ただ嘘じゃないだけ ような恵のコラム 甘夏ためつすがめつ24こめ

座った分だけ高くなる空 せきしろ*

 

 

「そら当たり前だ」とあなたは思うだろうか。

私には思えない。

鳥肌が立って「しまった」と思う。

やられた、と思う。

 

自由律俳句とは、と検索してWikipediaを見ると、膨大な時系列の最後にこの秀句が出てくるので、多分これが彼にとっての代表句、ということになるのだろうか。

 

抽象から生まれた緻密画が点に、印象派からまた抽象に移ろってゆくように、自由律俳句というものもきっと、しかしはっきりとした意図を持って、荻原井泉水から放哉へ、山頭火、住宅顕信たちの力もあって、定型からゆっくりと解放された。

 

そう思うと、写真やインターネットの出現によって追いやられた分、こちらにだってよいことはあるのかもしれない。

 

どちらが正しいというものではない。

どちらが優れていて、どちらが劣っているというものでもない。

でも自由律でしか動かせない心の動きというものが確かにある、と私は思う。

 

まだ夏なのかを確認して今日も満足

 

失敗して笑う感情は多岐

 

また会おうと嘘にしたくない嘘をつく

 

なんだかんだで面白かったと向こうも思っていたのなら

 

 

おもしろい、面白いとめくっていた顔が突然泣き顔になる。

私は確かにいま、言葉の確かさに救われているのだ。

 

みなさんもはじめてみませんか。

冬にぴったしです。自由律俳句。

 

ただし、俳句を詠むという心を忘れずに。

 

*カキフライが無いなら来なかった

せきしろ 又吉直樹より

 

そんな言葉があることを忘れていた

せきしろ

左右社/2024

 

 

ような恵