木はたっぷりと雨をすう匂い ような恵のコラム 甘夏ためつすがめつ30こめ

日本は日本人は、もっとやくざで汚くて壊れていて、魂だった。

 

(え、たましい?)

 

長い外套、看板にも雪が降ってる。

洋風の帽子を被る男、女の鬢えりあし。

こどもおぶられたこども。

プロレタリアの文字。

ベンチの上でくつろぐ老人の、裾から覗く白いふくらはぎ。

 

私ははっとする。

彼らは戦争を知る人たちだ。

ひとり残らず。

 

すごい写真家というのは、その時代をかならず写しているという。

過去を未来を夢見るでもなく、ただ今を見ているのだ。

 

それを店長から聞いたとき、何だかほっとしたのを覚えている。

すごい写真を見たときのむずむずとする「これ」の、とりあえずひとつは分かったからだ。

 

──この薬屋の写真は一体なんなのだ。ただ単に1938年という過去なのだろうか、そうではない、ただ単に過去であるはずがない。それではなんなのだ、現在なのだろうか。私の口ぐせは「しょせん、写真は郷愁よ、過去なんだよ」であるが、どうも改めなくてはいけないような気がする。

 

現像しつつ興奮した 荒木経惟

『アサヒカメラ』1973年4月号より

 

白と黒のあいだにある時代の色。

そこにドラマチックな物語などなく、生活のみが写っている。

何も終わっていない。

はじまってすらいないからだ。

 

 

巻末のエッセイにある池波正太郎さんの言葉を借りれば、それはまさに『明日が待ち遠し』い写真なのだ。

 

 

 

東京昭和十一年

桑原甲子雄

1974年2刷

晶文社

 

ような恵