なんてことない日だった。
なんてことない授業で、いつもと同じような教室の雰囲気、知った顔の先生が黒板の前に立っている。
わたしがこの景色を覚えているのは、その日の授業ではじめて『檸檬』を読んだからだった。
とがめるような雰囲気が漂うフロアを横切る。
華やかな洋服と香水、ボディショップをひやかしてエスカレーターをあがる。
気づくと「そごう」にいた。
当時、丸善に行ったことがなかったわたしには「そごう」だった。
「そごう」の上階には、実際おおきな本屋があったのだ。
その男は英語の背が並んだ本棚の前にいた。
抜いては重ねられた画本のてっぺんに、幼稚にも爆弾だと言ってそっと『檸檬』を置いた。
そのまま「そごう」を後にして、男はゆっくり見えなくなっていく──。
これでおわりなのか、と思ったそのとき、わたしの中の何かがうごいた。
それは出てきた。ずっと待っていたんだと言わんばかりに唐突に。
しかしゆっくりと、注意深い犬みたいな顔をして。
*
映画『Stranger Than Paradise』のレビューをネットで調べていたら、とても深いところまで見つめているひとがいる一方で、「何も起こっていない」「退屈だ」という言葉をちらほら見かけた。
確かに『檸檬』は「何も起こっていない」のかもしれない。
それはいつも遠い過去の話なのだ。
その男のことをぜんぜん知らないし、知りたいと思ったわけでもなかった。
それは素晴らしいほど偶然で必然、というものでもなかった。
ただわたしは、彼の熱い手を握ったような気で、這い出てきたそれをじっと見ていたのである。
──ひとは、はからずも虚構の中で真実に触れるとびっくりする。恐れおののいて、鳥肌が立って、じわと涙が滲む。どうして泣いているのかわからない。でもそれが小説の美しいところだと思う。
今さらわたしが言う必要なんてないけれど、わたしにとってこの一果が、小説のはじまりだった。
-檸檬・冬の日 他九篇「私のおすすめの一冊」 拙筆
小説は、美しい小説はすこしも腹の足しにはならない。
しかしわたしはそんなもののために、ついここまで来てしまった。
『これがそうなのか』を読んで、あの日のわたしは、じつはその黄色い果実を「爆弾」だと言って欲しくなかったのだ、と思った。ましてやそのままにして、店を後にするなんて。
そう言ってしまうことに、この男の逸らさない視線がこわかったのだ。
あれから何度もそれを持ち上げては宥めるように、時にはじゃれるようにして思い出す。
手のひらにひびく『檸檬』のつめたさ。
それは顔を寄せると苦いような、あかるいようなにおいがした。
