
たとえば、どうして私は人間なんだろう。
あっカラス。
カラスが自転車のカゴの中を突っついてる。
言い方を変えよう。
どうして私はそこにいるカラスではないんだろう。
*
私が人間たる理由はなんだろう。
形だろうか。
大きさだろうか。
この難解な心だろうか?
ずるばっかする、脳みそだろうか。
頭で考えてみたことを書き出して小説にしたら、クソおもんないものになったのでビリビリに破いて捨てた日の夜に聞いたサイレンのことを話したら眉をひそめたあなたと午後、一緒にびわのアイスを食べた。晴天。
過去のこと、かつてのことを誰かに話して共有することが出来るのは人間特有の知能なんだそうです。
えっ?それで私がなんで人間なのか?
いま食べたくないチョコレートを冷蔵庫にしまって、忘れないように開くたび確認して、来週の土曜日に食べる予定です。
あの···それは冬を越えるためにカラスがする貯食行動とおんなじですね。
それが落ち葉か、冷蔵庫の隙間かの違いで。

この写真は、思うこと思われることの超越した場所で(そういうところってあるみたいですね)、あたたかいとかつめたくないとかいう本能に基づいた『居心地のいい』ほんの一瞬に撮られてる、と思う。
それはたとえばやわらかい毛布に肌をあてるようなきらめき。
眠りから覚める刹那のような甘さ、無邪気さで。
私はたぶん、ここに写っている人たちが振り向いても、目を開いたり閉じたりしてもぜんぜん驚かないと思う。
これが人間でしょう、と思う。
著者は「名前を伏せて売って欲しい」と言った。
これからも彼(あっナイショなんでした)が撮る写真が見たい。
ぜひまた日本へ(あっ)。
私も人を撮りたくなってきた。

