3時間目 いつか読書する 「疑惑」近松秋江 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

私は一女に恋し、付き合っていた。が、別れた。関係は、たった一年で、コト切れた。

 しかし私はその女を忘れられず、それから幾度も、女に復縁を迫る。

 

 たとえば、いきなり「プレゼントがある」とメールして、女の最寄り駅で待ち伏せて、ブロマイド入れを渡しに行った。渡すことはできたが、「このあとは」と聞く間もなく、「このあと、用事だから」と先手とられた。「ついていってはいけないよね?」私は女々しい色を浮かべて懇願したが言下に断られ、自分をそれほどみじめな人間にさせてしまうその女をこの場でどうにかしてしまいたい……とうに置いていかれたのに、その考えにとりつかれて白昼の改札口前で突っ立っていた。

 またあるいは、都内の雪予報があった、これにアイデアを得て、仕事終わりの女のもとへ、前回の反省、自分が男らしくないのがいけないのだ、と発見し、就職したフリを通すために、おろしたてのスーツを着込んで実家の車を借りて、女の職場前に乗り付け、「ちょうど近くを車で通った。風邪をひくといけない。送るよ」メールをしたところ、返事がなく、その30分後、「まだ仕事中?」と送ると、その文面は「ERROR」を添えられて返ってきた、つまり着信拒否を設定されたことを知って、ネクタイを緩めたり締めたりした。

 また、たとえば、夜の銀座の交差点を行くあの女に似た相貌の女を、私は追いかけた。(そのころ、似た女を追うクセがあった)追いつめてみると、その女は偶然にもじつに、あの、女なのであった。ラコステの長方形の店内で、偶然なのだが、いや偶然を装って、私は物色するフリで近づいていった。この時、私は酔っていた。「あ」という向こうの反応に気をよくし、「俺は今、映画をやっているのだ。映画好きだったよな。映画の脚本の技術を、今さっき、とある人からうかがっていたのだ。俺はいずれ、映画を撮るつもりなんだ。スクリーンに写したいのだ」酒の力でまくしたてた。青くなった女は、逃げるように、その場を去ろうとした。私が、その硬い背中にかけた言葉は、それでもやはり「このあと、どこか行くのかえ」という、泣きべその懇願であった。すると女は、私との別れの原因の、決定的な人物の名前を出し、その男と会うのだ、と言い捨て、駆けていった。私はその白い背に銃口を向けた。しかし、幸か不幸か、私は実物の銃を持っていなかった……

 こうした懇願を、私は10年続けた。その女と結婚したい、家庭を持ちたいと夢描いていた。

 その10年間、たくさんの本を読んだ。

 また、その女を題材に、いくつかの小説を書いた。

 

 また、映画も観た。緒方明監督「いつか読書する日」の田中裕子演じる女が、数十年の間秘めた恋心を、狭い壁一面にびっしりとつめられた本で、表現されているが、そのシーンを見たとき、私なんかは、わんわん慟哭、禁じえなかったものでした。

 

 私は、本棚に、近松秋江の「疑惑」を収録した文庫本を、ずっと持っている。この小説は、筆者の代表作「別れたる妻に送る手紙」の続編である。

「別れたる…」はその名のとおり、家出した妻に宛てて恋心をつらつらと連ねた書簡体の小説であるが、ずっと手紙のなかという設定の割りには、ずいぶんと小説らしく書かれてあるし、やけにドタバタしているのが、はた目から見てたのしそうで、狂騒具合に肩透かしを喰らった思いで、内容はあまり覚えていない。もしかしたら途中で読むのをやめたかもしれない。

 続編の「疑惑」が、私の心をわしづかみにした。それは冒頭いきなり現れる。引用する。

 

  “それは悩ましい春の頃であった。私がお前を殺している光景が種々に想像せられた。昼間はあんまり明る過ぎたり、物の音がしたりして感情を集中することが出来ないから、大抵蒲団を引被って頭の中でお前を殺す処や私が牢に入った時のことを描いては書き直し”

 

 ……これだ、これは俺だ、俺の痴情だ! そう思ったものでした。

 そうして、主人公は、日光の温泉街へ、妻を探しに、さながら探偵のように、旅館の帳簿をあたったりして、嫉妬の念にさいなまれながらも、ひたすらに追っていく。このあたり、頭がまったく私と似て、いわゆるストーカー行為そのもので、「あるある」みたいな面白さが、私にある。

 が、不思議なことに、本作も、「別れたる…」も、また近松秋江の代表作「黒髪」も、行為自体は陰惨というか、目も当てられないみじめなものなのに、主人公の感情の描写はやけに軽々としていて、整理されないまま突き進み、いくら読んでも、主観的過ぎる夢の話のようで、私はその不思議な感覚に、つい、うっとり眠くなり、寝てしまう。

 すなわち、本棚にもう10年はある、言ってしまえば、私にとっては、あやしいニオイが立つ、秘蔵の〇〇本だが、それを一度も読み切ったことがない。いつも、途中で、放ってしまう。

 そういう小説も、また小説の側面だ、それも良いと思い、また本棚に戻すとする。

 映画も、どうも眠くなるのには、映画らしい要素、「皆が同時に見る夢、という要素があるから」ときいたことがある。取ってつけたような話だが、それは好きな話だ。

 

 また、不思議なことに、私の10年思いつめた例の女とは、私は結婚できた。そんな結末はあまりにもドラマ仕立てのなりゆきで、小説なんかにすることは、憚られる。