日本は日本人は、もっとやくざで汚くて壊れていて、魂だった。
(え、たましい?)
長い外套、看板にも雪が降ってる。
洋風の帽子を被る男、女の鬢えりあし。
こどもおぶられたこども。
プロレタリアの文字。
ベンチの上でくつろぐ老人の、裾から覗く白いふくらはぎ。
私ははっとする。
彼らは戦争を知る人たちだ。
ひとり残らず。
すごい写真家というのは、その時代をかならず写しているという。
過去を未来を夢見るでもなく、ただ今を見ているのだ。
それを店長から聞いたとき、何だかほっとしたのを覚えている。
すごい写真を見たときのむずむずとする「これ」の、とりあえずひとつは分かったからだ。
──この薬屋の写真は一体なんなのだ。ただ単に1938年という過去なのだろうか、そうではない、ただ単に過去であるはずがない。それではなんなのだ、現在なのだろうか。私の口ぐせは「しょせん、写真は郷愁よ、過去なんだよ」であるが、どうも改めなくてはいけないような気がする。
現像しつつ興奮した 荒木経惟
『アサヒカメラ』1973年4月号より
白と黒のあいだにある時代の色。
そこにドラマチックな物語などなく、生活のみが写っている。
何も終わっていない。
はじまってすらいないからだ。
巻末のエッセイにある池波正太郎さんの言葉を借りれば、それはまさに『明日が待ち遠し』い写真なのだ。
