聴き手からは、「朝っぱらから文句ばかりで、たまったもんじゃない」と、たまにチクリ刺される。聴き手が肝心である。独り言するわけにもいかない。

最近、そんな私の様子を、息子が真似し始めた。

人差し指を立て、あちこちへ振りかざして、口をぐにゃぐにゃと動かし、しかし、やたらとまくしたてている。真似だから、デフォルメされているのもおかしい。

が、生来の、われわれの顔面が似ているのも手伝って、妙な気分に打たれた。

……私の内臓のある一面を取りだされて、それを自ら眺めているかっこうで、何か奇妙な感に打たれたのだ。

ぞっと身ぶるいしそうになるのをかき消したい。

で、ふざけてみる。私もその真似をしてみせる。

真似の真似をしてみた。

「おれは毒を吐いてばかりのモンスター、その名も『吐瀉』だ。ぺっぺっぺー」

 すると、彼は泣いてしまった。丸くした目から、粒粒の涙がこぼれる。

単にびっくりしたのだろうが、真似の真似をされて、腹が立ったのもあったかもしれない。それとも所詮私と同様、身ぶるいしたものだろか。

 

・・・・・・

 

 さて、前回の投稿の日付は七夕とあるから、今回まで4か月以上も間をあけてしまった。その原因は、私の生活にある。これは、怠惰なる生活、という意味ではない。

私の生活は、朝8時頃、息子の「マンマ」せがむ声を目覚ましに始まり、「モンスター・吐瀉」になって、午前中は息子と遊んで過ごす。室内で過ごすことも多かったが、最近は歩けるようになり、それでは狭く、物足りないらしい。だからだいたい近くのショッピングセンターへ散歩に行き、結局室内というわけだが、まあ、きょろきょろしながらうろつく。息子が寝てしまえば喫茶店に入れる。そして、パートあがりの妻と落ち合って、バトンタッチ、息子は渡し、単身仕事場へと向かう。そこは、最寄の金町駅から歩いて20分強という、僻地だが、もう慣れたし、道も、行きつけの喫茶店やパン屋、通りかかる家々の様子の移り変わり、などがあって、たのしく通っている。14時オープンし、雑務、経理、宣伝、授業準備等、やることは多岐にわたる。夕方からは、メインの仕事、授業。奇跡のようだが、開業後1年弱、生徒たちが定着した。これを終え、22時頃、教室を閉めたら、帰りは駅まで走る。約2キロ。ストレス発散にもなり、肉体の鍛錬というほどでもないが、健康に良かろう。人の気配まばらな行路、時間であるのをいいことに、音量を大きめにして、イヤホンからはローリングストーンズ、である。嗚呼、ローリングストーンズ。どうだ、まいったか。じつに素晴らしいではないか。素晴らしいでしょう? このバンドの中期と呼べばいいのか、60年代後半から70年代前半のあたりのアルバムを聴いて帰ると、「なにはともあれ、今日もいい一日だったぜ」という気分に浸ることができる。それこそ「天国」である。ずっと浸っていたい気分だ。ストーンズのファンって、革ジャン着てサングラスかけたオッサンだろう、というイメージがあるだろうが、私のようにジャージ姿もいる。どちらもオッサンには変わりないか。そこへ来て、ヴェルヴェットアンダーグラウンド? このバンドのは、こうはいかない。だいいち、彼らの名称からして、一筋縄ではいかぬ。そうはいかない宿命を背負ったバンドだ。先日は「シスターレイ」という長い曲。これは、脚力は出たが、帰宅後、着ていたものを洗濯機に暴力的に放り込みながら、高い度数のアルコールに重い煙草に危ないクス〇が必要な気がしてき、そんなものは拙宅には見当たらず、結局、ざんねんな気分になって、いつもはひとつで済ましているヨーグルトを、なんと二つも食べてしまった。これで残りゼロとなった。選曲次第でわが家のヨーグルトの減りが変わるのなら、あれはランニングには向いていないらしい。これはまさしく「地獄」の音楽ではないか。遅い夕飯を食べ終え、風呂からあがれば、地獄だろうが天国だろうが、布団にはいるのは1時頃となる。

これが私の生活である。

 

言い訳がましいが、息子がかわいくて、仕事がたのしくて、読み、書く時間がなかったのである。

 

地獄のような日々、時間がなかった……

 

と言うと、かみさんに叱られる。

是非とも読み換えていただければと思う。

 

そりゃあ、そうだ。恋女房と愛息とに見送られ、自分の念願だった塾をやって、生徒も来ている。ウソのような話だ。奇跡のようだ。これを「地獄」と? 甚だおかしい。大間違いに間違っている。

……そんなことは、はなから、わかっている。

しかし、どうも、「地獄」と口が動く。毒づく。「天国」と、自分の生活を表するのは、どうも恥ずかしいものじゃないか。

 

・・・・・・

 

正宗白鳥の、彼の後期にあたる作品、私小説「戦災者の悲しみ」。

そこには、私の「地獄」ではないが、作中「私」が、折に触れて、嘆じる、とある口ぐせが、まあ、ひとつ、あり、作中「私」の声の、憧憬する声と、嘆じる声、というか、愚痴る声、それら声と声とが、器用には扱い分けられないゆえに、現実的な問題に際して、やけに超然としてい、それがはた目におかしく、いや、かなり状況はきびしいのだろうが、やはり、おかしい。簡便には言えぬ。ラストは、断絶するが、あれは余白だ。作者の生身の含羞のような空気感に触れて、さらにさらに、簡便に言えぬ。

無理くり、私の生活と作中の主人公の生活とを結びつけて、きびしい状況においても理想を求めるゆえに、虚勢を張った言葉が、切実にある、という締め方をしようとしたが、そんなことはもういい。

本作は、短くも、私が小説に求めるすべてが炸裂する。輝ける、忘れがたき、傑作。ローリングストーンズもヴェルヴェットアンダーグラウンドもそうだが、地獄に落ちても、そこで独りそらんじて、再現せしめればせめて60パーセントくらいは、また興奮を味わえる。だから、死ぬまでに一度、通っておいてよかった、と思えるほど、大切な作品である。

よかったら、死ぬまでに一度お読みください。

3時間目 いつか読書する 「疑惑」近松秋江 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

私は一女に恋し、付き合っていた。が、別れた。関係は、たった一年で、コト切れた。

 しかし私はその女を忘れられず、それから幾度も、女に復縁を迫る。

 

 たとえば、いきなり「プレゼントがある」とメールして、女の最寄り駅で待ち伏せて、ブロマイド入れを渡しに行った。渡すことはできたが、「このあとは」と聞く間もなく、「このあと、用事だから」と先手とられた。「ついていってはいけないよね?」私は女々しい色を浮かべて懇願したが言下に断られ、自分をそれほどみじめな人間にさせてしまうその女をこの場でどうにかしてしまいたい……とうに置いていかれたのに、その考えにとりつかれて白昼の改札口前で突っ立っていた。

 またあるいは、都内の雪予報があった、これにアイデアを得て、仕事終わりの女のもとへ、前回の反省、自分が男らしくないのがいけないのだ、と発見し、就職したフリを通すために、おろしたてのスーツを着込んで実家の車を借りて、女の職場前に乗り付け、「ちょうど近くを車で通った。風邪をひくといけない。送るよ」メールをしたところ、返事がなく、その30分後、「まだ仕事中?」と送ると、その文面は「ERROR」を添えられて返ってきた、つまり着信拒否を設定されたことを知って、ネクタイを緩めたり締めたりした。

 また、たとえば、夜の銀座の交差点を行くあの女に似た相貌の女を、私は追いかけた。(そのころ、似た女を追うクセがあった)追いつめてみると、その女は偶然にもじつに、あの、女なのであった。ラコステの長方形の店内で、偶然なのだが、いや偶然を装って、私は物色するフリで近づいていった。この時、私は酔っていた。「あ」という向こうの反応に気をよくし、「俺は今、映画をやっているのだ。映画好きだったよな。映画の脚本の技術を、今さっき、とある人からうかがっていたのだ。俺はいずれ、映画を撮るつもりなんだ。スクリーンに写したいのだ」酒の力でまくしたてた。青くなった女は、逃げるように、その場を去ろうとした。私が、その硬い背中にかけた言葉は、それでもやはり「このあと、どこか行くのかえ」という、泣きべその懇願であった。すると女は、私との別れの原因の、決定的な人物の名前を出し、その男と会うのだ、と言い捨て、駆けていった。私はその白い背に銃口を向けた。しかし、幸か不幸か、私は実物の銃を持っていなかった……

 こうした懇願を、私は10年続けた。その女と結婚したい、家庭を持ちたいと夢描いていた。

 その10年間、たくさんの本を読んだ。

 また、その女を題材に、いくつかの小説を書いた。

 

 また、映画も観た。緒方明監督「いつか読書する日」の田中裕子演じる女が、数十年の間秘めた恋心を、狭い壁一面にびっしりとつめられた本で、表現されているが、そのシーンを見たとき、私なんかは、わんわん慟哭、禁じえなかったものでした。

 

 私は、本棚に、近松秋江の「疑惑」を収録した文庫本を、ずっと持っている。この小説は、筆者の代表作「別れたる妻に送る手紙」の続編である。

「別れたる…」はその名のとおり、家出した妻に宛てて恋心をつらつらと連ねた書簡体の小説であるが、ずっと手紙のなかという設定の割りには、ずいぶんと小説らしく書かれてあるし、やけにドタバタしているのが、はた目から見てたのしそうで、狂騒具合に肩透かしを喰らった思いで、内容はあまり覚えていない。もしかしたら途中で読むのをやめたかもしれない。

 続編の「疑惑」が、私の心をわしづかみにした。それは冒頭いきなり現れる。引用する。

 

  “それは悩ましい春の頃であった。私がお前を殺している光景が種々に想像せられた。昼間はあんまり明る過ぎたり、物の音がしたりして感情を集中することが出来ないから、大抵蒲団を引被って頭の中でお前を殺す処や私が牢に入った時のことを描いては書き直し”

 

 ……これだ、これは俺だ、俺の痴情だ! そう思ったものでした。

 そうして、主人公は、日光の温泉街へ、妻を探しに、さながら探偵のように、旅館の帳簿をあたったりして、嫉妬の念にさいなまれながらも、ひたすらに追っていく。このあたり、頭がまったく私と似て、いわゆるストーカー行為そのもので、「あるある」みたいな面白さが、私にある。

 が、不思議なことに、本作も、「別れたる…」も、また近松秋江の代表作「黒髪」も、行為自体は陰惨というか、目も当てられないみじめなものなのに、主人公の感情の描写はやけに軽々としていて、整理されないまま突き進み、いくら読んでも、主観的過ぎる夢の話のようで、私はその不思議な感覚に、つい、うっとり眠くなり、寝てしまう。

 すなわち、本棚にもう10年はある、言ってしまえば、私にとっては、あやしいニオイが立つ、秘蔵の〇〇本だが、それを一度も読み切ったことがない。いつも、途中で、放ってしまう。

 そういう小説も、また小説の側面だ、それも良いと思い、また本棚に戻すとする。

 映画も、どうも眠くなるのには、映画らしい要素、「皆が同時に見る夢、という要素があるから」ときいたことがある。取ってつけたような話だが、それは好きな話だ。

 

 また、不思議なことに、私の10年思いつめた例の女とは、私は結婚できた。そんな結末はあまりにもドラマ仕立てのなりゆきで、小説なんかにすることは、憚られる。

 

2時間目 やりたいことがたくさんあるのさ 「いのちの初夜」北條民雄 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 

 約三年間、私は段ボール製造の会社に勤務していた。段ボールどころか製造業自体全くの未経験だったので、製造業とは何なのか、段ボールとは何なのか、これを営業部員をしながら学んでいくことになったが、いや、その前に、営業だって未経験なのだ。営業とは何なのか、外回りとは何なのか。とにかく学ぶことの多い日々が、まず、続いた。得意先からは「何だか、似合わないね」と言われた。つまり、当然のことながら、私は社にとっては全くの足手まといなのだ。で、少しわかりかけてきた、入社半年した頃だった、今度は総務部・情報システム部へ配属された。総務部では経理関係の仕事に関わった。経理に関しては簿記3級を持っていたのだから、まだ、少しは役立てそうだった。また、いちプロジェクトのため新しく立ち上げられた部署である情報システム部、そちらが私に任されたメインの仕事だった。そのプロジェクトとは、段ボール製造のすべてに関わる基幹システムの、旧ソフトから新ソフトへの移行という仕事だった。パソコンの操作に少しは通じている私に任されたのだった。関東から東北にかけ4工場を有する会社である、移行はネットワーク上で行われる、といっても、実際に現場で運用する、取り扱うのは、機械化がいくら進んだとはいっても、やはり半分以上が人間であり、私なんかよりずっと段ボール製造に接してきた人たちが、突然入ってきた小僧である私の指示のもと、彼らのできる限り腑に落ちる形でのシステム移行を完了させ、運用する。これが一番の難題で、私は文字通り、飛び回った。常磐道を何往復したことだろう。で、なんとか、社員や取引先の理解と協力があって、それは実を結び、4工場すべてのシステム移行は完了。日々の運用も、だんだんと軌道に乗る塩梅であった。

 

 とはいえ、私にはどこか、乗り切れていないところが、あった。乗るどころか、始終、他人事なのだ。

 なぜなら、私は、じつは、他のことがしたいのだった。

 事もあろうに、小説を書きたいのだった。それも、文學界新人賞、すなわち、芥川賞を狙っていた。

 宮仕えの身で、しかもまだ下っ端の青二才が、一刻も早く会社の利益に貢献できる一人前になるべく、懸命に自己研鑽すべき。

 そんなときに、私はよほどのことがないかぎり、いや、よほどのことが起こる前に、と、定時の17時半から2時間以内を目安に、まだ機械音が唸りを上げる社を飛び出し、ファミレスみたいな喫茶店にて、書きたいものを、書いていた。

 妻の待つ家に着くのは、23時過ぎで、温めなおしてもらって、手料理を食うのであった。

 結婚してまだ三年も経たないが、妻には「これだけは譲れない俺の真の生活だ」と、言い含めておった。

 

 約1年かけて、とうとう書き上げた。パソコンにて打ち直し、キンコーズ西新宿店にて印刷し、校正を重ね、いっちょまえに、作物として、新人賞係へ送った。この送付の瞬間は、言いようもないものがある。

 が、かような私も、脳天気ばかりのヤワではない、すぐに次の作品へと取り掛かり、その賞が失格となったとしても、それがどうした今度で獲る、という意気であった。

 それに、やっぱり、小説を書いているだけで飯が食えるようになるなんて、夢のような話で、そんな夢、つるっと、叶うわけがない。何度も言うが、夢のような話だ。

 しかし書くことは、私にとって、「これだけは譲れない俺の真の生活」であって、じかで触る感触のある、私には、生々しい現実だった。

 

 例の小説は、例のごとく、落ちた。選考には、かすりもしなかったようだった。

 

 私は、そのとき、妻とともに福島県に転勤し、住んでいた。しかしその日は、始発の特急列車で都心に出向き、得意先が催す研修を1日かけて受けて、夕方、とんぼがえりで戻ってくる。

 研修会場へ向かう途中、東京駅の駅構内の書店にて、新人賞発表の号の雑誌を手に取り、ケチって立ち読みで確認するよりか、買ったほうが、受かるかもしれん、と、購入し、店外を数歩。

 開くと、やっぱりそこには、私の名前を発見することはなかった。「はー、あ」とわざとらしいため息をひとつ。少し眼球を落っことしそうな、全身の前転の衝動を感じつつも、すぐと思い直して、私は研修を受けた。

 休み時間に、古い岩波文庫の、薄い、徳田秋声を、膝の上で読んでいた。講師であり得意先の担当者でもある、スーツも髪型もきちっとした印象の50がらみの男が、私めがけてやってくるのが、黒い靴の細く輝く先端で、わかっていたが、私は顔をあげなかった。

 

   *   *   *

   

 システム移行の後の、私の仕事は、新たに、新入社員採用係、原料調達係、工場増築へ向けての工場長補佐、だった。さらに、近々営業もやるらしい、ということが、私にまつわる噂として、別の社員から聞かされた。今のうちにゴルフをやっておけ、とのことだった。さすがにめまいがする思いだった。工場長からは、

「増築に携わるなら、現場のことも知らないとなあ」

 とのこと。私はフォークリフト運転技能の講習を受けた。時代錯誤的な、やたら怒鳴り散らす教官だったが、私の運転の下手さにはほとほと呆れて「あんちゃん、悪いことは言わねぇ。危ねえからやめとけ」とのことだったが、叱咤激励と受け止めて頑張ることが、「現場のことも知らないといけない」私には不可欠な行動なので、どうにか、こうにか、這々の体で、免許取得に漕ぎ着いた。

 工場に戻って、ちょっと練習に、と乗ってみたら、リフトの足元が、パレットにうず高く積まれた段ボールシートを、すっと触れた。ぎょっとして、見てみると、リフトが通ったとおりの跡がくっきりついていた。つまり、製品を数十枚、壊してしまっていた。写真を撮り、始末書を書いて、私が開発に携わった、「ロス報告システム」に入力した。これで、離れた本社でもリアルタイムで、私の作った分の不良品が、その画像とともに、知られることだろう。旧システムではなかった、とても優秀なシステムである。

 車に乗っての道すがら、エレファントカシマシの、いろいろ入ったベスト盤CDを聴いていた。といっても、いつもかなりの音量で流し、そして、聴くというより、自分がボーカルになったつもりで、歌っていたのだ。

 音楽はいい。歌っていれば、眠気も吹き飛ぶし、なにより、その歌の爽快な気分に乗って、いつのまにか、いやな時間が過ぎてしまうのだから。会社から帰宅の途につき、小説へと向かう当時の私には、切り替えのスイッチとして、不可欠なものだった。

 とくに、エレカシは初期の曲は、よく歌った。「待つ男」や「奴隷天国」なんかは、声が枯れるくらい、痛快に叫んだもので、誰かに聞かせてやりたいくらいの上達ぶりだった。上司に連れて行ってもらったスナックで、一度「奴隷天国」を歌ってみたら、期待していた非難をすら、されるどころか、誰も聴いちゃいないようだったが。

 ロス報告の後も、いつもどおり、がなり声をあげていた。爆音を鳴らしても、ここは福島県の工業地帯。周りには軒並み、轟々と唸りを上げる工場と、また轟々とエアコンの機動音凄まじいパチンコがあるばかりで、ひとけはほとんどないのだから、私は容赦なかった。

 と、とつぜん、(アレ?)声が出ないのだった。

 風景がぐにゃっと砕けて、(危ない!)次の瞬間、頬に、熱いものがぼとぼとと落ちた。喉元を硬く重いものがこみ上げ、しゃっくりを感じ、ようやく私は、自分が泣いていることに気づいた。

(ええい、なに糞!)

(そんな、女々しい、こみあげてきた感傷なんか、叫んで散らしてしまえ!)とばかり、むしろ勢いづいて、エレカシの何の曲だか、しらないが、曲に乗せて叫んでいれば、いつもどおり、過ぎ去ってしまえるはずだった。

 2番の「夢だきゃたくさん持ってるぜ、やりたいことが、たくさんあるのさ」のところだった。

 すると今度は、もっと強い衝動につかれ、私はウッとしゃっくりをあげ、二の句が継げないのだった。

 アクセルを緩めて、ようやく、乱暴な衝動にとりつかれていた自分を、抑えることができた。

 

   *   *   *

   

「いのちの初夜」は、このとき私の感じていた、「俺は違う」を隠して勤務していた、あの鬱屈とした気分と、さらに、「これが真の俺だ」と思っていたものにこそ、徹底的に否定され打ちのめされていく現実、それへの絶望感、そして、不意に圧倒されることとなった、エレカシの「男餓鬼道空っ風」の歌詞世界、直面する困難によってがんじがらめになりそうで、ちくしょう、とヤケになりそうなところを、いや、全身で真っ直ぐに突き進んでいきたい、「魂」と呼べるくらいの、自分のほんとうの情熱、その情熱を追求すること、つまり「魂」の復活、それへの讃歌、とでも呼べる、生々しい血潮のうごめきがある、23歳という若さで夭逝した作者による、命がけの、不朽の名作である。

1時間目 暴力的なほど透明に 久芳真純「優しくあることを許して」展 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

 

大学の校舎のエントランスで、私は二度、その現場に立ち会ったことがある。

 

「ガシャン」という大きな音。見ると学生がガラス戸の眼前で突っ立っている。彼は私の知人だ。足元にはガラスの破片が散らばっている。つまり、いま彼はガラス戸を破壊したのだ。授業の狭間のせわしい時間ゆえ、案外注目を集めない彼の、しかしその目は泳いでいる。つと歩み出た中年の常駐警備員。あいつ逃げる気配もないらしいが、おかしいことにすでに腕を掴まれている。

 

 わざとではなく、不覚にもガラス戸を蹴り破ったということだった。少し切ったらしく、罪のない彼のおでこには絆創膏が貼られていた。

 

 ガラス戸は、戸にガラスをはめた、そのデザインの主な目的として、内部と外部とを隔てる、その仕切りの透明化ということがあろうか。外光を取り入れつつ、戸の第一の役目をも獲得する。研究に励む内の人々の閉塞感を低減するには、ガラス部分の透明度が高いことが肝要。清掃員はきっと、我々学生たちのことを思って丹念にガラスを拭いてくれたのだろう。その懇ろな思いが、ついに空気と同化するほど透明なガラス戸を現出せしめ、知人の半身を喰った、というわけか。拭き上げた職人技を、お見事、と言っても、その、あるはずのガラスが、見えぬ。

 

 この現象を私は二度見た。

 

 10年以上前の、のんびりした話のようだが、このとき彼が味わったであろう狼狽はいかばかりか、推し量ってはふいと身震いしたものだった。

 

 しばらくぶりに、その身震いと同種のおののきを感じたのが、このたび観た、久芳真純の作品だった。

 

 タイトルにある人の「優し」さとは、磨きまくったガラス同様、目に見えないものである。そして、「優しくある」はずの人の仕草は、行為者の思惑を超えて、ときに他者をがぶり喰う、のかもしれない。いつのまにか当たり前になしている私の日常生活の仕草は、中空に額縁を当てはめる虚構(演劇的手法)によって、解体され再構築されることで、上滑りし続ける誰かの不器用なポーズとして、示し出されている。

 

5月24日まで gallery 112(あかぎハイツ)

 

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