はじめてひとりで歩いたときは、もっと時間がかかったような気がする。
友人から教えてもらった道が気に入ったので、きょうもその道で帰ってきたのだ。
こんなに近かったっけと思った。
狭い階段を登りきったところに、大きなびわの木があった。
わあと立ち止まってしばらく見上げる。
雨上がりだった。
胸を打つ花、電燈、看板のあの感じ。
わたしはいちいち「ははあ」と驚嘆しながらずんずん進む。
存外歩いてる人が多い。
さっきのびわの木の道を曲がらなきゃいけなかったことに後で気づいて、引き返しながらちょっと笑った。
駅が見えたときにはほっとしたくらいだ。
バス停の手前で白髪の老人が道に座り込んでいた。
そばには倒れた自転車、聡明そうな女性がその老人と目線を合わせて話をしている。
周りに人が集まってきて、真剣そうな顔を突き合わせて電話をしたりしている。
わたしは足を止めずにそのそばを通りすぎた。
できることなんて何も、そんなふうに自分をとがめも慰めもせず、その老人は帰るべき道も、家も理由もわからなくなったのだ、さっと耳をそばだててそこまで聞いて、わたしは黙って移動する。
しばらくのあいだ、その後ろ姿が胸のうちから消えないことを知っていた。
わたしはそればかりを眺めていた。
『澁澤龍彦玉手匣』は、いわば澁澤龍彦の入門書だ。
エッセイやあとがきから抜粋された澁澤自身がじゃれあっているような文章を読んで、かつてはそこにあった会話や街の感じなんかを想像しながら、この人はなくなる前に声を失ったのだ、ということを知った。
喉の病気だったという。
──私が咽頭に腫瘍を生じたのは、美しい珠を呑みこんでしまったためで、珠が喉につかえているから、声が出なくなってしまったという見立てである。それで呑珠庵。
-「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」より
彼の文章を読んでいると、和合亮一や吉増剛造の詩を知ったときのような感情がひろがる。
何かをわかろうとってやろうという気で読んでいると、こういうものの良さというものは、まるで膜に覆われたように不明瞭になる。
だからむしろオブジェ的なもの、澁澤自身がその蒐集を楽しんでいたように、完成されたそのもののカタチをまず愉しもうとすると、するする心に入ってくるのだ。
ところでいまわたしの体には薔薇のような湿疹が体中にひろがっている。
これは免疫が落ちると、わすれていた旧友のような顔をして、ときどきわたしの目の前にあらわれるのだ。
どう見ても異常事態であるのに、わたしはその湿疹が肌の隅々にひろがるのを注意ぶかく眺めている。
不思議なしずけさのなかで、澁澤の気持ちがほんのすこしわかった気になる。
これから一体、どうなってしまうんだろうか。
──銀座や六本木の花屋で、大きな薔薇の花束をつくってもらって、友人の家のパーティーに出かけてゆくことがある。そんなとき、通行人の視線をあつめながら花束をかかえて歩いていると、ふしぎに華やいだ気持ちになる。むろん、これは西洋種の薔薇である。
-「薔薇」フローラ逍遙 平凡社ライブラリーより
