「14時間目 祖父の死 「禽獣」川端康成 午後3時のカトウ塾 加藤亮太」

じいちゃんが死んだ。

じいちゃんとは、私の祖父のことである。

 自宅でゆったり暮らす、その様を見て、「そろそろなのか」とは思っていたものだが、入院後、意識をなくしてから3日ほどで危篤となり、急展開で、死んだ。

 

急展開で転がるようなテンポではあったが、危篤状態でのじいちゃんの顔は、判別がつかない、別人のもののような、そして、いかにも、遺体らしい印象だった。手を握ったものの、硬く、はじき返す予感のない、まるで死後のもののようだった。

 最近のじいちゃんの姿は、一日のほとんどを寝て過ごし、徐々に消失していくように見えていたが、ついに死ぬに至った、ということか。そう納得された。

 

 うっかり私は、「じいちゃん」の前で、

「今夜が山だって?」

 と失言したくらいだった。

父は、「でも、その山を、越えてくれないと」

私には小声でたしなめつつ、

「おとうさん、また来ますからね! あとは大丈夫ですから、ご心配ないように。また元気にいらっしゃるのを、お待ちしていますよ!」

 と、耳元に叫んでいた。

今わの際で声をかけるには、「心配せず安らかに永眠してください」と言いつつ、「頑張って復活してください」と言うべきなのだろう。

 

 コロナだから、少人数・短時間で、と制限された面会だったが、制限があってもなくても、じいちゃんのために、私たちができることは残されていなかった。

 

「声をかけてあげて」

 臨終の、深夜の病室で、母は懇願した。

 呼吸器の外された顎はあんぐりと開放され、じいちゃんは完全に遺体となってしまった。

「じいちゃん、さようなら」

 私は、それしか言うことしかできなかった。

 何も言わないでは、集った皆に悪いから、そう声をかけた。

じいちゃんの魂というのか、気というのか、そういった、「じいちゃん」を「じいちゃん」たらしめていたものは、とうに滅してしまった。それが実感だった。

 

 その死の朝、自宅で安置された遺体を、妻と息子とを連れて、訪れた。

 

 2歳と9か月くらいになる息子だが、生前のじいちゃんをやたらと慕っていた。

じいちゃんの顔を見ると「じーちゃあーん!」と叫ぶのだった。じいちゃんも「はあーいー!」と、何度も互い叫び合う。

膝に這い上がり、口を開けさせて、入れ歯をいじって大喜びしたり、「オウッ、もうあっちへ行け」などと、じいちゃんの口真似して、じいちゃんを怒らせ、怒ったその真似をまたして、本気で怒らせたり、と、息子は半ばおもちゃにして遊んでいた。

じいちゃんは、軽くだが痴ほうもすすんでいて、老体には疲れるだろうし、あるいは、何が起きるか予想がつかず、危なっかしいので、私は息子を引き離す。だが、息子は頑なに「じいちゃんのところへ行きたい」と私の腕をすり抜けて、においの染みついたじいちゃんの寝室に入っては、足もとに乗っかったりしていた。

 

白い覆いをとって、その顔を見た。

 そこには、増して物質然として、さわやかに尖らせた顎があった。じいちゃんには、こんな顎があったのか。私の記憶にはなかった。

 

 妻は泣き、祖母や母や叔母も、涙ぐんで、

「じいちゃん、寝ちゃってるのかな」

 などと、息子に声をかけていた。

 

 すると、息子は、右手の親指と人差し指で輪っかをつくり、左手の親指と人差し指も軽く輪をつくり、手の平を向け、目をつぶった。

 

皆が目を見張った。

 

息子は、とあるポーズをとったのだった。

 

「見てよ、阿弥陀様だわ!」

「なんて子だ、じいちゃんの臨終に、阿弥陀様の恰好をして……」

「偉いねえ、偉いねえ」

 

 阿弥陀如来のそのポーズは来迎印、摂取不捨印と呼ばれ、「阿弥陀仏が西方極楽浄土よりあなたを迎えに来ました。あとは任せなさい」という意味があるという。

 

 私は、「よくも絶妙に、このタイミングで…」そう言いかけた。

が、もう言葉は不要のようだった。いや、言葉に詰まった。

 

 息子は、日頃から仏教美術が好きで、時折真似をしているのだったが。

 

祖母らは、一様に感極まり、息子は、突如として神秘性を帯びた。

 

傍らの私もその神秘に包まれ、世にもありがたいものを、目の当たりにした気がした。

 

息子はそのポーズを解くも、祖母は幾度もそのポーズを要求した。

また息子は、その要求に応えるのだった。

 

 

 

川端康成の「禽獣」を再読すべきだろうと、開いた。

 

しかし、粗雑に扱う命の感触に嫌気がさし、やめてしまった。

 

私には子供がいる。命を粗雑に扱う描写がいやだった。

 

 

なんとなく、背中の棚に放り込んでおいた。

 

 

 

それで翌日、また開いた。

 

昨日より読み進んだ。

 

昨日、「いやだった」ということは、私にはその手触りがわかってしまう、すでに私の一部にある、ということだと気づいた。

 

しかし、「虚無のありがたさ」というものがよくわからない。

 

読み通したが、よくわからない。

 

そしてやはり、ある登場人物のポーズと、息子の阿弥陀如来のポーズとが、重なった。

 

「ま、ポーズとして重なっただけだ。それに、息子はそりゃあ無垢だから。うちの場合は、そうありがたい、というものではない。結びつけるのは浅はかだ。ただタイミングが良かっただけ」

 

 実生活と重ねることから逃れられず、読書に没入できないことに、いら立ちを感じていた。

 

 本棚に戻した。

 

そのまた翌日の朝、まだ誰も起きてこない時間。

三たび、手に取り、開いた。

 

祖父の夢を見たのである。

あちらこちらで、やけに楽しそうに微笑んでいた。

その姿は、私のイメージにある「じいちゃん」。

痩せ細り、眠り続け、日に日に存在感をなくしていった、最晩年の祖父ではなかった。

 

 

気になったところを拾い読みした。

 

 メモをした。

 

「私は、絶対に死ぬ。

だが、私は死を経験できない。

他人の死しか経験できない。

死は、客観的。」

 

「だから川端は、生を、死の淵から描いてみた。……?」

 

「生が無垢であればあるほど、

死の絵筆の彩なすものは濃密になる。……?」

 

 

起きてきた息子に「バン」と撃たれ、私は「ウッ」と死んだふりをした。

 

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〈プロフィール〉

 加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。

2007年 バンド「august」結成。2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。

初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。

某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。

塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。

某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。

2019年 独立、開業。

(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)

 

 カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。

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 葛飾区東水元にて夫婦で運営しております。

 

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