こんなことを憶えていた ような恵のコラム 甘夏ためつすがめつ37こめ

本棚を見ていて何となく手に取って、これを開いた私は仰天した。

 

「はっきり言って、いま死んでます。」

 

そこから始まる絵本は、もしかしたら他にもあるかもしれない。

 

でもそのあとで

 

「てか、踊ってます。」

 

と続く絵本は他にないんじゃないか、と思う。

 

私が4歳くらいの時に家に来たミニチュア・ダックスフンドのパルは、やんちゃで人懐っこくて、雷が大きらいで時にはうるさい、どうしたってかわいい家族の一員だった。

 

そんなパルに私たちは嬉しそうに文句を言って、一緒に走って転んで笑っていたような気がする。

 

 

パルはヘルニアを3回くらいやって、気づくと黒くて大きな目を白く濁らせて、トイレを何度も失敗して、寝てる日ばかりが多くなった。

 

久しぶりに実家に帰ったとき、パルは私のことを面倒くさそうに見上げて、長い胴を擦り寄せて撫でさせてくれた。そのやわらかさを、あたたかさを私は覚えている。

 

たぶんそのときパルは、私のことを思い出せなかったと思う。

それぐらいの時間が経ってしまっていた。

 

次に会ったとき、パルはこんな小さな骨壷になっていた。

 

それがもう5年も前になる。

 

 

この悲しみは、パルが居なくなってしまった喪失感ではなく、彼の一生を知っていることについての痛みなのだ。

 

人は、その痛みをどこか抽斗の奥にしまってあることで、忘れることで生きていけるのだ。

でも決して消えるわけじゃない。

 

ここの文章を考えていて「これだ!」と思ったとき電話が鳴った。

店長のキタザワさんである。

要件はさっき電話した内容の折り返しだった。

 

返事をして電話を切ると、「これだ!」の全部がきれいさっぱりいなくなってしまっていた。

 

まるで、陽だまりの窓辺に居た猫が消えてしまったみたいに。

 

 

 

チャーちゃん

保坂和志 小沢さかえ

2015年

福音館書店