箱の中の手紙を忘れていた 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ14こめ

駅に向かう途中、めがねを忘れたことに気がついたので、引き返した。私の目は良くはないが、悪すぎるということもないので、日中めがねなしで過ごすことも多い。「目によくない」ありがたいご意見はとりあえずスルーします。掛けなかったり持ち歩かない日なんかもある。でも今日はちがう。『生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ』の初日。この日を楽しみにしてたんだ。

家に着いてすぐ、机の上のクリアファイルが目についたので「お、そうそう、パンフレットを持ってかえるのにいるんだよね」とカバンにしまう。あ、やっぱりコッチかも。白い帽子に被り替える。悩んで結局同じ靴を履く。電車の時間が気になるので急ぎ家を出る。

 

駅のホームで電車を待っていたら「え···?」と驚いた。めがね忘れた。もう一度言います。めがね。忘れた。愕然とする。今私めがね取りに戻ったんだよね?カバンの中をもう一度ようく探す。あれクリアファイルが2枚入ってる。そうだ昨日のうちに忘れないようにって入れたんだ。めがねは?ない。まあ?見えないっていうこともないし?···あれ、よく見るとこの帽子···前の方がよかった気がする。(チーン)

···下唇を突き出したまま国立近代美術館へ。とぼとぼ展示室に入ると『萬朶譜 梅の柵』に出合う。ボヤけてよく見えないから張りつくようにして見る。それで分かった。私はめがねを忘れたんじゃなくて、忘れることを望んだのだ、と。

 

一体どういうことか?

 

この展覧会で1番見たかった傑作『釈迦十大弟子』を前にして私は考えていた。棟方は弱視だったため、デッサンの線すら思うように描けなかった。ある時、川上澄生の板画に出合う。その時、棟方は板画の道にゆくことを半ば運命的に感じていたに違いない。たぶん。

 

オーこれが『釈迦十大弟子』。これが世界のムナカタ。

 

棟方の仕事は雑誌や本の装幀にも及んだ。傑作はひとつやふたつではない。私は谷崎潤一郎の小説の『鍵板画柵』のショーケースの中をひょいと覗いた。それでびっくりしてしまった。

 

そうなのだ。棟方作品の凄い所は、そこである。

私は呑みこまれる。線に黒にそして板画に、私は喜んで呑みこまれる。

 

ハッと気がつくと私はめがねの前に立っていた。

 

そう。彼と板画を繋いでいた、あの素晴らしいぶ厚いめがねの前で。

 YONA Megumi

 

 

開館記念 棟方志功展 福光美術館1994

棟方板画の世界 1977