草野心平の詩。
長新太の絵本。
ぶっ倒れた丸太の彫刻。
アラーキーの写真。
パンクだ、と思う。
パンクは私が生まれた時にはもうあって、私はだからパンクの残滓のようなものしか知らない。
矢沢あいの『NANA』から赤いタータンチェックと安全ピン、せいぜいチェーンのついたボディピアスとか。
当時小学生とか中学生だった私にとって、あれはすごくパンクだった。
幸子の「わざとだよ?」とかね。
ヴィヴィアン・ウエストウッドの財布をはじめてもらったバイト代で買った。
もちろん中古だった。
使いにくさなんてどーでもよかった。
私は16歳になったばかりだった。
シド・ヴィシャスはすでに死んでいて『DIY』もブティック『セックス』も知らないまま過去に葬られていた。
ヒッピーやミシマ、サンフランシスコなんかのカウンター・カルチャーはほとんどなーんにも知らなかった。
バロウズも知らなかった。
ポエトリー・リーディングも。
知らなくても生きて行けた。
ところで私は向こうの部屋に電気がついている、というのが好きだ。
明るい部屋にじっといるのは根気がいる。
だから電気を消すことにした。
ちょっと取り戻した気がする。
確かにここは暗いけど、隣は灯りがついている。
とりあえず大丈夫だ、と思う。
本当は、パンクの方から発生したんじゃないか。
なーんて、レノンとヨーコの歌詞を追いながら思ったりする(10月はジョン・レノンが生まれた月)。
「何が」発生したかは分からないくせに、そんなことをよすがのように考える。
パンクの精神、というものがあるとすれば、私はそれをスモークブックスから学んだ。
とにかく、行儀の悪いことをしながらの読書は最高だ。
これだって信じられない姿勢で書いている。
チョコレートだって食べてる。
お酒もチビチビやっている。
体に悪いことなんてとうに知ってる。
でも私には止めることができない。
人が死んだと聞いた夜、私は明日のためにひどく眠かった。
休みの日まであと何日だろうと指を折った。
体がここにあることがどうしようもなく悔しくて愛おしくて。
とりあえず私は明日も生きるつもりらしい。
人生って、パンクだ。

