フレッシュフレイム   &-m


「フレッシュフレイム」

西洋哲学上りのアートフリーク、
&_mがつづる芸術コラム。

新たな表現との出会い。
そのとき、そこにたゆたうもの・ことを、
うつしだしてみたい。

13

4月

2012

「抽象と形態:何処までも顕れないもの」 フレッシュフレイム  &-m

「抽象と形態:何処までも顕れないもの」

 

対象と向き合い、そのものをあらわそうとする試み。

 

DIC川村記念美術館で行われている企画展「抽象と形態:何処までも顕れないもの」では、

現代の7人の作家を中心に

そのものを表現しきろうとする抽象作品を

その表現形式に着目し、比較させながら展示していた。

 

五木田智央の作品は、白と黒とであらわされた絵画だ。

閑散とした風景に人型が浮かぶ。

特定の時間や場所を超えて、身体のなかに蓄積したいくつもの心象を

揺さぶり起こすようだ。

会場では、五木田の色味が、

パブロ・ピカソ≪シルヴェット≫の色味と比較され展示されていた。

 

アンダース・エドストローム≪無題≫は、

どこまでもたゆたう水面と対岸の風景を撮った写真だ。

ひとつづきの映像の一部を切り取ったみたいに、どこか焦点が定まらない。

しかし、写っているなにかではなく

そこに浸されている空気や、かたちや、心や、

そういったすべてを、しんとみつめかえしてくる。

画面にあらわれたものを超えて、深遠な領域を呼び起こす世界観は

ヴォルスの作品≪無題≫からも感じられるようだ。

 

エルンスト・H. ゴンブリッチは、その著作『美術の物語』のなかで

モダンアートの試みを「実験」と呼んでいる。※1

目で見たこと、心が感じることを

思い込みや先入観なくとらえ、新たな表現を発見する「実験」。

 

ひとつひとつの表現の発見は、作家固有のものの見方から生まれたものだが、

それらが文化や時代を超えて、共有されるとき、

ものそのものの本質を、そして人間の考え方や在り方を浮かび上がらせる鏡になる。

 

4月15日(日)まで。

 

参考

※ウェブページのリンクは2012年4月11日現在

 

○DIC川村記念美術館

http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/index.html#admission

プレスリリース

http://kawamura-museum.dic.co.jp/release/pdf/111206.pdf

 

※1については次の本から引用しました。

○エルンスト・H. ゴンブリッチ『美術の物語』2011、427ページ

 

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07

3月

2012

ジョセフ・ナジ振付・出演『カラス/Les Corbeaux』  &_m

 

 

カッ

と大きくひろげた羽の先まで

満ち満ちた存在感。

 

身体を通して、イメージは、存在となり降り立った。

 

コンテンポラリーダンスの公演を観に行くのは初めて。

ピナ・バウシュの映画が公開になることを知り、興味をもった。

コンテンポラリーダンスは、演劇ではなく、

モダンダンスではなく、バレエではなく…

明確な定義はないらしい。言葉だけではなんともわかりづらい。

百聞は一見に如かず。ひとまず体験してみようと勇んででかけた。

 

幕が開ける。

暗闇。空気はぴんと張りつめている。

木管楽器の甲高い音が響く。時折吹きながら叫び、

叫びながら吹き、穏やかならない気持ちがする。

 

静かに、絵のシーンが始まる。

線のような、図形のような、黒いインクで描かれる形象が踊る。

続いて砂と缶のシーン。

天井から落ちてくる砂と、ガムランのような音楽が絡み合う。

そして、身体のシーン。

伸ばす、ころがる、ねそべる。

はじめは身体そのままで、

やがて、鼻、てのひら、少しずつ黒いインクに染まり、

全身、黒になる。

 

つややかに光る。カッと羽を開く。

神々しさすら感じる。

 

なにもない場に現れた黒の存在感は、圧倒的で、

私は、全身でその存在と対峙する。

 

ステージにあらわされていたのは、

ごみを荒らす厄介なカラスとはまったく違う姿。

公演後のアフタートークで、ジョセフ・ナジは、

「カラスはハンガリーでは知恵のシンボルであり、

長寿のシンボルでもある」と語っていた。

今までに知ることのなかった、ひとつの、神話的存在をみた。

 

『カラス/Les Corbeaux』は現在全国巡回中。

3月9日(金)、10日(土)富士見市民文化会館キラリ☆ふじみでの公演がラストチャンス。

 

ピナバウシュの映画は現在順次公開中。

 

 

参考

 

※ウェブページのリンクは2012年3月5日現在

 

ジョセフ・ナジ振付・出演『カラス/Les Corbeaux』 | 世田谷パブリックシアター/シアタートラム

http://setagaya-pt.jp/theater_info/2012/02/les_corbeaux.html

 

乗越 たかお『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイド HYPER』

(コンテンポラリーダンスの定義については、本書8ページを参照しました。)

 

富士見市民文化会館 キラリ☆ふじみ

http://www.kirari-fujimi.com/

 

映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』公式サイト

http://pina.gaga.ne.jp/

 

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12

2月

2012

「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」 &_m

 

 

霊、臓物、死、

グロテスクなものを描いているのに、不思議とこわさはない。

むしろ、やさしく、つつみこまれるような気になる

幻想的な世界だ。

 

現在、横浜美術館で行われている

「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」では、

初期の作品から最新の作品に至るまで、

松井冬子の作品を、そのモチーフごとに紹介している。

 

満開の桜が水面に写り、

ぱっくりひらいた入り口からこの世の向こうへと溶けてゆきそうになる作品、

《この疾患を治癒させるために破壊する》。

 

見つめていると群れになった蜂があらわれ、

たちまち女の子の世界がこの世にはないことに気付く、

《世界中の子と友達になれる》。

 

会場にはデッサンや構想図も展示されており、

作品が、丁寧に生み出された世界なのだということが伝わってくる。

 

松井冬子は、自身の作品について、インタビューにおいて

「身代わり」、「厄払い」と語っている※1。

作品が、辺境の世界へと深く切り込むことで、

それをみた人は、

闇の世界をなだめ、生へのエネルギーを得る。

 

不思議とこわさを感じなかったのは、きっと

誰もが奥のほうにひそめている、

妬みや、痛みや、悲しみに、寄り添っているからなのだろう。

 

松井冬子の世界を通り抜けるとき、

日本画のやわらかな質感につつみこまれ、

あたたかな闇のなかで、やさしくなでられるような気がする。

 

3月には映像作品の展示も始まるそう。こちらも気になるところ。

会期は3月18日(日)まで。

 

 

参考

 

※ウェブページのリンクは2012年2月11日現在

 

松井冬子展 世界中の子と友達になれる

http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2011/matsuifuyuko/

 

松井冬子/まついふゆこ/Fuyuko MATSUI

http://matsuifuyuko.com/

 

※1「身代わり」「厄払い」と語っていることについては、

次の2つのインタビュー記事を参照しました。

 

インタビュー「画家 松井冬子さん」 | ヨコハマ・アートナビ

http://www.yaf.or.jp/magazine/2011/11/post-43.php

 

「理性ある狂気」で描く心の風景 松井冬子インタビュー -インタビュー:CINRA.NET

http://www.cinra.net/interview/2011/12/02/000000.php

 

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21

1月

2012

「瀧口修造とマルセル・デュシャン」 &_m

 

瀧口修造とマルセル・デュシャン、

二人のやりとりそれ自体が、ひとつの芸術作品のように感じられた。

 

2012年1月29日まで千葉市美術館にて行われている

「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展では、

二人の活動、出会い、交流を、膨大な書簡や書物、作品を通じて丁寧に紹介していた。

 

瀧口修造は、日本の美術評論家。

著作を通して日本にいち早くシュルレアリスムを紹介し、

また、自身も、言葉や形象による表現を行った。

一方、マルセル・デュシャンは、フランスの芸術家。

男性用便器をはじめ、既製品を美術作品として提示した

「レディ・メイド」と呼ばれる作品がとりわけ広く知られている。

 

二人は、1958年に瀧口が渡欧した際、

サルヴァドール・ダリの家で、遭遇する。

 

それ以前にも、瀧口は、著作の中でデュシャンについて触れてはいたが、

出会いの後、それぞれの著作物を交換し合ったり、

瀧口の「オブジェの店」という構想にデュシャンのサインを寄せてもらったり、

瀧口が『マルセル・デュシャン語録』や

岡崎和郎の協力を得てデュシャンの作品の一部を立体化したオブジェを制作したりと、

二人には様々なかたちで関わりが起きている。

 

 

▲ 「甘美な死骸」のイメージ

二人の交流をみていて、

「甘美な死骸」のことを思い出した。

 

「甘美な死骸」は、シュルレアリストの間で行われた一種の遊びだ。

数人の人が、それぞれ部分を書き、一つの文章や絵を完成させる。

それぞれの人は、書いているとき他の部分を見ることはできず、

完成したときに初めて全体像が見える、偶然性に満ち満ちている。

 

意図せぬ出会いによって生じた二人の交流は、

大仰な意義や権力を示すものではなかった。

それは、戯れ、共鳴し合い、ひとつの美を生んでいた。

 

参考

※ウェブページのリンクは2012年1月18日現在

 

千葉市美術館

http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2011/1122/1122.html

 

シュルレアリスム、甘美な死骸について

http://www.sur2011.jp/gaspard_lisa.html

 

『デュシャンは語る』 筑摩書房、1999

 

『コレクション滝口修造. 3 (マルセル・デュシャン.詩と美術の周囲.骰子の7の目.寸秒夢)』 みすず書房、1996

 

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