ばかだと言われたような月だ ような恵のコラム 甘夏ためつすがめつ40こめ

なんてことない日だった。

なんてことない授業で、いつもと同じような教室の雰囲気、知った顔の先生が黒板の前に立っている。

 

わたしがこの景色を覚えているのは、その日の授業ではじめて『檸檬』を読んだからだった。

 

とがめるような雰囲気が漂うフロアを横切る。

華やかな洋服と香水、ボディショップをひやかしてエスカレーターをあがる。

 

気づくと「そごう」にいた。

当時、丸善に行ったことがなかったわたしには「そごう」だった。

 

「そごう」の上階には、実際おおきな本屋があったのだ。

 

その男は英語の背が並んだ本棚の前にいた。

抜いては重ねられた画本のてっぺんに、幼稚にも爆弾だと言ってそっと『檸檬』を置いた。

 

そのまま「そごう」を後にして、男はゆっくり見えなくなっていく──。

 

これでおわりなのか、と思ったそのとき、わたしの中の何かがうごいた。

それは出てきた。ずっと待っていたんだと言わんばかりに唐突に。

しかしゆっくりと、注意深い犬みたいな顔をして。

 

*

 

映画『Stranger Than Paradise』のレビューをネットで調べていたら、とても深いところまで見つめているひとがいる一方で、「何も起こっていない」「退屈だ」という言葉をちらほら見かけた。

 

確かに『檸檬』は「何も起こっていない」のかもしれない。

 

それはいつも遠い過去の話なのだ。

その男のことをぜんぜん知らないし、知りたいと思ったわけでもなかった。

それは素晴らしいほど偶然で必然、というものでもなかった。

ただわたしは、彼の熱い手を握ったような気で、這い出てきたそれをじっと見ていたのである。

 

──ひとは、はからずも虚構の中で真実に触れるとびっくりする。恐れおののいて、鳥肌が立って、じわと涙が滲む。どうして泣いているのかわからない。でもそれが小説の美しいところだと思う。

今さらわたしが言う必要なんてないけれど、わたしにとってこの一果が、小説のはじまりだった。

-檸檬・冬の日 他九篇「私のおすすめの一冊」 拙筆

 

小説は、美しい小説はすこしも腹の足しにはならない。

しかしわたしはそんなもののために、ついここまで来てしまった。

 

『これがそうなのか』を読んで、あの日のわたしは、じつはその黄色い果実を「爆弾」だと言って欲しくなかったのだ、と思った。ましてやそのままにして、店を後にするなんて。

 

そう言ってしまうことに、この男の逸らさない視線がこわかったのだ。

 

あれから何度もそれを持ち上げては宥めるように、時にはじゃれるようにして思い出す。

 

手のひらにひびく『檸檬』のつめたさ。

 

それは顔を寄せると苦いような、あかるいようなにおいがした。

 

 

これがそうなのか

永井玲衣

集英社